第十二章 異端審問の足音
ベルジア要塞での補給革命は、十日のうちに、奇跡を、起こした。
魔王軍の先遣隊は、二度の攻撃を、仕掛けたが、要塞の壁の前で、跳ね返された。
要塞内の兵士の士気は、過去最高に戻った。
俺は要塞の塔の上から、撤退していく敵軍を見送った。
「リシュ殿」
ロデリック将軍が俺の隣に立った。
「貴殿の御活躍、王都に、急ぎ、報告いたします」
「将軍、その前に、もう一つ、お願いがあります」
「は、なんなりと」
「徴発の契約書、すべての写しを、私の手元に、残してください」
「もちろん、左様に」
俺は写しの束を、執務用の鞄に、しまった。
これは、後で、重要な、証拠になる、はずだった。
カイルが何らかの形で、俺の補給革命を、攻撃してくるのは、目に、見えていた。
そのとき、正規の契約書がすべて、揃っていれば、俺の正当性は、揺るがない。
要塞を、出立する日。
将軍と、分隊長たち全員が、要塞の門の前に、整列して、俺を見送ってくれた。
「リシュ殿また、お会いしたい」
「光栄です、将軍」
「貴殿は、私の人生で、最も、賢明な御方であった」
将軍が片膝をついた。
彼に倣って、分隊長たちも、全員、片膝をついた。
要塞の門の前で、二十四人の軍人が、貴族の三男に、跪いている光景はたぶん、この王国の歴史でも、稀な、ものだった。
俺はそれを、ただ深く頭を下げて、受け取った。
王都への帰り道は、要塞への往路よりもずっと、速かった。
四日で、戻った。
途中、宿場の宿屋ではもう、薄いスープは、出なかった。
徴発の契約が、街道沿いの村に、行き渡り、闇市が、白日の下に、出てきていた。
王都に戻った夜。
俺はまず、執務室に戻った。
机の上に、ローラン伯爵からの、書状が、置いてあった。
「リシュ殿、お早めに、お会いしたく」
短い文面に、不穏な気配があった。
俺はすぐに、伯爵の執務室に向かった。
伯爵は青ざめた顔で、俺を迎えた。
「リシュ殿、お聞きください。本日、教会から、貴殿への、召喚状が、届きました」
「召喚状」
「はい。異端審問の場への、出頭命令でございます」
伯爵が書状を、俺に渡した。
封蝋は、黒。
教会の最高位の印。
俺はそれを開いた。
「貴殿の所業について、教会として、いくつかの確認事項あり。明後日、第七鐘の刻に、聖アステリア大聖堂への出頭を命ず」
「明後日ですか」
「はい」
「具体的に、何が、咎められているのですか」
「『悪魔の幾何学』を、王宮および辺境地に、広めた疑い、と」
俺は軽く笑った。
「やっぱり、来ましたね」
「リシュ殿、御無事で、お戻りいただきたい」
「もちろん、戻ります」
俺は伯爵の執務室を、辞して、自分の客室に戻った。
執務室の机の上、写本帳がまたわずかに、ずれていた。
今度は、第七ページの、辺境のスライム配置図が、開かれた状態に、なっていた。
カイルがまた、覗いた。
だが、それは、もはや、どうでもよかった。
カイルが何を、知ろうと、彼が勝つ手は、ない。
俺の改革はすでに、複数の人間が、複数の場所で、走らせている。
俺を潰しても、改革は、止まらない。
その夜。
俺は城の中庭に、出た。
冬の夜風が、頬を刺した。
星が、無数に、瞬いていた。
ふと、噴水のそばに、人影が見えた。
マリエル王女だった。
彼女は、薄い羽織りを、纏って、噴水の縁に、腰を、下ろしていた。
噴水の水音が、ちろちろと、夜の静寂に、響いていた。
「マリエル様」
「リシュ殿、ご無事のお戻りで」
「お見送りの、薔薇のおかげかと」
彼女は、笑った。
今夜は、最初から、本物の笑顔だった。
「リシュ殿、教会のこと聞きました」
「はい」
「あなたは、必ず、勝ちますか」
「勝つ予定です」
「私は何を、できますか」
彼女はまっすぐ、俺を見つめた。
俺はその目の中の、強い意志を見た。
東屋で、最初に会ったときの、彼女とは、まるで、別人だった。
「マリエル様。一つだけ、お願いが」
「なんなりと」
「もし、私が教会で、不当な裁きを受けたら。あなたの父上に、貴方自身の言葉で、抗議してください」
「私自身の言葉で」
「はい。王女ではなく、マリエルとして」
彼女は深く頷いた。
「いたします。必ず」
その答えに、俺はなぜか、勝てると、確信した。
噴水の水が、月光に、銀色に、跳ねた。
俺たちはしばらく、並んで、その光を見ていた。
──翌々日。
俺は聖アステリア大聖堂の、巨大な石の扉の前に立った。
扉がゆっくり、開いた。
中は、暗かった。
高い天井のステンドグラスから、深紅の光が、床に、流れ込んでいた。
祭壇の前に、白い長衣の枢機卿が、三人、座っていた。
