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腐食の魔女

幕間 腐食の魔女レーヨン

https://ncode.syosetu.com/n9958lx/33/

こちらの話と繋がっています

レーヨン視点


 気がついたら、森の中にいた。

 

 自分が何者かは、わかっていた。

 

 どこから来たかも、なぜこうなったかも、覚えていた。

 

 ただ、ここにいた。

 

 名前は、ある。

 

 それだけは、はっきりと覚えていた。

 

 

 森から出ようとした。

 

 一日中歩いた。木々をかき分け、獣道を辿り、光の差す方角へ向かって歩き続けた。夜になっても歩いた。

 

 朝になって、気づいた。

 

 見覚えのある木が、目の前にあった。

 

 昨日も見た木だ。

 

(……また、ここか)

 

 もう一度試した。今度は別の方角へ。川沿いに歩いた。太陽を背にして歩いた。それでも、気づけば同じ場所に戻っていた。

 

 三日試して、わかった。

 

 この森から、出られない。

 

 噂に聞いたことがあった。迷いの森、という場所。一度入ったら出られないと言われている、呪われた森。

 

(……ここが、そうなのかもしれない)

 

 途方に暮れた。

 

 でも、不思議と絶望はしなかった。

 

 いつか迎えが来るんじゃないかって。

 

 そう思っていた。

 

 

 最初の頃、私の周りだけが賑やかだった。

 

 踏みしめた土から、草が勢いよく芽吹いた。触れた木の幹から、新しい葉が次々と伸びた。私が歩くたびに、花が咲いた。

 

 回復の力が溢れているのだろう、と思った。

 

 悪くなかった。

 

 森の中に、小さな緑の道ができていく。それが、唯一の慰めだった。

 

 でも。

 

 時間が経つと、その草花が朽ちていった。

 

 芽吹いたばかりの草が、急速に育ち、枯れていく。伸びた葉が一瞬で老いて、落ちていく。まるで何年分もの時間を一気に生きて、そのまま死んでいくように。

 

 回復が、速すぎるのだ。成長させすぎて、朽ちさせてしまう。

 

(……なぜ)

 

 止める方法がわからなかった。ただ、自分が通った後に死が残っていくのだけは、はっきりと見えた。

 

 

 冒険者と出会ったのは、森に来てどのくらい経った頃だろう。

 

 男が二人、森の中を歩いていた。私を見つけると、一人が声をかけてきた。

 

「おい、お前みたいな綺麗な女がこんな森でどうした。大丈夫か? 遭難者だな? 保護するぞ」

 

 久しぶりに人間の声を聞いた。

 

 嬉しかった。

 

 思わず一歩踏み出した、その時だった。

 

 男の足元の草が、急速に育ち始めた。緑が溢れ、花が咲き、そして一瞬で老いて枯れていく。黒く変色して、土に還っていく。

 

 男が気づいた。

 

「け、化け物……! 助けてくれ!」

 

 二人は踵を返して走っていった。

 

 私は、その場に立ち尽くした。

 

(……化け物)

 

 その言葉が、胸の奥に刺さった。

 

 違う、と言いたかった。

 

 でも、自分の足元を見た。

 

 草が、全部死んでいた。

 

 何も言えなかった。

 

 

 同じことが、何度もあった。

 

 迷い込んだ冒険者。道を探す旅人。魔物を追ってきた騎士。

 

 みんな最初は声をかけてきた。

 

 みんな同じように逃げていった。

 

「化け物だ」「腐食の魔女だ」「逃げろ! 呪われるぞ」

 

 逃げる人間を追いかけたことがあった。違う、と言いたかった。誤解を解きたかった。

 

 でも、私が追いかけるほど、周囲の木々が過剰に育ち、老いて朽ちていく。人間の足元が枯れていく。

 

(……確かに、これは魔女だ)

 

 追いかけるのをやめた。

 

 いつからか、噂が広まっていたようだった。迷いの森に棲む腐食の魔女、レーヨン。近づくものすべてを朽ちさせる、化け物。

 

 私は否定しなかった。

 

 否定する言葉が、だんだん見つからなくなっていったから。

 

 最初は言葉だった。次に、声が出なくなっていった。それから、誰かに話しかけようとする気持ちが、薄れていった。

 

 化け物と呼ばれるたびに、何かが削れていく。

 

 自分の名前を、何度も胸の中で繰り返した。忘れたくなかったから。

 

 

 どのくらいの時間が経ったのか、わからなくなっていた。

 

 季節が変わるのはわかる。でも何年経ったのか、もう数えていなかった。

 

 毎日、自分に言い聞かせた。

 

 私は、私だ。

 

 でも、その声が、だんだん遠くなっていく気がした。

 

 ある日、鏡代わりの水面を覗いたら、見知らぬ顔が映っていた。

 

 半透明の肌。空洞のような目。意思を持つように蠢く髪。

 

(……これが、私?)

