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徹夜明けの経営コンサルが異世界転生して、議事録一枚で滅亡寸前の王国を救った件  作者: もしものべりすと


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第六章 複式簿記と複利の魔法

書状は、想像していたよりも、丁寧な文面だった。


「アステリス領の財政再建について、王都の財務官として、いちど、貴殿のお話を伺いたく」


差出人は、王宮財務局の次官、ローラン伯爵。

署名の横に、伯爵家の小さな紋章が押されていた。


「ベルント。これ、どう思う」

「正直に申せば、悪い話ではないかと」


ベルントは書状を、二度、読み直していた。


「ローラン伯は、王都の文官の中では、極めてまっとうな御方と聞いております。先代様も、生前、お会いになったとか」

「クリーンな官僚、か」

「クリ……?」

「ああ、すまない。汚れていない、という意味だ」


夜が明けて。

俺はローラン伯への返信を書いた。


「貴殿の御訪問を、心よりお待ち申し上げる」


短い文面だが、これでいい。

次に動くべきは、こちらだ。


返信を使者に渡してから、俺はベルントを執務室に呼んだ。


「ベルント。今日から、本格的に、会計の改革を始める」

「カイケイ、と申されますと」

「お金の動きをすべて、決まった様式で、記録していく仕組みのことだ」


俺は新しい羊皮紙の一枚に、左右に縦線を引いた。

左を「借方」、右を「貸方」と、書いた。


「これが、複式簿記の基本だ。すべての取引を、左と右の二箇所に、同時に記録する」

「同時に、二箇所ですか」

「うん。たとえば、領兵団の食料を、五十銀貨で買った。これは、左の『食料費』に五十、右の『現金』にマイナス五十、と書く」

「な、なるほど」

「すると、左の合計と、右の合計が、必ず、一致する。ここが、ずれたときは、必ず、どこかで、何かが、おかしいということになる」


ベルントの目が、見開いた。


「ずれた時に、わかる、と」

「うん。間違いも、不正も、ずれとして、見える」

「不正、と申されますと」

「お金をくすねる人間がいた場合の話だ」


ベルントは椅子の上で、固まった。

彼はしばらく、何も言わなかった。

それから、両手で、顔を覆って深く、深く息を吐いた。


「……坊ちゃま」

「うん」

「お祖父様の御代に、私の前任者でありました会計役が、その、領のお金を、勝手に持ち出して、賭博に費やしまして」

「ふむ」

「それが、領の財政が傾き始めた、最初の事件でございました。当時、誰一人、それを、明確に証明できなかった。だから、罰することも、できなかった」


老人の声が、震えていた。


「これが、もっと早く、私の代に、入っていれば」

「ベルント、いまからでいい。これからの不正はもう、起きない」


俺は優しく、そう告げた。


ベルントは頷いた。

頷いて、両手を震わせていた。

彼の目に、涙が滲んでいた。


「ベルント、もう一つ、教えたいことがある」

「は、はい」

「複利、というやつだ」


俺は新しい紙の上に、簡単な数字を書いた。


「いま、領内に、流通する銀貨の一部を、商業ギルドに預けて、年五分の利息を取る、と仮定する」

「年五分」

「百銀貨が、一年後に、百五銀貨になる」

「は、はい」

「ここで、利息も含めた百五銀貨をまた、商業ギルドに預ける。二年目は、その上に五分が乗る。すると」


俺は計算式を書いていった。

百、百五、百十・二五、百十五・七六、百二十一・五五。


「五年で、二十一銀貨、増える」

「お、おお」

「これが、複利。元金が、雪だるま式に増える仕組みだ」


ベルントが紙にしばらく、見入っていた。


「これは、まるで、錬金術ですね」

「うん。だから、現代では、複利は、世界八番目の不思議って呼ばれてる」

「世界、ハチバンメ、フシギ」

「ああ、すまない。なんでもない、慣用句だ」


俺は頭をかいた。

ベルントはそれでも、笑った。


「坊ちゃま、私もう何度も、心臓が止まりそうになりました。坊ちゃまのお言葉を聞くたびに、頭の中で、これまで答えが出なかった問題が、ぱちぱちと、解けていきます」


老人は本当に、こめかみを押さえていた。


その日の午後。

商業ギルドの長老が、領主館を訪ねてきた。

彼の名前は、グスタヴ。

七十代の、白い長髭の老紳士。

領内の流通の九割を握る、商人の頂点だ。


