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あの日の葵
気づけば、また思い返していた。
季節に合わない薄手の上着。
財布も持たずに飛び出した背中。
早足で、呼吸が浅くて、どこか切羽詰まっていた。
「葵?」
声をかけた瞬間、肩がびくっと跳ねた。
あの反応が、胸に刺さったまま抜けない。
視線の先には、居酒屋「灯」の看板。
でも葵は、看板を見た途端に引き返した。
あれは何だったんだろう。
ただの偶然?
それとも——。
「……あんな葵、見たことない」
胸の奥に、小さな影が落ちる。
気のせいだと思いたいのに、
その影は、じわじわと形を持ち始めていた。




