赤いハート──届かない言葉を置く夜
家に着くと、俊介はいなかった。
最近は帰りが遅くて、顔を合わせることもほとんどない。
玄関に並んだ靴だけが、今日も会えなかったことを静かに示していた。
葵はそのまま自室に直行した。
胸の奥のざわめきを、誰にも見られたくなかった。
ドアを閉めると同時に、スマホを開いていた。
気付けばまた、あのリールを再生している。
大和がスタッフの肩を軽く叩いて笑う。
「迷惑なわけないだろ。むしろ助けられてばっかりだよ」
その声が、まだ耳の奥で揺れていた。
右下の小さなハートに、指が触れる。
ぽん、と赤く灯る。
(……消さない)
胸がきゅっと締め付けられた。
過去の“事故いいね”とは違う。
今回は、自分で押した。
意図して。
気持ちが動いたから。
画面をスクロールすると、コメント欄が目に入る。
「優しい」「行ってみたい」「店長かっこいい」
そんな言葉が並ぶ下に、
ぽつんと白い枠があった。
(……書いちゃだめだよ)
そう思ったのに、指が勝手に動く。
白い枠に文字が浮かぶ。
「店長、あのときはありがとうございました」
胸の奥がじんわり熱くなる。
“あのとき”──
17年前の夜。
歩幅を合わせてくれた帰り道。
「迷惑なわけないだろ」と言ってくれた声。
今日のリールで蘇った記憶が、
そのまま言葉になってしまった。
送信ボタンの上で、指が止まる。
押せない。
押しちゃいけない。
そっと画面を閉じる。
赤いハートだけが残り、
コメントは未送信のまま静かに消えた。
本当は、
もっと違う言葉を打ちたかった。
胸の奥で、小さな声が灯る。
でもそれは、
まだ届かせてはいけない想い…。




