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触れない朝
朝、キッチンに立つと、
俊介がすでにコーヒーを淹れていた。
以前なら、
「おはよう」のあとに、
ぎこちなくても“決め事のハグ”があった。
触れた瞬間に分かる温度のなさが、
ふたりの距離を逆に浮き彫りにしていた。
でも今朝は——
俊介は葵のほうを見なかった。
「……おはよう」
葵が声をかけると、俊介は軽く頷くだけ。
腕を広げる気配もない。
(……今日は、しないんだ)
葵は自分から近づく勇気が出なかった。
形だけのハグを求めることが、
余計に惨めに思えてしまう。
「今日、帰り遅くなるかも」
俊介の声は淡々としていて、
まるで“報告”のようだった。
「……うん。気をつけて」
扉が閉まったあと、
葵は胸の奥に残るざわつきを押さえられなかった。
“決め事のハグ”は、
まだ完全には消えていない。
でも、もう触れられない距離にある。




