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原点の場所
東京の居酒屋「灯」に入るのは、もう数回目だ。
それなのに、暖簾をくぐった瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。
初めて店長を任された場所。
右も左も分からないまま、必死で走っていた頃の自分が蘇る。
そして——
その隣に、いつも小さく頑張っていた子がいた。
緊張で手を震わせていた19歳の葵。
失敗して半泣きになっていた夜。
ストーカーに怯えて、それでも「大丈夫です」と笑おうとしていた姿。
あの子は、本当はすごく弱かった。
弱さを見せるのが苦手で、でも必死に前を向こうとしていた。
そんな葵が、自分を頼ってくれた。
あの頃の自分にとって、それは大きな支えだった。
「……元気でやってるといいな」
思わず胸の奥で言葉が転がる。
撮影の準備に戻りながらも、心のどこかに小さな灯が残った。




