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徹夜明けの経営コンサルが異世界転生して、議事録一枚で滅亡寸前の王国を救った件  作者: もしものべりすと


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7/22

第七章 王都の財務官、辺境を見る

ローラン伯爵が領主館に到着したのは、翌日の昼過ぎだった。


馬車は、想像していたよりも、地味だった。

紋章のついた小さな黒塗りの箱馬車。

従者はわずかに、二名。


降りてきたのは、四十代後半の、痩せた男だった。

背の高さは、俺と、ほぼ同じ。

銀縁の眼鏡。

質素だが、上質な灰色の文官服。


「ローラン・ベアトリス、と申します」


伯爵は丁寧に頭を下げた。

その仕草に、嫌味な貴族特有の傲慢さは、まったくなかった。

コンサル業界で言えば、明らかに「現場をわかってる」タイプの管理職だ。


「リシュ・アステリスです。長旅、お疲れさまでした」


俺は彼を応接室に案内した。

応接室は、エマが念入りに掃除をしてくれていた。

窓は磨かれ、椅子は埃を払われ、机の上には、領内産の蜂蜜茶が、湯気を立てていた。


「失礼ですが、リシュ殿。お若い」

「二十二です」

「私の長男と、同じ年です」


伯爵は軽く笑った。

それは、本物の笑顔だった。


「単刀直入に申し上げます。リシュ殿、王宮では、貴領の急激な税収増について、二つの噂が立っております」


伯爵は湯飲みを置いてまっすぐ、俺を見た。


「一つ目。貴領は、密貿易か、もしくは、闇の商売に、手を染めているのではないか」

「ふむ」

「二つ目。貴領は、王国に存在しないはずの、何らかの、奇跡的な経営術を導入しているのではないか」

「ふむふむ」

「どちらでしょう」


俺は軽く笑った。


「二つ目だと、思います。ただし、奇跡ではないんです。ただの、整理術です」

「整理術」

「お見せしましょう」


俺はベルントに台帳を、持ってこさせた。


新しい複式簿記の台帳。

そして、KPIシートのコピー。

さらに、領内の三ヶ月計画のガントチャート。

最後に、ピラミッド型の方針書。


四点を、応接室の机の上に、広げた。


ローラン伯爵はそれをぱらりとめくった。

最初の台帳。

彼の眼鏡の奥の目が止まった。


二枚目をめくった。

止まったまま、めくった。


三枚目、四枚目。

彼の指は徐々に、震え始めた。


伯爵は台帳の上に、両手を置いてしばらく何も、言わなかった。

彼の呼吸が徐々に、深くなり、深くなり、最後にはほとんど、ため息になっていた。


「リシュ殿」

「はい」

「これを、お考えになったのは、どなたですか」

「私です」

「お一人で」

「ええ、まあ」


伯爵はもう一度、台帳に、目を落とした。

それからゆっくり、顔を上げて、俺をまっすぐ見た。


「私は王宮で、十五年、財務官をしております」

「はい」

「いま、私の目の前にある書類は、王宮の財務局の、上位五人ですら、書けないものでございます」


俺は頭をかいた。

これ、ただの新人研修の課題レベルなんだけどと、心の中で呟いた。


「私はいま、目の前で、何か、歴史的な瞬間に、立ち会っております」


伯爵は低い声で、そう告げた。


それから、彼は湯飲みを、手に取った。

だが、口に運ぶ前にまた、置いた。


「リシュ殿。お願いがございます」

「なんでしょう」

「この、四つの様式を、王宮で、私の部下たちに、教えていただけないでしょうか」

「王宮にですか」

「はい。それと、もう一つ。陛下に、貴殿のお話を、お伝えしたい」


俺は笑った。

ついに来たと思った。


「お役に立てるなら、いつでも」

「ありがたい。早ければ、来月、陛下からの正式な招請状が、届きます」


伯爵は深く頭を下げた。

それから改めて、台帳をぱらりとめくった。


「リシュ殿、もう一つ、伺ってよろしいか」

「どうぞ」

「貴領は、これから、どこを目指されていますか」

「短期では、領民の生活水準の安定。中期では、王国全体の財政改革に貢献すること。長期では、できれば、自分の人生を、もう少し、生きてみたいですかね」


俺は最後の一文をつい、本音で答えてしまった。


ローラン伯爵はその答えに、不思議そうに、首を傾げた。

それから、何か、悟ったような顔で深く頷いた。


「リシュ殿、貴殿は、私が知る、どの貴族とも、違いますな」

「悪い意味で?」

「いえ。たいへんに、健全な、意味で」


俺はその答えになぜか、ほっとした。


伯爵はその日のうちに、領主館を出発した。

別れ際、彼は俺の手を両手で、握った。

