届くまで
「ちゃんと、ミラだった?」
その問いに、誰も答えられなかった。
シルクが唇を噛んだ。シアが視線を逸らした。
俺も、言葉が出なかった。
ミラは答えを待たず、かすかに笑って目を閉じた。
「……そっか」
それだけ言って、俺の腕をそっと払いのけた。
「ありがとう、来てくれて。でも、もう大丈夫だから」
立ち上がろうとする体が、まだ震えている。
「ミラ様、まだ……」
「大丈夫だって言ってる」
その声に、感情がなかった。いつものミラの声じゃない。
「……どこへ行くつもりだ」
俺が問いかけると、ミラは少しだけ振り返った。フードの奥の瞳が、静かに揺れている。
「わかんない。でも、ここにはいられない」
「なんで」
「なんでって……見てわかるでしょ」
ミラが自分の角に触れた。
「私、もう人間じゃないから」
「それがどうした」
「どうしたって……」
ミラの声が、少し揺れた。
「こんなの、化け物じゃない。角も、尻尾も、翼も……私が望んだわけじゃないのに、勝手に生えてきて。私は今まで、ずっと……ずっと強くなろうとして、みんなを守れる勇者でいようとして、それなのに……」
声が途切れた。
「魔族を狩りながら、自分も魔族になっていって。笑えるでしょ、こんなの」
「笑えない」
「……智さん」
「笑えないし、化け物だとも思わない」
「でも」
「でも、じゃない」
俺は一歩踏み出した。ミラが半歩後退する。
「近づかないで」
「なんで」
「傷つけたくないから!」
ミラの声が、初めて大きくなった。
「私、自分でもわかんないの。さっきカセンに止めを刺したとき、自分がどこにいるのかわからなくなってた。感情が、なくなっていく感じがして。このまま誰かを傷つけたら、智さんを傷つけたら、シルクを傷つけたら……」
「……それが怖くて、逃げたのか」
ミラが、黙った。
「誰かを傷つける前に、自分がいなくなろうとしたのか」
「……うん」
小さな声だった。
「そうしたら、みんな安全だから」
俺は息を吐いた。
「バカだな、お前」
「……わかってる」
「お前がいなくなったら、誰が安全なんだ」
「……っ」
「俺は安全じゃない。シルクも、シアも、安全じゃない」
ミラが唇を噛んだ。
「でも……こんな姿で、どうやって……」
「それを一緒に考えるのが仲間だろ」
「……」
「お前一人で全部決めるな」
ミラの瞳が、揺れた。
「でも、もし暴走したら」
「そのときは止める」
「止められなかったら」
「……それでも止める」
「無理だよ、今の私の力は……」
「うるさい」
俺は一歩踏み出した。ミラが後退する。
「来ないで」
また一歩。
「来ないでって言ってる!」
爆轟が炸裂した。
熱が、全身を包んだ。左腕の肉が、爆風で抉れた。
「ぐっ……!」
吹き飛んだ体が地面を転がる。
「智様!」
シルクの声が遠くに聞こえる。次の瞬間、温かい光が走った。抉れた肉が戻っていく。でも完全には治っていない。
立ち上がった。
「……なんで」
ミラの声が揺れた。
「なんで立ち上がれるの」
答えなかった。ただ、前に進んだ。
「来ないで!」
また爆轟が来た。今度は横に半歩ずれた。それでも爆風をまともに受け、右肩の肉が抉れ、骨にひびが入った。
「ぅ……っ!」
右腕に力が入らなくなった。
「智様、右肩が……!」
「足だけ頼む」
「で、でも……!」
「足だけでいい」
シルクが一瞬躊躇って、それでも回復魔法を足に集中させてくれた。
立てる。それだけでいい。
ミラとの距離は、まだ八メートルある。
石の魔眼が光った。足が石化し始める。膝まで固まった瞬間、剣の柄で地面を叩いて強引に砕いた。
また爆轟。
今度は避けなかった。胸に直撃した爆風で、肋骨が悲鳴を上げた。肉が焦げる匂いがした。
「ぐ……はっ……!」
膝をついた。視界が揺れる。
回復魔法が来た。意識が戻る。さっきより薄い。シルクも限界に近い。
それでも、立ち上がった。
「やめて……!」
ミラの声が、震えていた。
「なんで来るの、なんでそこまでするの……!」
「お前が仲間だから」
それだけ言った。
「嘘つき……! こんな姿見て、怖くないはずない……!」
「怖くない」
「嘘だ……!」
爆轟が来た。腹に直撃した。内臓が揺れる感覚。口の中に血の味がした。
「ぅ……っ」
倒れなかった。足を踏みしめて、そのまま前に進んだ。
「なんで……なんで倒れないの……! もうやめて……! これ以上傷ついたら……!」
ミラの手が震えていた。魔法を撃とうとして、撃てないでいる。
あと二メートル。
「やめ……て……」
あと一メートル。
ミラの目から、涙が零れた。
「もう、やめて……お願い……」
俺は左腕を伸ばした。
ミラの首根っこを掴んで、そのまま引き寄せた。
剣の峰が、ミラの側頭部に軽く当たった。
ミラの体から、力が抜けた。
「……あ」
崩れ落ちるミラを、左腕だけで受け止めた。右腕はもう動かない。地面に膝をついた。視界が、ぐるぐると回っている。
「智様……!」
シルクが駆け寄ってくる声がする。
俺はミラを腕の中に抱えたまま、その頭に、そっと額を押しつけた。
言葉は、出なかった。
出なくていいと思った。
ミラの体が、腕の中で小さく震えた。
泣いているのかもしれない。眠っているのかもしれない。
どちらでもよかった。
ここにいる。それだけでよかった。
シルクの回復魔法が走る。でも今度は、意識を繋ぎ止めるには足りなかった。
視界が、暗くなっていく。
最後に感じたのは、腕の中のミラの体温だった。
異様に高い、それでも確かな、温かさだった




