5 揺り戻しの始まり
異変は遅れてやってきた。
初夏に王国の結界が緩んだという報告が入った。
ここ数年は強固な結界が張られており、外からの魔物の侵入を一切許すことはなかったのだが、時折少数の魔物が侵入するようになった。とはいえ、辺境の騎士団で対処できないほどではない。むしろ少し前まではこの程度の魔物の侵入はあったから、前に戻っただけとも言えた。
次に晩夏に開催される建国祭が雨に見舞われた。
これまで建国祭は晴れているのが常だったので、人々は言い知れぬ不安を感じたが、天候の気まぐれと言われればそれまでなので、黙ってその不安を飲み込むしかなかった。
初秋になると作物の実りがこれまでよりもやや悪いという報告が挙げられるようになった。
あくまでも『やや悪い』程度であり、直ちに飢饉が起きるなどという深刻なものではなかったが、さらなる不作が起きないとも限らないため、国は調査を行った。すると特定の領地で取れ高が悪いことがわかった。さらに調査を進めるとフローレンス公爵領とフェレッラ伯爵領が不作の中心で、前年比3~4割減の落ち込みとなっていたことが判明した。他の領地は前年比で若干の減少程度で済んでいるところが多く、東のミラン辺境伯領はむしろ前年よりも豊作を記録していた。
報告を受けた貴族議会の面々は考え込んだ。何かが起きているのではないかと。ふと一人の貴族がこんなことをぽつりと漏らした。
「ローズ様が聖女になられてからは、豊作続きだったのに」
第23代聖女ローズ、貴族議会の面々でその名と実績を知らない者はいない。
「まさかローズ様に何かあったのか?」
議会がざわつく。するととある若い貴族が「そういえば・・・」と話し始めた。
「少し前にローズ様にまつわる妙な噂が立っていたようですが、関係はありますかね?」
貴族達の反応は知らないというように首をかしげるもの。思い当たるようで、渋面となるものに二分された。
「どんな噂だ?」
フローレンス公爵が噂の内容を若い貴族に尋ねる。若い貴族は「あまりよい話ではないのですが」と口ごもるが、公爵は「貴殿に責を問うことないから聞いたままを話せ」と促した。
「品のない話であることは予めご承知ください。そのですね、王立学園に通う若い者の間で聖女ローズが嘔吐したという話が面白おかしく広められていたようで」
議会の貴族達が顔をしかめた。若い貴族はさらに続ける。
「ゲロ聖女ですとかゲローズですとかゲロインですとか。最後のはよくわかりませんが割と聞くに堪えない内容です」
再び貴族議会が騒がしくなる。
「聖女ローズが酒乱で暴れたとでもいうのか?」
「ローズ様は15歳、まだ酒を飲まれる年齢ではない」
「そもそも酒乱は先々代の聖女でしょう」
「先々代様は聖女の能力は高かったが、それ以上に酒癖が酷かったからなぁ」
「皆のもの、静粛に」
フローレンス公爵が貴族達の面々の私語を諫める。議会はしんと静まりかえった。
「その様な心ない噂により聖女ローズが心を痛め、力を弱めたとあっては問題だ。まずは噂の真偽と出所を確認する。学園と教会の関係者から事情を聴取するように」
フローレンス公爵がまとめ、貴族議会の議題は次へと移っていった。
そして調査が行われた。
すると予想以上の惨状が浮かび上がってきた。
聖女ローズは今春に王立学園に入学し、Aクラスの所属となったものの、話せる友人はおらず、常に独りぼっちだった。クラスメイトはそんな彼女を眺め、ひそひそとするのみ。それどころか、心ない者による陰湿な嫌がらせも行われていた。
日に日に窶れていったローズは、入学から1ヶ月程たったある日、とうとう教室で倒れてしまった。教員が救護室に運び、その後は教会に帰されたが、その日を境に聖女ローズは学園に来ていない。
「そんなになるまでなぜ放っておいた!」
調査員は学園関係者を怒鳴りつけたが、もはや後の祭りだった。
教会にも調査員を派遣したが、教会関係者の口は堅かった。調査員が平身低頭して協力を求めると。
「であれば、当事者の方々の同席を求めます。我々が根も葉もない噂を流したとされてはたまりませんからな」
そして教会から当事者として名を挙げられたのはフローレンス公爵とフェレッラ伯爵だった。調査員を伴って教会に足を運んだ彼らは、そこでようやくあのお茶会で起きた事件の全貌を知ったのである。
フェレッラ伯爵は顔面蒼白となり震えていた。フローレンス公爵も頭を抱えた。
「聖女ローズがフローレンス公爵令嬢主催のお茶会で嘔吐し、粗相をしたのは事実でございます。ですので、公爵家には丁重に謝罪文をしたため、送らせていただきました。公爵閣下からは丁寧なお返事を頂き、お許しをいただけたものと考えておりましたが、ご息女は許せなかったのでしょう。
フローレンス公爵閣下、次期王妃になられるであろうご息女は何がお望みですか? 聖女ローズの王都追放ですか? それとも国外追放でしょうか? ああ、聖女の命だけはお許しいただきとうございますな」
司教の語調は穏やかだ。そして表向きは聖女ローズがした粗相について、命で償う以外のさらなる処罰を受け入れると言っている。
だが、それを額面通り受け取るほどフローレンス公爵はもうろくしていなかった。
司教は言っているのである。
おまえのところの娘がどうしてもうちの聖女を気にくわないようだから、王都追放でも国外追放でもしやがれ。喜んで教会ごと出て行ってやろうと。その代わり、聖女や教会が与えてきた加護や祝福は全て引き上げてやると。
「聖女が体調を崩して庭で吐いたことに、ご息女がそこまでお怒りになられるとは。いやはや、さぞかし高潔なお方なのですなぁ」
これはまずいと、公爵は焦った。目の前の司教の表情は変わらず聖職者らしい穏やかな微笑みを浮かべているが、あれは間違いなく激怒している。
そして教会だけでなく、聖女ローズの後見となっているとある大貴族も怒り心頭であろうことが容易に想像でき、フローレンス公爵は目眩を覚え、額を抑えた。フローレンス公爵もネイプルズ王国の大貴族であるが、ローズの後見である武闘派の大貴族と真っ向からやり合うのは分が悪かった。
今ここで教会とその大貴族の怒りを収めきれなければ彼らは間違いなくネイプルズ王国を見限る。そうなればもはや王国の危機だ。
下手なことは言えない。教会とその大貴族の離反を招くのはなんとしても避けたかった。公爵は考え込んだが、なかなか良い言葉が浮かばなかった。
しかし、助け船は向こう側から出された。
「しかし聖女ローズの願いを叶えて頂けるならば、我々は引きましょう」
教会から出された提案は、もう1度お茶会を開くことだった。
曰く、聖女ローズは初めてのお茶会をとても楽しみにしていた。だが、あの事件で駄目にしてしまった。だからもう1度やり直したいのだと。そして、願わくば悲しい思い出を楽しい思い出で上書きしたいと。
お茶会1つで怒りを収めてもらえるのならば否やはない。
フローレンス公爵とフェレッラ伯爵は教会の提案を全面的に受け入れたのであった。
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