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葵の夜
俊介が寝室に入ったあと、
葵はひとりでリビングに残った。
ハグのときの強張りが、まだ身体に残っている。
触れられるたびに、心が逃げ場を失っていく。
スマホを開くと、店長のリールが浮かんだ。
再生はしない。
でも、声が頭の中でよみがえる。
「嫁さんに猛特訓してもらったっていう」
指輪は外していた。
理由は分からない。
でも、あの声には“奥さんを想っていた時間”が残っていた。
胸に手を当てる。
(店長の心には奥さんがいる。
だったら……私が出ていっちゃいけない)
そう思うのに、涙がにじむ。
止めたいのに止められない揺れが、
静かに、深く、広がっていった。




