第十六章 ステークホルダー結集
魔王軍が、王都の外壁の前に、到着したのは、その日の夜半だった。
王都の北の城壁の上から、俺はその光景を見た。
平原を、覆い尽くす、無数の松明。
その上空に、無数の翼を持った魔族の影。
地上の足音が、地響きを、引き起こしていた。
夜空を、覆うほどの、数。
だが。
なぜか、攻撃は、来なかった。
魔王軍は、王都から、約一里、離れた地点で、整然と、停止した。
そして、本陣から、白い旗を、掲げた、伝令の魔族が、二名、王都に、向かって、進み出た。
「停戦交渉、です」
ローラン伯爵が息を呑んだ。
俺は頷いた。
これは、想定していた展開の、一つだった。
だが、想定していた、いくつかのうちの、最も、低い確率のものだった。
「私が応じます」
「リシュ殿、お一人でですか」
「いえ。エマと、二人で」
エマが写本帳を、ぎゅっと、抱きしめて、頷いた。
俺は王都の北門の前で、白い布を振った。
魔王軍からの伝令の魔族と、合流した。
彼らは、俺たちを、魔王本陣の天幕に、案内した。
天幕の中は、思ったよりも、明るかった。
中央に、巨大な黒い玉座。
そこに、紫の長衣を、纏った、巨人が、座っていた。
魔王ザイラス。
身長、約三メートル。
肌は、黒に近い、深い灰色。
頭からは、湾曲した、二本の角。
眼は、深い金色。
が。
俺は彼を一目見て、わかった。
彼はぼろぼろに、疲れていた。
玉座の肘掛けに、左の頬をつけて、もたれていた。
甲冑は、磨かれていたが、彼自身の身体は、痩せていた。
過去数年、ろくに、休んでいないのが、目に、見えてわかる、姿だった。
「あなたが、ザイラス陛下ですか」
俺は深く頭を下げた。
「である」
魔王の声は、太く、しかし、疲労感に、満ちていた。
「リシュ・アステリス、と申すか」
「左様にございます」
「貴殿の評判は、聞いておる」
「光栄でございます」
魔王はふっと息を吐いた。
それからしばらく、目を閉じた。
俺はその間、待った。
エマも横で深く頭を下げていた。
「リシュ殿」
魔王が目を開いた。
「貴殿の議事録の、写しを見せていただけぬか」
俺はまばたきを二回した。
「議事録でございますか」
「ええ。貴殿の、ピラミッド構造の、議事録だ」
俺はエマに目で、合図した。
エマが写本帳の中の、最初の方の頁を開いて、魔王に差し出した。
辺境の領地再建の、最初のピラミッド。
魔王はそれを、巨大な指で、慎重に、受け取った。
そして長らく、じっと、見つめていた。
頷いた。
そして、ふっと笑った。
「やはり、貴殿だな」
「と、申されますと」
「世界の崩壊を止められる、唯一の御方」
俺と、エマは同時に、息を止めた。
「ザイラス陛下、御説明を、いただけますか」
魔王は深く頷いた。
それから、玉座の脇の机から、一枚の、古びた羊皮紙を取り出した。
それを、俺に見せた。
そこには。
俺の知っている、ピラミッド・ストラクチャーの、巨大な図形が、描かれていた。
頂点に「世界の根源」と書かれていた。
根拠の柱、三本。
それがすべて、ひび割れていた。
ひびの中から、黒い影が、漏れ出していた。
「これは」
「これが、世界の、現状である」
魔王は低く、続けた。
「百年前、この世界の根源を、整えていた、三本の柱が、ひび割れた。原因は、わからぬ」
「ふむ」
「以来、世界の各地で、魔物が、湧き出すようになった。我が魔王国も、その犠牲者である」
「と、申しますと」
「我らは、本来、悪ではない。世界の根源の、ひび割れから、湧き出す、混沌そのものを、我が領土で、受け止め続けてきた。だが、もはや、限界である」
魔王はぐったりと、玉座に、もたれた。
「魔王国の領土は、過去百年で、十分の一まで、縮小した。我らはすでに、滅亡の、直前である」
俺は彼の言葉を聞きながらふと、頭の中で、過去半年の、すべての出来事が、繋がっていく、感覚を、覚えた。
辺境の地下書庫の、銅の壁。
ピラミッド構造の魔導陣。
教会が禁書とした「悪魔の幾何学」。
そして、エマの言った「世界を整える形」。
すべてが、ここに、繋がっていた。
「ザイラス陛下、ひとつ、確認させていただきたい」
「申せ」
「世界の根源の、三本の柱を、修復することは、可能ですか」
「可能である」
「その方法は」
「貴殿のピラミッド・ストラクチャーの議事録を、根源の柱に、当てる、のみである」
俺は頷いた。
「では、なぜ、戦争を、仕掛けるのですか」