「リシュ様。失礼を承知で、急に押しかけました」

「いえ、こちらこそ。何のご用件で」

「噂を聞きました。坊ちゃまが、王都との取引について、大きな構想をお持ちだと」


俺は笑った。

噂、というのはたぶん、ナタリアあたりから、商業筋に流れたのだろう。


「構想と言うほど、大層なものでは。ただ、ご相談したいことが確かに、あります」


俺はグスタヴに複利の図を見せた。


老人はしばらく、目を瞬かせていた。

それから、目を極限まで、見開いた。


「これは……これは本当に、年五分の利息で、預けたお金が、雪だるま式に、増えていく、ということでございますか?」

「ええ」

「では、たとえば、十年間、預けたら……」


グスタヴは震える指で、紙の上に、計算を始めた。

だが、途中で、彼の手は、ぱたりと、止まった。


「……これは、私が半生をかけて、追い求めた商売の、はるか上を行く話でございます」


老人は椅子から、ずるりと、滑り落ちた。

床に、座り込んだ。

だが、笑っていた。

両手の老斑だらけの拳を、頭の上に、突き上げて、笑っていた。


「リシュ様!私の人生に、これほどの素晴らしい一日は、ございません!」


俺はベルントと、目を合わせた。

ベルントはただ深く頷いた。


老人が落ちつくのに、たっぷり、半刻はかかった。

落ちつくと、グスタヴは改めて、椅子に座り直し、両手を膝の上で、組んだ。


「リシュ様。商業ギルドは、本日より、アステリス領の財政再建に、全面的に協力いたします」

「ありがとう、グスタヴ殿」

「いえ。私のような商人にとって、これは、利益どころか、信仰の対象でございます」


老人は本気で言っていた。


その日の夕暮れ。

領都の小道を、ベルントと並んで歩いた。

ベルントの足取りは、いつもよりずっと、軽かった。


「ベルント、半年ある。半年あれば、領は、生まれ変わる」

「はい。坊ちゃま、これは、私の人生の、最後の御奉公かもしれません」


老人は空を見上げた。

空にはもう、星が一つ、ぽつんと、出ていた。


俺もその星を見上げた。


ふと、頭の片隅で、月村の顔がよぎった。

あいつ、いま、何をしているだろう。

たぶん、何も知らずに、ゴルフかキャバクラだろう。


それはもう、俺には、関係ない世界だ。



館に戻ると、エマが廊下で、俺を待っていた。

彼女の腕には、しっかり、写本帳が抱えられていた。


「リシュ様、本日のグスタヴ様とのやり取りすでに、清書いたしました」

「速いな」

「物書きが、いまの私の唯一の特技でございますから」


エマははにかんで、頭を下げた。


俺はその写本帳をぱらりとめくった。

複利の計算式が、美しい筆致で、書き写されていた。

さらに、その横に、エマ自身の小さな注釈が、書き足してあった。

「これは、世界の八番目の不思議と、リシュ様が仰せでした」


俺は思わず、笑った。


「ちゃんと、注釈までつけてくれてるんだ」

「えっ。失礼でしたか?」

「いや、嬉しいよ。ありがとう」


エマの頬がぱっと、赤くなった。

それを見るたびに、俺は彼女が、まだ十八歳の少女であることを、思い出す。

あまりに有能で、忘れそうになる。


「エマ、これからも、頼む。たぶん、これから、もっと、たくさんの記録を残していくことになる」

「は、はい。喜んで」


彼女は、写本帳を、胸に、ぎゅっと、抱いて、礼をした。


俺は執務室に戻った。

机の上に、ベルントが新しい台帳を、整然と、並べていた。

左の借方、右の貸方。

新しい仕組みでの、最初の一日分の記録。


俺はそれをぱらりと捲った。

左の合計、右の合計。

ぴたりと、一致していた。


それを見たとき、俺はなぜか不意に、目頭が熱くなった。

コンサル業界では、当たり前のことを、当たり前にやっているだけ。

だが、この世界では、それが、どれほどの希望を、人に与えるか。


俺は深呼吸をして、頬をこすった。


明日、王都から、ローラン伯が、やってくる。

俺は彼にこの台帳を、堂々と、見せるつもりだった。



窓の外に、夜風が、少し強くなった音がした。

木の枝が、軋む。

夜はたぶん、これから、もっと、深くなる。

俺はろうそくの芯を、もう一本、立て足した。



それから、新しい羊皮紙の一枚を、机の上にすっと、置いた。

頂点に「明日の議事案、ローラン伯訪問」と書いて、ピラミッドの形に、論点を、整理し始めた。

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