暗がりが隠してくれた表情
及川さんの
「……これ、覚えてますか」
という声が、まだ胸の奥に残っている。
大和はカウンターに戻り、
深く息を吸った。
(落ち着け。いつも通りでいい)
そう思うのに、
手元が勝手に慎重になる。
シェーカーを手に取る指先が、
ほんのわずかに熱い。
氷を入れる音が、
いつもより静かに響いた。
(……なんでこんなに丁寧になってるんだ)
自分でも分からない。
ただ、乱れた心を整えるように、
一つ一つの動作がゆっくりになる。
計量カップを傾ける角度。
氷の溶け具合。
グラスの縁を確かめる指先。
どれも、いつもより慎重だ。
(期待するなよ。
でも……あの言い方は)
胸の奥がまた揺れる。
大和は最後に、
グラスの縁をそっと整えた。
(……こんなに丁寧に作るの、久しぶりだ)
自嘲気味に息を吐き、
グラスを両手で持ち上げる。
及川さんの前に置く瞬間、
視線がふっと重なった。
「……どうぞ。オリンピックです」
言った瞬間、
自分でも分かるほど声が柔らかかった。
及川さんは少しだけ目を瞬かせて、
それから静かに微笑んだ。
その笑顔が胸に刺さる。
大和はそっと視線を逸らした。
(……店内が暗くて良かった)
もし明るかったら、
今の自分の顔なんて絶対に見せられない。
声の温度も、
視線の揺れも、
全部隠しきれなかった。
暗い照明が、
その乱れをそっと覆い隠してくれる。
(50にもなって、
こんなふうに翻弄されるなんて思わなかった)
胸の奥が、
また静かに熱くなる。