魔王がふっと笑った。
「貴殿に、会うためである」
「私に」
「人間の王国は長らく、我らを、敵視してきた。我らの使者はすべて、首を撥ねられた。だから、軍を、率いて、来るしか、なかった」
俺は苦笑した。
「ご苦労様でございます、ザイラス陛下」
魔王は深く頷いた。
そして、彼の目に、初めて、涙が滲んだ。
「リシュ殿。我が民を、救っていただきたい」
巨大な魔王の身体が、玉座の上で深く頭を垂れた。
角の先が、玉座の床に触れた。
世界の最強格が、二十二歳の青年の前に、頭を下げた。
エマが横で、息を止めた。
写本帳を、ぎゅっと、抱きしめた。
彼女の頬を一筋、涙が、流れていた。
俺は深く頭を下げて、こう、答えた。
「お任せください、陛下」
魔王は頷いた。
そして、彼は肩から、重い荷物を、下ろしたような深い、ため息をついた。
「リシュ殿、もう一つ、申し上げる」
「はい」
「世界の根源は、目に、見えぬ。だが、それを、整えるための、入口は、ある」
「入口ですか」
「貴殿の故郷の、地下書庫の、最も奥の、銅の壁」
俺は息を止めた。
辺境のアステリス領の、地下書庫。
俺が半年前、ベルントと、エマと、三人で、開けた、あの部屋。
「あれが、世界の根源の、入口でございますか」
「然り」
「そんな、辺境に」
「辺境こそ、世界の縁。縁にこそ、根源は、宿る」
魔王はふっと笑った。
それはたぶん、本物の優しい笑顔だった。
「リシュ殿、明朝、共に、辺境へ、参ろう」
「同行を、お許しいただけますか」
「ええ。我ら魔王軍も、王国軍も、共に、辺境を、目指す。世界の崩壊を止めるために」
俺は深く頷いた。
そしてふと思った。
ここまで、来るのに、半年だった。
だが、半年で、すべてが、繋がった。
「ザイラス陛下、もう一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「申せ」
「百年前、世界の根源を、整えていた、誰かがいたはずです」
「ええ」
「その方は、いま、どこに」
「貴殿の御祖先である、初代アステリス公爵だ」
俺は息を呑んだ。
初代アステリス公爵。
ベルントが領地で、語っていた、戦の天才で、数字に強かった、伝説の祖先。
「初代様は世界の根源を、整える役割を、持って、生まれた、稀有な人間であった」
「ふむ」
「その血が、貴殿に、流れている。だから、貴殿は、何もしていないのに、ピラミッド構造を、生まれながらに、書ける」
「なるほど」
「だが、初代様は百年前、世界の根源の、三本目の柱の、整え直しに、失敗した。原因は、ご自身の、心の、ある『傾き』であった」
「傾き、と申されますと」
「初代様は王国を、救うことだけを、考えておられた。御自身のことを、忘れておられた。世界の根源は、その『偏り』を、許さなかった」
俺は頷いた。
深く頷いた。
その瞬間、俺はようやく、自分が、なぜ、この世界に、転生したのかがわかった、気がした。
俺は前世で、他人のためにばかり、生きていた。
そして、過労死した。
死後、俺の魂は、初代アステリス公爵の、子孫の体に宿った。
そして、初代様が果たせなかった、世界の修復を、俺が果たすために、ここに、いる。
だが、俺は初代様と、同じ過ちは、犯してはいけない。
俺は他人のためだけではなく、自分のためにも、これを、やる、必要があった。
「ザイラス陛下、ご教示、ありがとうございました」
俺は深く頭を下げた。
「リシュ殿、明朝、出立を」
「は、必ず」
天幕を、出ながら、俺はエマに目で、合図した。
エマは深く頷いた。
彼女の頬の涙はもう、乾いていた。
代わりに、彼女の目には、強い、決意の光が、宿っていた。
王都に戻った夜半。
俺は戦略室で、ベルント、ナタリア、ドリアン、ローラン伯爵、そして、宰相と、緊急の会議を開いた。
「皆さん、明朝、辺境のアステリスに、向けて、出立します」
「辺境ですか」
「ええ。そこに、世界の崩壊を止めるための、唯一の入口があります」
ベルントがふと、目を見開いた。
「坊ちゃま、それは、まさか、あの、地下書庫の、奥の部屋でございますか」
「ご明察」
「ベルジア要塞での補給の、半分を、辺境への行軍用に、振り向ける必要が、ございますな」
「お願いします」
ベルントが頷いた。
「貴族様、私たちも、同行するんだろう」
ナタリアが剣の柄に、手を置いた。
「ええ、皆で、行きます」
「最高だな」
ナタリアは笑った。




