第十七章 ストーリーラインの構築
翌朝、合同軍の出発の前。
俺は王宮の中庭で、マリエル王女と、二人だけで、会った。
朝霧が、薄く、薔薇園を、覆っていた。
霜が、白い薔薇の花弁の縁を、銀色に、縁取っていた。
「リシュ殿、御出立ですね」
「はい」
「私も同行を、お願いいたします」
俺は首を傾げた。
「マリエル様、戦場ですよ」
「ええ、存じております」
「危険、です」
「だから、こそ」
彼女はまっすぐ、俺を見上げた。
「私は王女として、生きてきました。父上のために、王国のために。私自身の決断は、一つも、ありませんでした」
「は、はい」
「リシュ殿が、私に最初に、御問いになった日。私が欲しいもの。それは、私自身の、決断、でございます」
俺は頷いた。
深く頷いた。
「父上には、私から、お話しいたしました。父上は、お許しに、なりました」
「お父上が」
「ええ。父上も、私が変わったことを見ておられました」
俺は笑った。
「マリエル様、ご同行を、歓迎いたします」
「光栄でございます」
そして。
昼前。
王都の北門から、出発した合同軍は、二万。
うち、五千は、ザイラス率いる魔王軍。
一万五千は、王国軍と、商業ギルドの輸送隊と、冒険者ギルドの遊撃隊。
俺の周りには、ベルント、ナタリア、ドリアン、エマ、ローラン伯爵、そして、マリエル王女。
さらに、ザイラス本人が、上空を、飛んでいた。
街道沿いの村人たちは、最初、魔王軍に、怯えていた。
だが、ザイラスが地上に降りて、一人の老婆に優しく、頭を下げて、通り過ぎる、その姿を見て徐々に、警戒を、解いていった。
「ザイラス陛下は、よっぽど、優しい御方ですね」
エマが馬車の中でぽつりと言った。
「百年も、世界の混沌を、自分の領土で、受け止めてくれてた人だ」
「リシュ様、それを、皆に、お話しに、なれば」
「いまはまだ、早い。話すべき時に、話す」
俺は馬車の窓から、空を見上げた。
ザイラスの巨大な影が、雲の合間を、ゆったり、飛んでいた。
辺境への行軍は、六日かかった。
途中、ベルジア要塞の前を、通り過ぎた。
ロデリック将軍が要塞の門の前に、整列して、合同軍を見送った。
将軍は俺を見つけて深く頭を下げた。
俺も同じように、頭を下げた。
合同軍が、辺境のアステリス領に、到着した日の夕暮れ。
領主館の前で、領民全員が、集まって、出迎えてくれた。
誰もが、痩せていなかった。
誰もが、笑っていた。
半年前の、灰色の領都とは、まったく違う光景だった。
ベルントが馬車から、降りた瞬間、領民の一人の老女が彼に両手を伸ばして、抱きついてきた。
ベルントはその老女の頭を軽く、撫でた。
老女が嗚咽の中で、何度も「ありがとう」と繰り返していた。
俺はその光景を見ながらふと、自分の頬が、緩んでいることに気づいた。
これが、半年前、俺が目指していた、光景だった。
その夜。
俺は領主館の最奥、地下書庫の入り口の前に立った。
横に、ベルント、エマ、ナタリア、ドリアン、マリエル王女、ローラン伯爵、そして、人間の体の大きさにまで縮小したザイラス。
「ベルント、鍵を」
「は、坊ちゃま」
鍵が、回された。
重い樫の扉がゆっくり、開いた。
俺たちは、地下二階分の、巨大な石造りの部屋に、降りていった。
そして、その奥の、もう一つの扉の前に立った。
あの、ピラミッド型の溝が、彫り込まれた扉。
俺が半年前、エマと、ベルントと、三人で、開けた、扉。
「リシュ殿」
ザイラスが低く、囁いた。
「この扉の奥が、世界の根源の、入口である」
「ええ、知っています」
俺は扉を押した。
扉はすでに、開いていた。
中の、銅の壁は、淡い、橙色の光を、放っていた。
壁の表面の、ピラミッドの図形が、生きているように、息をしていた。
「これは……」
ローラン伯爵が息を呑んだ。
俺は銅の壁の前に、進んだ。
壁に、半年前、俺が書いた、ピラミッドの図形が、今夜は、はっきりと、光を、放っていた。
頂点に「アステリス領の再建」。
その下に、衛生改善、会計透明化、人材見える化。
それぞれに、補強事実、九つ。
