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名前のつけられない感情
撮影を終えて、店の裏で少しだけ腰を下ろす。
ふと、葵の横顔が浮かんだ。
数回来るたびに思い出していたけれど、今日は少し濃い。
辞めると言ったあの日の、震える声。
「大学が忙しくて……」
そう言っていたけれど、本当は何かを抱えていたのかもしれない。
でも、聞き出すことはできなかった。
店長としての距離。大人としての線。
それを越えることはなかった。
——気になってるのか?
自分に問いかけてみる。
違う。そういうのじゃない。
恋でも未練でもない。
ただ、忘れられない。
頼ってくれたこと。
弱さを見せてくれたこと。
自分を成長させてくれたこと。
その全部が、胸の奥に小さな灯のように残っている。
名前のつけられない感情が、静かに揺れた。




