第十三章 裏切りのコンサル
軟禁の二日目、王宮の客室の扉が、深夜に、ノックされた。
俺はベッドから、起き上がった。
扉をわずかに、開けると、廊下に、影が、一つ、立っていた。
ローラン伯爵の補佐官だった。
「リシュ殿、緊急の事態でございます」
彼の声は、震えていた。
室内に、滑り込んだ補佐官は、扉を、後ろ手で、閉めて、声を、潜めた。
「先ほど、財務局に、教会の使者が、参りました」
「ふむ」
「貴殿の補給革命に関する、すべての書類の、提出を、要求されました」
「徴発の契約書ですか」
「はい。それと、王宮内に残しておられた、すべての写本帳の、複製も」
俺は唇を、噛んだ。
教会は、俺の足元を徹底的に、掘り起こすつもりだ。
そして、その指揮は、間違いなく、カイル。
「補佐官、写本帳の複製は、ローラン伯爵がすでに、別の場所に、移してくれていますか」
「いえ、それが」
補佐官の顔が、青ざめた。
「それが、本日、夕刻、ローラン伯爵がご自宅から、教会に、連行されました」
「連行?」
「はい。貴殿との共謀の疑い、と」
俺は椅子に深く、腰を下ろした。
これは、コンサル業界で、最悪のパターンだった。
クライアントの内側で、改革を、推進していた、最大の味方が、真っ先に、潰される。
そして、改革の責任がすべて、外部の俺に押し付けられる。
「補佐官。落ち着いて、聞いてください」
「は、はい」
「ローラン伯爵の御家族は」
「奥様と、御子息様は、いま、ご自宅で、軟禁の状態でございます」
「では、明朝、最初に、商業ギルドの最高長老に、伝言をお願いできますか」
「な、なんなりと」
「『約束の証拠は、こちらに、ある。動いて構わない』と」
補佐官の目が、見開いた。
「リシュ殿、それは」
「いいから、それだけ、伝えてください。あとは、長老が、判断する」
「畏まりました」
補佐官が深く頭を下げて、退室した。
俺は寝室の窓を開けた。
雪が、すでに深く、降っていた。
王宮の中庭の薔薇園が、真っ白に、染まっていた。
雪の匂い。
冷たい湿った、鉱物のような匂い。
俺は写本帳の表紙の金糸の刺繍を、月明かりで、見つめた。
ピラミッドの三角形。
頂点を、指で、押した。
ローラン伯爵が潰された。
これは、改革の側にとって、相当の打撃だ。
だがまだ、終わってはいない。
商業ギルドの最高長老はすでに、王宮の腐敗の証拠を、自分たちの手で、集めていた。
ヴァインベルク男爵の納入業者への賄賂、税の徴収係の横領、貴族たちへの便宜供与。
俺が最高長老に、預けた合言葉は、その証拠を、教会と、王宮の枢機卿評議会以外の、すべての場所に、配布するための、合図だった。
つまり。
カイルが俺の改革を、教会の手で、潰そうとした、まさにそのタイミングで。
王宮の腐敗の証拠が、王都中に、ばら撒かれる。
教会自身も、その腐敗の網に、絡み取られている。
教会は、俺を異端と認定する余裕を、失う。
これは、コンサル業界で言う「ステークホルダー・マネジメント」の応用だった。
利害関係者を、整理する。
誰が、誰の、足元を握っているか、を、見える化する。
そして、必要な時に、必要な圧力を、必要な相手に、かける。
俺は窓の外の、雪を見ながら、ふっと笑った。
「ジャストインタイム、ね」
ジャストインタイムというのは、必要なものを、必要な時に、必要な量だけ、届ける、ということだ。
それは、商品にも、情報にも、圧力にも、適用できる、概念だった。
軟禁の三日目の朝。
扉が激しく、叩かれた。
入ってきたのは、王宮の伝令の騎士だった。
「リシュ殿すぐに、玉座の間に、御出頭ください」
「処分の決定でしょうか」
「は、それが」
騎士は、戸惑った顔で、続けた。
「王都商業ギルドが、本日早朝、王宮の正門前に、全長老を、集めて、抗議の声明を、出されました。同時に、王都の街中に、貴族派の腐敗を告発する、千枚の張り紙が、出回っております」
「ほう」
「教会は、急遽、貴殿の異端審問の評議を、延期。王宮も、緊急の御前会議を、開かれます」
俺は頷いた。
予定通りだ。
ジャストインタイム。
俺は客室を出た。