「これが、生きてるピラミッドだ」
俺はぼそりと呟いた。
「皆さん、これから、私は新しいピラミッドを書きます」
「リシュ様、御役に立てることは」
エマが写本帳を、構えた。
「議事録の記録を、お願いします。すべての、瞬間を書き留めてください」
「は、必ず」
俺は銅の壁の、白紙の領域に、新しい羊皮紙を、貼り付けた。
そして、最後の、最も、重要な、ピラミッドを書き始めた。
頂点に「世界の根源の修復」。
根拠の柱、一本目「人間の世界の整備」。
二本目「魔王国の救済」。
三本目「世界そのものの再構築」。
書きながら、俺はふと、自分の手がわずかに、震えているのに気づいた。
これはたぶん、俺の人生で、最も、重要な議事録だった。
書き間違えれば、世界が、滅ぶ。
ピラミッドの頂点を書き終えた。
俺はふと、息を、つくために、銅の壁から、振り返った。
ベルントが壁際で、両手を握りしめて、立っていた。
彼の白い髭がわずかに、震えていた。
その目には、半年前、領主館で、台帳を開いた時の、戸惑いの表情はもう、なかった。
代わりに深い、信頼が、宿っていた。
エマは写本帳に、俺の議事録を、リアルタイムで、写していた。
彼女のペンの動きは極めて、速かった。
だが、一文字も、間違えていなかった。
ナタリアは書庫の入り口の脇で、剣を、抜いていた。
何かが、外から、侵入してきても、対応できる、構えだった。
彼女の目は、俺ではなく、書庫の外の、闇を見ていた。
それは、守る、ということを、意味していた。
ドリアンは銅の壁の、別の場所を見ていた。
そこには、半年前、俺が書いた、ガントチャートの図形が、淡く、光っていた。
彼はそれを見ながら、何度も頷いていた。
彼の目には、自分の冒険者ギルドが変わったことの、誇りがあった。
マリエル王女は銅の壁の、別のさらに別の場所を見ていた。
そこには、何故か、王宮の中庭の薔薇園の、簡単な平面図が、淡く、刻まれていた。
彼女は、それに、初めて気づいた、というように、目を見開いていた。
ローラン伯爵は銅の壁の、最も上の、頂点付近を見ていた。
彼の顔には、文官特有の冷静さの底に深い、感動が、滲んでいた。
ザイラスは人間の大きさになった姿で、銅の壁の前に、片膝をついていた。
彼の金色の目が、ピラミッドの根拠の柱の、二本目を見つめていた。
「魔王国の救済」と、書いた、その柱。
彼の頬に、一筋、銀色の涙が、流れていた。
俺はふと、自分の周りの、六人の姿を見て深く息を吐いた。
これが、ステークホルダーだ。
利害関係者。
ピラミッドの頂点に立つ俺を底辺で、支えてくれている、人々。
「皆さん」
俺は低く、呟いた。
「世界の根源の、三本目の柱は、私一人では、整えられません」
書庫の中の、六人の目が、俺に向いた。
「皆さんの、力を、お貸しください」
「もちろん、坊ちゃま」
「もちろん、リシュ様」
「もちろん、貴族様」
「もちろん、リシュ殿」
六つの声がほぼ、同時に、答えた。
俺は頷いた。
頷いて、銅の壁にもう一度、向き直った。
新しいピラミッドの、補強事実の領域に、俺は六人の名前を、一つずつ、書いていった。
ベルント、エマ、ナタリア、ドリアン、マリエル、ローラン、そして、ザイラス。
さらに、王都に残してきた、ロデリック将軍と、商業ギルドの最高長老の名前も、書き加えた。
最後に、ベルジア要塞で、出会った、徴発の契約に応じてくれた、村長たち、全員の名前も、書き加えた。
書き終えた時。
銅の壁が、淡い橙色から徐々に、白い光に、変わり始めた。
「リシュ様、これは」
エマが息を止めて、写本帳を抱きしめた。
「皆の名前が、世界の根源に、繋がっていく、ということだ」
俺は低く、答えた。
これは、コンサル業界で言う「ストーリーライン」の、最終形だった。
頂点の結論を、誰が、どう、支えるか。
それをすべて、紙の上で、明確にする。
そうすれば、結論は、必ず、実現する。
銅の壁の光が徐々に、強くなった。
書庫の中の、闇が、後ろに、引いていった。
俺は深く息を、吸い込んだ。
これから、世界の核と、対峙する。