中央の老人は痩せて、目だけが、異様に、鋭かった。
そして、祭壇の右側に。
銀髪の男が、立っていた。
カイル。
彼はここで、俺を待っていた。
「リシュ・アステリス殿。よくぞ、お越しいただきました」
枢機卿の声が、暗い聖堂に低く、響いた。
俺は片膝をついた。
そして深く頭を下げて、こう、応えた。
「私の所業について、どのような御疑念でも、お答えいたします」
中央の枢機卿はゆっくり、組んでいた両手を開いた。
「リシュ殿。早速、問おう」
「はい」
「貴殿が、辺境および王宮で、用いられた『ピラミッド・ストラクチャー』なる図形。これは、いかなる起源を、持っておるか」
俺は深く頭を下げたまま、答えた。
「私が考案いたしました」
「考案、と申すか」
「はい」
「では、何ゆえ、地下書庫の禁書に記された古代魔導陣と、寸分違わぬ形を、しておるのか」
聖堂の中の三人の枢機卿が、同時に、身を、乗り出した。
カイルがその背後でわずかに、口角を上げた。
「畏れながら、お答え申し上げます」
俺は顔を上げた。
祭壇の上の蝋燭の、橙色の光が、彼らの白い長衣を揺らしていた。
「私の用いた図形は、結論を頂点に置き、根拠を三本の柱で支え、補強事実をその下に並べる、思考の整理の様式でございます。これを、人は、頭の中で、毎日、無意識に、おこなっております。古代の魔導陣も、おそらく、同じ思考の形を、別の用途に転用したのでございましょう」
「ふむ」
「すなわち、両者は、同じ起源ではなく、同じ自然の形を、別々に発見したに過ぎぬ、と存じます」
枢機卿が、白い眉を寄せた。
彼の脇の、二人の若い枢機卿が、視線を、交わした。
そのとき。
カイルが進み出た。
「畏れながら、枢機卿様。リシュ殿の御回答は、論点を、ずらしておられます」
俺はちらりと、カイルを見た。
「貴殿が、領地で、用いられた、もう一つの陣について。複式簿記なる仕組み、ガントチャートなる、進捗を時間軸で並べる図表。これらは、いずれも、古代に『悪魔の幾何学』として、教会が禁書に指定した形と完全に、一致いたしております」
枢機卿が頷いた。
カイルの言葉に、明らかに、引っ張られている。
「リシュ殿、貴殿は、これらの図形の起源について本当に、ご存じないと、申されるか」
俺はしばし、沈黙した。
それからゆっくり、答えた。
「私はこれらの図形を、生まれてから、自然に、頭の中で、組み立てておりました」
「ふむ」
「もし、これらが、古代の禁書と、一致しているのであれば。それはたぶん、私がたまたま、その思考の形を、生来、持って、生まれたから、でございましょう」
枢機卿が、組んだ手をわずかに、震わせた。
「貴殿は、それを、生来、と申されるか」
「はい」
「であれば。貴殿自身が、生まれながらの、異端者であると、申されるか」
聖堂の中の空気が、ぴりと、張りつめた。
俺は頭を軽く、振った。
「異端者であるか、否かを、決められるのは、教会でございます。私はただ、私のできる範囲で、領地と王国の、人々の暮らしを、よくしようと、努めただけでございます」
カイルがにっこり笑った。
「枢機卿様、お聞きください。リシュ殿は、ご自身の能力の起源を、説明できません」
俺はそれでも、頭を上げたまま、待った。
中央の枢機卿は長らく、目を閉じていた。
それから、目を開けて、こう、宣言した。
「リシュ殿の処遇については、本日より、三日の評議を経て、決定する。それまで、貴殿は、王宮内の自室に、軟禁とする」
聖堂の扉の前で、武装した教会の騎士が、二名、待っていた。
彼らに、俺は両脇を、固められた。
「リシュ殿、御無事のうちに、御退室を」
カイルが優雅に、頭を下げた。
その口角は、今度ははっきり、上がっていた。
俺は深く頭を下げて、聖堂を、後にした。
聖堂の扉を出た瞬間に。
俺はふと、扉の脇に、立てかけられた、ある書物の山を、目で、捕らえた。
それは、教会が、過去十年で、押収した「悪魔の幾何学」関連の禁書の山だった。
その山の一番上に、見覚えのある、本があった。
エマが地下書庫で、最初に、俺に見せてくれた、ピラミッド型の古代魔導陣の写本。
これは、なぜ、ここに、あるのか。
俺は教会の騎士に、引きずられるようにして、聖堂を出た。
王宮への帰り道、護送の馬車の中で、俺はその光景を、思い返した。
たぶん、カイルがすでに、辺境のアステリス領にも、手を回している。
誰かが、地下書庫から、その写本を、持ち出して、教会に、提供した。
──軟禁、か。
俺は馬車の窓から、王都の冬の空を見上げた。
雲が低く、垂れこめていた。
雪が、今夜、降る。
そんな匂いがした。




