ギルティ・メルティ
恐怖。それは邪悪。人間の懐く感情の中でも最も強烈にして、忌避せしもの。それはこのわたし、メルティにも等しくある忌々しい感情だった。
勢いのままに暴走したわたしは、よりにもよって呪いの公爵とあだ名のつけられた公爵子息ディーターの妻になると宣言。それはまたたく間に学園中に広まり、やがて現在の公爵である彼の父親の耳にも届いた。
家へ送りつけられた無駄にリッチな書簡には『承諾。(なにとぞ!)』
わたしはこうして正式に呪いの公爵子息の妻(候補!)になってしまうのであった。
――昼。
ディーターを探し、彼の所属する生徒会室をわたしは訪ねた。
やけに豪華な調度品の飾られた室内には、調和を崩すかのようなわけのわからないガラクタが散らかり、祭壇のように飾られた棚には他でもない――わたし。
「キャアアアアッ! 何なのよこのわたしの偶像! わたしはわたしと同レベルの可愛いものが存在することを許せない! 破壊するかされるか、可愛いとは常に戦い。可愛い者こそが支配する。これは社交界の掟」
「……ア……ア……」
「ヒィィッ! ディーター様、こちらにいらしたのね! こうも簡単に背後を取られるほどにか弱くて可愛いわたしに、一体何のご用かしら」
まるで亡霊のように背後へ現れたディーターにもっと大きな悲鳴をあげそうになったけれど、わたしはわたしの可愛さを損なわぬものに対して、あからさまに恐怖したくなかった。
12分の1スケールのわたし。ディーターはそれを隠すように素早く懐にしまった。わたしの視界からわたしと同レベルに可愛いものを消し去ってくれた命の恩人に、思わず「きゃっ♡」と跳ねる。
「ディーター様優しいっ♡」
「あ……え? いや……えっと……まあ……そう、ですか……」
好かれねば。なんとしてもこの陰気野郎の心を掴んで、婚約破棄などさせない。婚約破棄など決して受け入れない。言わせない。このわたしを「無理」とかいう言葉で拒絶などさせない。それと、呪われたくない。
きゅるんとした瞳で、ディーターの前髪を見つめる。ディーターは無愛想に顔をそらしてボソボソ呪詛のような声を漏らしやがった。
「金目当てに決まってるし俺の取り柄とかそれしかないし誤解とか全然してないし……でもほんと良かったよな……お、おお推しと結婚とか……普通ならムリ……妄想も大概にしろ……無理すぎる……この結婚白すぎワロタ」
「チッ……ディーター様、早口言葉じょーず♡ さすがぁ♡ ステキ♡」
「え……あ……どうも……え、早速記念日かな、メルたんが人を褒めるとかナニソレ同人誌? 現実と推しの理想化乙ですワロタ草ランド自意識過剰すぎて死ねるむしろ死んだら本望」
何を言ってるのかほとんどわたしには聞き取れないけど、怖いというのは伝わってくる。ほんとに何なの? 超怖いんですけど。早速呪いをかけられた? なら解除してもらわないと。
「えっとぉ、あっ! ディーター様って生徒会で何やってるのぉ?」
わたしはどちらかというと剣や弓、乗馬の大会を牛耳る委員会の方に奉られた可愛い存在なので、妙に真面目臭いうえ陰気そうな生徒会が何なのかわからない。
生徒会室にはデスクと椅子がいくつかあって、黒板なんかもある。会議にでも使うのでしょう。でも何の会議をしてるのかもわからないキモい絵とかキモいポエムが書いてあって、キモいくらいしか感想が出てこない。
まあ、世の中にキモいものがあってこその可愛いメルるんなので、キモいものにも感謝しているのよ、わたし。キモいものを餌に成り立つ弱肉強食。キモいオタクがいることはありがたいこと。食い散らかしてやるわ。
「あっ、これ見たことあるかも」
黒板の絵を指差したわたしに派手に後ずさるディーター。
その動きにびっくりしたけれど、びっくりしたのは彼も同じようだった。
「なななな」
「オタクくん向けの演劇の登場人物でしょ。ディーター様ってこういうのが好きなの?」
まさか公爵子息に限ってこんなキモいサブカルチャーにハマってるはずがない。高貴な公爵子息なのだから、普段から崇高な芸術作品に触れているに違いないのよ。
「好きというか嗜む程度にはというか『ブラック商団追放記〜無能判定を受けた俺は窓際で理解のある元娼婦の清楚系巨乳とイチャベタにつき〜』略してブラベタは『好き』の一言で片付くような代物ではなくあらゆる混沌と高揚、一抹の希望と深淵なる絶望の豊かなハーモニーによって構成されるいわばフルコースにして至高の逸品ですぞ」
はあ?
最初と最後くらいしか言ってることわからなかった。サブカル陰キャコンテンツが嗜む程度の逸品?
ただわかったのは、ディーターがキモいオタクくんだということだけ。それ以外は虚無。一切その作品への興味が湧いてこない。PRが下手すぎる。
オタクとかいう人種はよくわからないものに異様に熱を上げ、頼んでもいないのに詳細を語ってくる。そして、それに否定的な人物に対して攻撃的。また、オタク以外の人間との関係構築に対しては消極的で、あちらから歩み寄ってくることは一切無いという面倒な生き物。
「ディーター様って、感想を述べるのがお得意なんですね。尊敬しちゃうな♡ わたしの顔にも感想あったら言ってほしいな♡」
「あっ……や、他人の顔に感想とかww下賤wwいいいいいくらメルたんのお願いでも流石にwwというか俺マジで普通にメルたんと喋ってね? クッソ前世とか記憶無いけど絶対これ俺なんか転生して公爵子息になってるじゃん【悲報】俺さんすでに死んでた説ww的な? ナニソレ速報級大事件乙wwうわぁフィクションとノンフィクションの区別曖昧とか流石に引きますよね自害切腹絶対零度喋りすぎてキモいな」
「普通には喋れてないよ♡」
これを夫にしてしまったのか、わたしは。苦労するわ、絶対に。
でも少し早口言葉にも耳が慣れてきたみたい。ディーターもわたしが的確にツッコミを入れたことに驚き、そして嬉しそうに頬を染めていた。ドMなのね。
「お、おおお俺、女子にツッコミ食らうの、多分初めて……†大天使☆メルたん†さんはコミュ強ですな……」
「その短剣符って記号(†)、死人につけるやつなのでやめてね♡」
いつの間にか恐怖は消えて、キモいなという気持ちだけになっている。オタクくんが言う「クッソワロタ」ってやつかな。
な〜んだ、わたしはこんなオタクが怖かったのね。なんて安心して、尻に敷いてやると決めた陰キャ公爵子息ディーターに微笑みかける。
こんな至近距離でわたしに笑みを向けられて無事だった男はいない。確実に仕留めたはず。だから「ふふっ」なんて鼻で笑う。
「ディーター様とお喋りするの、すご〜く楽しいな」
ディーターは鬱陶しい前髪で顔を隠すように俯き、またボソボソと何か呟いている。
わたしはそれをプロポーズにちがいねぇわと決めつけ、勝利に高笑いをした。
オタクに優しいギャルが流行っているけど、オタクに厳しいギャル、好き