彼の手は、文官のわりに、節くれて、強かった。


「リシュ殿、王都で、お待ちしています」

「はい」

「それと、ご注意を」

「と言うと」

「王宮には、貴殿の改革を、快く思わない者も、必ず、おります。特に、宮廷魔術師局の、カイル殿。彼には、ご注意を」


俺はその名前に、ぴくと、反応した。


カイル。


「カイル殿というのは、どんな御方ですか」

「三年前、突然、王都に現れた、若い魔術師です。瞬く間に、宮廷筆頭まで、上り詰めました」

「ふぅん」

「銀髪、灰色の目。爽やかな笑顔。だが、私の知る限り、彼の本当の心は、誰にも見せたことが、ありません」


俺はその描写を聞きながら、背筋に、薄い冷たい何かが走るのを感じた。


月村裕也。

銀髪、灰色の目、爽やかな笑顔、本当の心を、誰にも見せたことがない。


似ている。

というか、ほぼ同じ。


「ご忠告、ありがとうございます」


俺は伯爵の手を強く、握り返した。


伯爵の馬車が、領都の門を、出ていったあと。

俺は館の屋上に、一人で、登った。


冬の風が、強かった。

頬が、痛い。


「月村がいる、と仮定しよう」


俺は空に向かって低く、呟いた。


「あいつ、もし、ここにも、いるなら」

「もう、絶対に、踏み台にはならない」


風が強く、吹いた。

俺の長い金髪が一瞬、視界を、白く、覆った。



その夜。

俺は執務室で、ベルントと、王都行きの準備を、整理していた。


「ベルント。俺が王都に行ってる間、領地の運営は、君にすべて、任せる」

「は、はい」

「不安か?」

「正直たいへんに、不安でございます」


ベルントは白い髭を、震わせた。

俺は笑った。


「大丈夫だ。すでに、仕組みは、できている。君は、その仕組みを、回すだけでいい」

「と申されますと」

「会計は、複式簿記で、毎日、つける。月末に、左右が一致しなければ、原因を探す。これだけだ」

「は、はい」

「冒険者ギルドの依頼の評価は、KPIシートで、ドリアン殿に、任せておけばいい。彼はもう、その仕組みを、ちゃんと、使いこなしている」

「は、はい」

「衛生問題は、スライムの配置が、もう少しで完了する。あとは、各村が、自分で、まわせる」

「は、はい」

「困ったら、エマに写本帳の何ページを見るか、聞けばいい。あの子は、俺のやってきたことをすべて、整理してくれてる」

「は、はい」


ベルントは頷きながら、メモを取っていた。

彼の手はもう、震えていなかった。


「ベルント」

「はい」

「もう一つだけ。重要なこと」

「は」

「俺がもし、王都で、何かあって、戻ってこられなくなった場合」


老人の手が止まった。


「その場合は、領地を、君と、エマと、ナタリアと、ドリアンの四人で、合議制で、運営してくれ」

「リシュ様」

「いいか。誰か、一人に、すべてを任せると、その人間が倒れたとき、領全体が、倒れる」

「は、はい」

「だから、四人だ。意思決定は、多数決でいい」

「畏まりました。ですが、坊ちゃま」

「うん」

「坊ちゃまは、必ず、戻っていらしてください」


ベルントは深く頭を下げた。

彼の声は低く、震えていた。


俺はその肩に軽く、手を置いた。


「戻るよ。約束する」


そう言いながら、頭の中では、月村のことを、考えていた。


もし本当に、月村がこの世界に、いるとして。

あいつが、もし、宮廷魔術師として、王宮にいて。

あいつが、もし、俺の正体に気づいたら。


たぶん、ろくなことに、ならない。


それでも。

俺は行かなければ、ならない。

ローラン伯爵の依頼を、断る選択肢は、なかった。


なぜなら、王宮を変えれば、王国が、変わる。

そして、王国が変われば、この世界の、いろんな人が、生きやすくなる。


それはたぶん、俺の最初の「自分のために生きる」ことの、答えだった。


人を救うこと。

それが、俺のこれまでも、これからも、唯一、迷わずに、できることだった。



執務室の窓を、誰かが、コツと、叩いた。

振り返ると、エマが月明かりに照らされて、立っていた。

彼女は、両手で、新しい写本帳を、抱えていた。


「リシュ様。御出立に備えて、これまでの記録を、一冊に、まとめましてございます」


彼女は、それを、俺の机の上に、そっと、置いた。

表紙には、ピラミッドの紋様が、金糸で、刺繍されていた。


「これは、お守り、と思っていただければ」

「お守りか」

「はい。リシュ様が、王都で、お困りになったときに、お役に立てればと」


俺は写本帳の、その金の刺繍を、指で、なぞった。

冷たいはずなのになぜか、少し、あたたかい、気がした。

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