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眠れない夜
布団に入る前、俊介はいつものように寝室の前で立ち止まった。
ドアノブに触れた指先が、ほんの少しだけ震える。
深呼吸をひとつ。
覚悟を決めるみたいに、そっと扉を開けた。
葵はもう寝ている。
背中を向けて、静かな寝息だけが部屋に落ちていた。
俊介はゆっくり布団に入る。
触れないように、でも離れすぎないように。
その“ちょうどいい距離”を探すのが、最近の習慣になっていた。
触れたい。
抱きしめたい。
好きだから。
でも触れたら、きっと分かってしまう。
葵の心が、もうここにはないことを。
だから触れられない。
触れたら壊れる。
触れないと、もっと苦しい。
天井を見つめながら、俊介はゆっくり息を吐いた。
葵の寝息と、自分の呼吸のリズムが合わない。
そのズレが、胸の奥にじわじわと広がっていく。
「……もう、無理かもしれない」
声にならない声が、喉の奥で消えた。
朝は誤魔化せる。
日中は忘れられる。
でも夜だけは、どうしても誤魔化せない。
隣にいるのに、いちばん遠い。
その距離が、静かに限界へ近づいていた。




