第十四章 完全なる失墜
玉座の間での御前会議は、二時間に及んだ。
俺は国王と宰相に王宮財政の現状、商業ギルドが押さえている腐敗の証拠、そして、ローラン伯爵の不当な拘束について、淡々と、報告した。
国王は痩せた顎を、震えるような手で、撫でながら、すべてを聞いていた。
「ヴァインベルクと、財務大臣を、王宮から、追放する」
国王が低く、宣言した。
「リシュ殿。財務改革は、貴殿の御指導の下、継続する」
「光栄でございます」
「ローラン伯爵の即時解放を、教会に、申し入れる」
「ありがたきお言葉でございます」
国王はふと、目を上げた。
「リシュ殿、もう一つ、申し上げる」
「はい」
「カイルについては、どう、お考えか」
俺はしばし、沈黙した。
それからゆっくり、答えた。
「陛下、彼の処遇は、陛下のお決めになることでございます。私は彼に対しては、何の私情も、ございません」
「ふむ」
「ただ、申し上げるならば。彼がローラン伯爵の拘束に、関与した、確固たる証拠が、もし、上がりましたら。その時は、毅然と、ご対処いただきたく」
国王は深く頷いた。
御前会議の翌日。
王宮は、混乱の最中にあった。
財務大臣と、ヴァインベルク男爵が、それぞれ、自宅軟禁となった。
彼らの利権を長らく、享受してきた、十数名の貴族が、慌てて、領地に、戻ろうとした。
だが、商業ギルドがすでに、彼らの取引相手に、圧力をかけていた。
彼らの逃げ場はほとんど、なかった。
そして、夕刻。
カイルが密かに、王宮を、出ようとしているという、情報が、王都商業ギルドから、もたらされた。
俺はすぐに、宰相に報告した。
宰相は即座に、王宮の門に、警備の騎士を、増員させた。
カイルは王宮の南門で、足止めされた。
彼はその場で、抜剣した。
警備の騎士、四名を、斬り伏せた。
彼の魔術は、宮廷筆頭の名に、相応しい威力だった。
紅蓮の炎が、王宮の南門の石壁を、焼いた。
雪混じりの夜空に、火柱が、立った。
炎の匂い、焦げた石の匂い、そして、血の匂いが、王宮の中庭に、流れ込んだ。
俺はその時、王宮の塔の上から、その光景を見ていた。
カイルは最後の最後で、王宮そのものに、火を、放った。
彼の最後の足掻きは、自分の追っ手を振り切ることでも、王宮を破壊することでも、なく。
王宮の機密書庫の、自分に不利な証拠の書類を、焼き払うこと、だった。
書庫が、燃えた。
だがすでに、すべての重要な証拠は、商業ギルドの手で、複製が、王都中に、散布されていた。
カイルの放火は、何の意味も、為さなかった。
カイルはその夜、王都の北の城壁の上で、警備の騎士、二十人に、囲まれた。
俺は報告を受けて、北の城壁に、駆けつけた。
雪が、止んでいた。
夜空に、月が、出ていた。
カイルは城壁の上で、ぼろぼろの宮廷服のまま、剣を垂れ下げて、立っていた。
彼の顔は、煤で、黒く、汚れていた。
銀髪が、月光で、白く、輝いていた。
「カイル!投降せよ!」
宰相が城壁の下から、叫んだ。
カイルは答えなかった。
ただ、城壁の上で、ふっと笑った。
それから、俺を見つけた。
俺と、目が合った。
「相沢」
カイルが低く、呟いた。
俺以外の人間にはたぶん、聞こえない声で。
「お前は、結局、勝ったな」
「俺は勝つために、戦ったわけじゃない」
「いや、お前は、勝つ。お前はいつも、勝つ。ただ、お前は、それに、気づいてないだけだ」
カイルは剣を降ろした。
「俺はお前みたいに、なりたかった」
「ほう」
「お前みたいに、誰のためでもなく、ただ、目の前の問題を、解いてれば、よかった」
「それは、お前にも、できる」
「できない。俺はもうずっと、誰かを、踏みつけることでしか、上に、登れない男だ」
カイルは目を伏せた。
そしてふと、顔を上げた。
「相沢、最後に、頼みがある」
「ん」
「俺をここで、捕まえないでくれ」
「と、いうと」
「俺はもう、ここでは、生きていけない。だから、北に、逃がしてくれ」
俺は宰相に目で、合図した。
宰相が首を傾げた。
「カイルは自ら、王宮を、去る、と。王国の地から、退去する、と」
俺は宰相にそう、伝えた。
宰相はしばし、黙考した。
それから深く頷いた。
「逃げ道を、空けよ」
宰相が警備の騎士たちに、命じた。