廊下を、玉座の間に向かって、歩いた。
すれ違う文官たちが、慌てて、道を開ける。
彼らの目にはもう、敵意ではなく、戸惑いと、好奇心が、入り混じっていた。
玉座の間に、入る、その時。
回廊の角で、俺は銀髪の男と、ぶつかりそうに、なった。
カイル。
彼は急ぎ足で、玉座の間から、出てくる、ところだった。
「カイル殿」
「リシュ殿」
彼は立ち止まった。
今朝の彼の顔から、爽やかな笑顔は、消えていた。
代わりに、薄い無表情が、はりついていた。
「貴殿は」
カイルは低い声で、続けた。
「私がこんな手を想定していなかったとでも、思ったか」
「想定しているなら、もう少し、上手な、進行を、なさるべきでしたね」
俺はにっこり笑った。
彼の口角が、初めて、はっきりと、下がった。
「貴殿は、現代の、誰かに、似ている」
「奇遇ですね、私も貴方が、現代の誰かに、似ていると、思っていました」
カイルの灰色の目がわずかに、揺れた。
そのとき、彼は初めて、月村裕也の、本当の表情を出した。
それは、社内のSNSで、俺が彼の手柄横取りを、暴露する、ぎりぎり、寸前まで、追い詰めた、あの夜の、表情と、同じだった。
「相沢、お前」
カイルの口がはっきり、そう、漏らした。
俺もそれに、答えた。
「月村。お前、こっちでも、同じことを、やってたのか」
カイルはしばらく、無言だった。
それから、表情をふっと、戻した。
あの、爽やかな笑顔。
だが、俺にはもう、それが、月村の本気で困った時の、薄い笑顔にしか、見えなかった。
「相沢、お前、いつ、こっちに来た」
「半年前」
「俺は三年前だ」
カイルが廊下の壁に、肩を預けた。
「お前はもう、わかるよな。俺がここで、何をやってきたか」
「だいたい、想像はつく」
「賢いな。お前、相変わらず、議事録一枚で、何でも、見抜く奴だ」
「お前は、相変わらず、議事録を、書けない奴だ」
「ふん」
カイルは軽く笑った。
その笑い方はもう、宮廷魔術師のものではなく、二十八歳のサラリーマンの、夜中の居酒屋のものだった。
「相沢、提案がある」
「断る」
「まだ何も、言ってない」
「お前の提案は、いつも最終的に、俺の不利益になる。六年間、それで、学んだ」
カイルが深く息を吐いた。
「相沢、お前は本当に、変わらないな」
「お前こそ、こっちの世界でも、踏み台にする人間が、いないと、生きていけないんだろう」
カイルの表情が止まった。
「それは、図星か」
「……否定はしない」
カイルが目を伏せた。
それはたぶん、俺が彼と知り合って、六年と半年で、初めて見る、彼の本当の、屈服の表情だった。
「相沢、最後に、一つだけ、聞いていいか」
「ん」
「お前は、なんで、こんなに、強いんだ」
「強くない」
「強いだろう。お前は、いつも何もしてないのに、勝ってる。俺が必死で、足を引っ張っても、お前は、その上に、登っていく」
俺は首を傾げた。
そんなつもりは、なかった。
「お前は、勝とうとしている。俺はただ、目の前の問題を、解こうとしているだけだ」
カイルはしばらく何も言わなかった。
そのとき、玉座の間の扉が開いた。
中から、伝令の声が響いた。
「リシュ・アステリス殿、御前に」
俺はカイルに軽く、会釈した。
カイルは無言で、廊下を、去っていった。
その背中にもう、月村裕也の影は、なかった。
代わりに、見えたのは、彼自身が長らく、誰にも、見せなかった、本当の彼の姿、だった気がした。
そして、その姿はなぜか、俺の前世の、ある夜の、自分自身の姿に、よく、似ていた。
誰のために、こんなに、頑張ってきたのか、わからなくなった、あの夜の。
玉座の間に入った。
そこには、国王と、宰相、そして、商業ギルドの最高長老が、待っていた。
ヴァインベルク男爵の姿は、見えなかった。
財務大臣の姿も。
国王が俺を見て、ふっと息を吐いた。
それは、安堵にも、諦めにも、似ていた、表情だった。
「リシュ殿。本日の事態を、いかが、お考えか」
「畏れながら、申し上げます。問題はすべて、見える化されました」
俺は深く頭を下げた。
玉座の脇で、最高長老が、にこやかに、目礼を、返した。




