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15年前の剣

 森に入った瞬間、空気が変わった。

 

 湿度が重い。木々は黒く変色し、踏みしめる土がどこかぬかるんでいる。鳥の声がない。虫の音もない。

 

 生きているものの気配が、ひどく薄い森だった。

 

「……久しぶりだな、ここ」

 

 誰にともなく呟いた。

 

 十五年前と、何も変わっていない。

 

 

 道中、誰もほとんど喋らなかった。

 

 ミラは前を向いたまま歩いている。シアは無言で槍を携えている。レザードは少し後ろで、周囲に目を配りながらついてくる。

 

 俺も黙っていた。

 

 黙っていられるのは、頭の中がひどく静かだからだ。

 

(……この森で終わってもいい)

 

 いつからそう思っているのか、自分でもわからない。シルクを探せないまま終わるのだけは嫌だった。一ヶ月、毎日動き続けた。それでも何も見つからなかった。

 

 手がかりがない。行き先もわからない。

 

 探し続ける理由は、まだある。でも続ける力が、どこかで底をついていた。

 

(……もういいかもな)

 

 その考えが、足を軽くしていた。

 

 軽くなっていることが、自分でも少し怖かった。

 

 

 魔族の痕跡を見つけたのは、森の中程だった。

 

 折れた木。抉れた地面。黒い魔力の残滓が、空気に滲んでいる。

 

「最近のものですわね」

 

 レザードが周囲を見回しながら言った。

 

「奥から来てる」

 

 シアが痕跡を辿るように視線を走らせた。

 

 俺たちは無言で奥へと進んだ。

 

 やがて開けた場所に出た。

 

 そこにいたのは、ナイロスだった。

 

 三メートルを超える巨躯。岩のような筋肉。古い傷の刻まれた顔。

 

 十五年前の戦争でも刃を交えた、魔族の幹部の一人。そして、森の入口で俺をたたきのめした相手でもある。

 

「……またお前か、人間」

 

 ナイロスの視線が、俺たちを順番に舐めた。ミラで止まった。

 

「……貴様がカセンを仕留めたか」

 

「そうだけど」

 

 ミラが剣を構えながら答えた。

 

 ナイロスの目が、わずかに細くなった。警戒の色が滲んでいる。だがすぐに、その目が緩んだ。

 

「……魔眼がない」

 

「関係ない」

 

「関係大いにある」

 

 ナイロスが地を蹴った。轟音。地面が揺れる。

 

「散れ!」

 

 シアの声と同時に、俺たちは左右に飛んだ。

 

 

 戦いは、最初から苦しかった。

 

 ミラは強い。魔眼がなくても、剣技と魔法で十分な戦力だ。シアの槍はナイロスの巨体を確実に削っている。レザードの氷結魔法が動きを鈍らせる。

 

 それでも、ナイロスは止まらなかった。

 

 一撃が重すぎる。シアが受け流しても、衝撃が腕に残る。ミラの魔法を正面から受けても、ひるまない。レザードの氷結を力任せに砕いて前進してくる。

 

「硬い……!」

 

 ミラが歯を食いしばりながら後退する。

 

「当たり前だ。こいつは十五年前から化け物だった」

 

 俺は二本の剣でナイロスの腕を受け流しながら言った。

 

「智さん、無理しないで!」

 

「無理じゃない」

 

 嘘だった。

 

 右腕がまだ完全じゃない。受け流すたびに、骨が軋む音がする。

 

 それでも止まる気はなかった。

 

(……どうせ終わるなら、ここで終わってもいい)

 

 その考えが、俺を前に進ませていた。

 

 おかしいことだとわかっていた。でも止められなかった。

 

 

 転機は、突然来た。

 

 ナイロスの巨腕が、俺を掴んだ。

 

「っ……!」

 

 抵抗する間もなかった。そのまま真横に投げ飛ばされた。

 

「智さん!!」

 

 ミラの声が遠のいていく。

 

 体が宙を舞い、木々をなぎ倒しながら転がった。

 

「ぐ……ッ」

 

 地面に叩きつけられ、意識が遠のく。

 

 遠くで轟音が響いている。戦いはまだ続いているようだ。

 

(……立てるか)

 

 体に力を入れようとして、腕が動かなかった。

 

 痛みが、どこか遠い。

 

(……まあ、いいか)

 

 そのまま目を閉じた。

 

 不思議なほど、穏やかだった。

 

 

 次に気づいたのは、異様な静けさだった。

 

 さっきまでの轟音が、嘘のように消えている。

 

 代わりに、ぞわりとした空気が肌を撫でた。

 

 重い瞼を持ち上げる。

 

 視界に、見覚えのある景色が広がっていた。

 

 朽ちた木々。腐食した地面。

 

 でも。

 

 目の前だけ、違った。

 

 青かった。

 

 草が生えていた。木の葉が青々としていた。腐食していない。周囲と明らかに異質な、小さな「生きている場所」がそこにあった。

 

 その中心に、一本の剣が地面に刺さっていた。

 

「……あ」

 

 体が動く前に、声が出た。

 

 見覚えがあった。

 

 十五年前、この森で落とした剣だ。腐食の魔女に触れられ、手首が朽ちかけて、手から滑り落ちた。そのまま地面に刺さって、拾えなかった。

 

 ずっと、ここにあったのか。

 

 体を引きずって、近づいた。

 

 一歩。また一歩。

 

 剣に近づく。

 

 刃に経年劣化の錆はある。でもそれだけだ。腐食していない。

 

 この森の中で、十五年間、腐食されずにいた。

 

(……なんで)

 

 レーヨンが通るだけで、周囲のものは朽ちていく。木も、草も、石も。この森全体が、その腐食に蝕まれている。

 

 なのに。

 

 なぜここだけ、青々としているんだ。

 

 剣の周りだけ、なぜ腐食していないんだ。

 

 剣を見つめたまま、しばらく動けなかった。

 

 森の腐食した空気の中に、この小さな場所だけが、ずっと生きていた。

 

 誰かが、守っていた。

 

(……待て)

 

 何かが、頭の中で繋がった。

 

 十五年前。レーヨンに触れられた瞬間、あいつは俺の手を放した。

 

 理由がわからなかった。致命傷を与えられる距離にいたのに、唐突に手を放して、ただ剣を見つめていた。

 

 熱い鉄に触れたような、無機質な拒絶。

 

 あのとき感じた、説明のつかない違和感。

 

 そして今、この剣の周りだけが腐食していない理由。

 

(なぜ)

 

 俺は剣を握ったまま、立ち上がった。

 

 遠くで、ナイロスの断末魔が聞こえた。

 

 レーヨンが来ている。

 

 その方向へ向かって、駆け出した。


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