騎士たちが、二歩、後ろに、引いた。
北の城壁の下に、細い月明かりの道が、空いた。
カイルは城壁の上から、降りた。
彼は俺の前を、通り過ぎる時、ほんの一瞬、止まった。
「相沢」
「ん」
「お前、こっちの世界で、何を、するつもりだ」
「決めてない」
「決めてないのか」
「ああ。とりあえず、目の前の問題を、解いたらたぶん、元の世界に、戻る気がする」
「ふん」
カイルは笑った。
それは、爽やかな笑顔でも、薄い笑顔でも、なく。
たぶん、俺が彼と知り合って、六年半で、初めて見る、彼の本当の、笑顔だった。
「俺はこっちで、もう少し、生きてみる」
「そうか」
「お前みたいに、生きてみる。たぶん、無理だろうけど」
「無理じゃないよ。たぶん」
カイルは頷いて、北の城壁の道を降りていった。
彼の銀髪が、月光に、揺れて、やがて、闇に、溶けて、見えなくなった。
その背中を見送りながら、俺はふと思った。
俺は彼に復讐を、しなかった。
俺は彼を罰しもしなかった。
俺はただ、目の前の問題を、解いた、だけ。
だが、彼は自分自身の手で、自分の地位を、失った。
これがたぶん、最高の、結末、なのだと、俺は思った。
王宮に戻った夜半過ぎ。
俺は執務室で、ローラン伯爵と、再会した。
伯爵は教会から、即時、釈放されていた。
彼は頬に、わずかな擦り傷を残していた。
だが、目には、いつもの、文官の鋭さが、戻っていた。
「リシュ殿、御無事で」
「伯爵こそ、御無事で」
「教会の地下牢は、想像通り、寒うございました」
伯爵は苦笑した。
それからふと、真顔になった。
「リシュ殿、今夜、北方からの伝令が、入りました」
「北方、と申しますと」
「魔王軍の本隊が、ベルジア要塞を、迂回して、王都に、向かっております」
俺は机の上の地図を開いた。
ベルジアから、王都までは、平地、約十日の行軍距離。
だが、魔王軍は、空を、飛ぶ。
地上の街道を、迂回できる。
「いつ、到達しますか」
「最速で、三日後」
俺は頷いた。
「伯爵、王都の備蓄は」
「すでに、商業ギルドと、連携して、戦時体制への移行を、開始しております」
「素晴らしい」
「これはすべて、貴殿の御指導の、おかげでございます」
伯爵が深く頭を下げた。
俺は執務室の窓を開けた。
雪は、止んでいた。
夜空には、月が、煌々と、出ていた。
三日後。
俺はおそらく、王都の防衛戦の、中央で、指揮を、執ることになる。
コンサルが、戦場の指揮を、執るのはたぶん、現代でも、異世界でも、稀な、光景だろう。
だが、俺の仕事は、戦闘ではない。
情報と、補給と、ストーリーラインの設計。
それがある限りたぶん、勝てる。
「伯爵」
「はい」
「明朝、辺境のアステリス領に、急使を出してください」
「と、申しますと」
「ベルント、ナタリア、ドリアン、エマ。この四人に、最速で、王都に、合流するように、お願いします」
「畏まりました」
俺は写本帳の表紙の、金糸のピラミッドを、指で、なぞった。
エマが清書してくれた、過去半年の、すべての改革の記録。
ベルントが整えた、複式簿記の台帳。
ナタリアのKPI管理表。
ドリアンの冒険者ギルドの体制。
これらを、一つの、巨大なストーリーラインに、編み直す時が、来ていた。
「伯爵、もう一つ」
「はい」
「マリエル王女に伝言を、お願いできますか」
「なんなりと」
「『私自身として、戦いに、参加していただきたい』と。それだけで、彼女には、伝わります」
ローラン伯爵は首をわずかに、傾げた。
だが何も、聞き返さずに深く頷いた。
「畏まりました。明朝、すぐに」
俺はローラン伯爵が執務室を、辞した後、ひとり、椅子に深く、腰を下ろした。
最終決戦が、近い。
これまでの、すべての改革、すべての出会い、すべての別れが、一つの、戦いに、集約される。
俺の議事録一枚が、どこまで、世界を、変えられるか。
それを、試す時が来た。
俺は目を閉じた。
明日、辺境の四人が、到着する。
明後日、戦いが、始まる。
窓の外、月が、雲に、隠れた。
寝室への扉に、手をかけた、その時。
俺はふと、自分の影が、長く、廊下の床に、伸びているのを見た。
影はなぜか、ひとりではなく、もうひとつ、誰かの形が、重なっているように、見えた。




