ちゃんと、ミラだった?
エルフの村を出たのは、夜明け前だった。
長老との別れは短かった。シアの祖父でもある彼は、孫の背中をただ静かに見送るだけで、余計な言葉を一つも言わなかった。それがかえって、じんわりと胸に残った。
村の門をくぐり、森の道に入ったところで、レザードが口を開いた。
「ねえシア、一個聞いていいかしら?」
「なんだ」
「さっきのお爺様との会話……あれ、なんで急にあんな喋り方になってたの?」
シアの足が、ぴたりと止まった。
「……何の話だ」
「いや、だって」
レザードが笑いを堪えきれない顔で続ける。
「『おじい様、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした』って……」
「黙れ」
「『皆様によくしていただいております』って……」
「黙れと言っている」
「あの口調、完全にお嬢様じゃないですか」
今度はシルクが、口元を隠しながら言った。その目が完全に笑っている。
「シア様、普段とまるで別人でしたわ。あんなに丁寧で、柔らかくて……」
「うるさい! あれは、あれはそういう場だっただけだ! 長老の前では誰でもああなる!」
「なりませんよ」とシルクが即答した。
「おれもならないな」
「私もー」とレザードが追い打ちをかけた。
「全員黙れ!!」
シアの顔が、耳まで真っ赤だった。眼鏡の奥の目が泳いでいる。槍を地面に叩きつけそうな勢いで早足になる。
「……そもそも、あたしが誰の孫だと思ってる。多少は、礼儀というものが……!」
「お嬢様だ」と三人同時に言った。
「違う!!」
シルクが品良く笑い、レザードが肩を揺らし、俺は苦笑した。
シアは一人で先を歩きながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。
その背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。
(……いい奴だな、あいつ)
そんなことを、ふと思った。
◇
「……道中、随分と派手にやったな」
しばらく進んだところで、シアが低い声で呟いた。
俺たちの足元に、無数の魔族の残骸が転がっている。
石化したもの。真っ二つに断ち割られたもの。原型すら留めないほど爆散したもの。
どれも一撃だ。複数の攻撃を受けた痕跡がない。圧倒的な力で、一瞬のうちに処理された跡だった。
「……石の魔眼と、爆轟魔法」
シルクが静かに言った。その声は穏やかだったが、指先が微かに震えている。
「ミラ様が、通った道ですわね」
誰も返事をしなかった。
俺は無言で前に進む。魔王城の入口が、もう目と鼻の先だった。
城内に踏み込んだ瞬間、轟音が響いた。壁が、天井が、揺れている。
「戦闘音だ」
シアが槍を構え直す。俺たちは音の源を目指して走った。
扉を蹴破った先に、広大な玉座の間があった。
そして。
「……っ」
俺は思わず、息を呑んだ。
ミラがいた。
白髪に、赤みがかった肌。腰から伸びる細い尾。額から生えた二本の角。そして背中に折り畳まれた、薄い翼。
森で見たときより、変化が進んでいる。
それでも、あの動き方は間違いなくミラだ。
「あ……」
「ミラ、様……?」
シルクの声が、掠れた。
横でシアが槍を握る手に力を込めるのがわかった。その目が、一瞬だけ揺れる。
(テンセルを思い出してるんだろうな)
俺には見当がついた。仲間が魔族に変わっていく、あの光景と重なってしまう。
だが、今それを気にしている余裕はなかった。
玉座の間の中央で、ミラは一人の若い魔族と向き合っていた。
細身の体躯。整った顔立ち。だが全身から滲み出る魔力の密度は、並の魔族とは比べ物にならない。
魔王の子孫、カセン。騎士団がやっとの思いで手に入れた情報通りだ。新たな魔王軍の核となりつつあると報告を受けていた存在だ。
「がっ……く、ぅ……なぜだ……なぜ、人間如きに……!」
カセンの声は、もはや怒りではなく恐怖だった。その体は満身創痍だ。石化が解けた直後に爆轟を叩き込まれた痕跡が、全身に刻まれている。
対するミラは、無傷だった。
いや、それどころか。
(……強い)
俺は静かに戦慄した。
ミラの動きに、無駄が一切ない。魔眼でカセンの動きを封じ、その隙に爆轟を叩き込む。そのサイクルが恐ろしく洗練されていた。
15年前の勇者たちを、俺はよく知っている。あの化け物じみた連中と、肩を並べて戦ってきた。
(……超えてる)
あいつらより、強い。圧倒的に。
魔眼の精度も、魔法の出力も、判断の速さも。あの五人の誰よりも、今のミラの方が上だ。
「ミラ様! 無事ですか!」
シルクが声をかけた。
ミラの動きが、一瞬止まる。
フードの奥から、こちらを振り向いた。
左目が、薄く光っている。石の魔眼が、静かに揺れていた。
「……来てたんだ」
その声は、ミラの声だった。
でも、どこか違う。抑揚が薄い。感情の起伏が、削ぎ落とされたような。
「ミラ……」
俺が一歩踏み出した瞬間。
カセンが動いた。
倒れ伏したまま、最後の魔力を絞り出すように手を伸ばす。
「死ね……人間……ッ!」
魔力の奔流が、ミラに向かって放たれた。
「ミラ様!」
シルクが叫ぶ。
だがミラは、避けなかった。
魔眼を開いたまま、ただカセンを見下ろした。
魔力が、石化する。
完全に静止した奔流が、そのまま空中で砕け散った。
「……終わりだよ」
ミラが呟いた。
その声に、感情はなかった。冷たくも熱くもない。ただ、事実を告げるような、乾いた声。
爆轟が、炸裂した。
轟音。閃光。
煙が晴れたとき、カセンはもう動かなかった。
俺は黙って、その光景を見ていた。
強かった。圧倒的に。でも俺が知っているミラの戦い方は、こうじゃなかった。もっと泥臭くて、ぎりぎりで、それでも諦めない戦い方だった。
今のミラには、そのぎりぎり感がない。
強くなったのか。それとも、何かが削れたのか。
俺には、判断できなかった。
「……ミラ」
俺は、静かに呼んだ。
ミラが、ゆっくりとこちらを向く。
フードの奥の瞳は、まだ石の魔眼が光ったままだった。消えていない。戦闘が終わっても、まだ開いたままだ。
「……あ」
ミラが小さく声を漏らした。
魔眼の光が、ゆっくりと薄れていく。
その瞬間、膝が折れた。
「ミラ様!」
シルクが駆け寄る。俺も走った。
ミラの体を支えると、その体温が異様に高いことに気づいた。
「……大丈夫?」
俺が問いかけると、ミラはフードの奥から、かすかに笑った。
でも、その笑顔が。
いつものミラの笑顔と、どこか違う気がした。
「ねえ、智さん」
ミラが、掠れた声で言った。
「私、今……ちゃんと、ミラだった?」
誰も、答えられなかった。
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物語はもう少し続きます