 

 自分の名前を呼ぼうとした。

 

 口が、うまく動かなかった。

 

 

 五人組がやってきたのは、そんな頃だった。

 

 今まで来た人間とは、違った。私を見ても、逃げなかった。周囲が朽ちていっても、前に来た。

 

 魔法が飛んでくる。剣が走る。体が吹き飛ぶ。両断される。でも、すぐに再生した。どれだけ傷つけられても、私の体は元に戻る。

 

 砂塵の中、一人の男が背後を取った。剣が、心臓を貫いた。

 

 でも再生する。それだけのことだ。

 

 男の顔を見た。

 

 その瞬間。

 

(……あ)

 

 何かが、胸の奥で動いた。

 

 懐かしい。

 

 なぜ懐かしいのか、わからない。でも確かに、この顔を知っている気がした。

 

 もっとよく見たくて、腕を掴んだ。

 

 男が、激しく痛がった。

 

(……しまった)

 

 回復が、男の腕を過剰に侵食していた。細胞が急速に更新され、肌が爛れていく。

 

 つい、手を放した。

 

 男の剣が、地面に滑り落ちた。地面に、刺さるような形で。

 

 五人組は撤退していった。

 

 私はその場に残った。地面に刺さった剣を、ただ見ていた。

 

(……なぜ、懐かしいんだろう)

 

 答えは出なかった。

 

 でも、その剣を見ていると、何かが落ち着く気がした。

 

 触れようとした。指先が近づいた瞬間、剣の周囲の草が急速に育ち始め、老いて枯れていった。

 

(……だめだ)

 

 手を引っ込めた。

 

 これは朽ちさせたくない。

 

 理由はわからない。ただ、そう思った。

 

 私は朽ちが起こらない距離を保ちながら、その剣の前に座った。

 

 見ていると、落ち着く。それだけで、十分だった。

 

 それからの日課になった。

 

 

 どのくらい経ったか。

 

 私はもう、自分の名前を覚えられなくなっていた。

 

 あの名前が、どこか遠い場所の話のように感じられた。

 

 化け物と呼ばれ続けた。腐食の魔女と呼ばれ続けた。その言葉が、骨の中まで染み込んでいた。

 

 私は、レーヨンだ。

 

 迷いの森に棲む、腐食の魔女。

 

 それだけが、残った。

 

 感情は、少しずつ薄れていった。怒りも、悲しみも、懐かしさも。

 

 ただ、一つだけ残っていた。

 

 あの剣を、朽ちさせてはいけない。

 

 理由はわからない。でも、それだけは。

 

 それだけは、消えなかった。

 

 

 久しぶりに、大きな音がした。

 

 木が倒れる音。爆発の音。地面が揺れる音。

 

(……剣の近くだ)

 

 警戒した。あの場所を荒らされたくない。

 

 音の方へ向かうと、巨大な魔族が人間たちと戦っていた。

 

 見ていると、一人の男が魔族に掴まれ、投げ飛ばされた。男は木々をなぎ倒しながら転がり、剣の近くに倒れ込んだ。

 

(……あの男)

 

 何かが、微かに揺れた。

 

 少し、老けた気がする。あの時の男だろうか。

 

 考える間もなく、魔族が男の方へ歩いてきた。剣に近づいてくる。

 

(やめろ)

 

 私は動いた。

 

 魔族の体を掴んだ。過剰な回復が走る。細胞が急速に更新され続け、魔族の体が内側から朽ちていく。やがて、動かなくなった。

 

 男の仲間が三人、こちらを見ていた。剣を構えている。魔法を構えている。

 

 でも、私は興味がなかった。

 

 ただ、倒れている男を見ていた。

 

 その男が、目を開けた。

 

 剣を見つけた。手に取った。

 

 それからこちらを見た。

 

 そして。

 

 駆けてきた。

 

(……なぜ)

 

 怖くないのだろうか。周囲の木々が過剰に育ち、老いて朽ちていく。地面が枯れていく。

 

 それでも、男は止まらなかった。

 


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