我流 寸勁
視界が赤い。
目蓋を伝う自分の血が、石床に点々と黒いシミを作っていく。
感覚の消えかかった右腕で、鞘に収まったままの剣を握りしめた。腕の骨が変な方向に軋んでいる。抜刀しようにも、親指が力を拒絶して動かない。
「おい智、もう我々しか動けん。前衛コンビと行こうじゃないか」
隣に立つシアの声に、俺は短く吐息を漏らした。彼女もまた、満身創痍だ。自慢の眼鏡は砕け、額を伝う血が頬を汚している。それでも、重槍を構えるその手は、微塵も揺れていない。
「……ああ。お前が道を作れ。俺が叩く」
二人の間に、それ以上の言葉はいらなかったお思う。
「アアアアアッ!!」
テンセルだったモノが、黒い泥のような魔力を噴き上げながら爆進してくる。
シアが弾丸のように飛び出した。
ガンッ、ギィィィィィィンッ!
重槍と、魔力で巨大化したテンセルの腕が激突する。シアは真正面から受けず、槍を斜めに滑らせて衝撃を逃がす。俺の背中を見て覚えた『受け流し』だ。
だが、人間を遥かに超越した質量は、技術の隙間を縫って彼女の身体を削っていく。
「ぐ、うぅっ……!」
シアの肩から鮮血が舞う。それでも彼女は退かない。
一撃、二撃。テンセルの全身に槍の穂先が吸い込まれていく。再生能力を上回るほどの、狂気的なまでの高速連撃。
(今だ――)
俺は、死の顎へと自ら飛び込むように、最短距離で踏み込んだ。
一歩。激痛で意識が飛びかける。
二歩。目の前の『怪物』が振り下ろす拳を、紙一重の**『入身』**でかわす。
暴風に肌を裂かれ、血が舞う。だが俺の瞳は、至近距離でテンセルの動きを捉えて離さなかった。
俺は抜刀しなかった。いや、できなかったのだ。
腰から引き抜いた剣を、鞘に納めたまま右手で保持する。
吸い込まれるように、鞘尻がテンセルのミゾオチに触れた。
「――…!」
振りかぶる動作はない。ただ、足裏から腰、背筋へと伝った全身のしなりを、鞘という一点に凝縮し、爆発させる。
我流・寸勁。
ドォォォォンッ!
地下牢の空気を震わせる重低音。
衝撃は表面の肉を素通りし、鞘を通じて、テンセルの内部にある魔力の循環系を物理的な振動でフリーズさせた。
剣が抜けないなら、ちょうどいい…
「ガ、はっ……!?」
呼吸が止まる。魔力の供給が断たれる。
シアがすかさず援護にはいる。
シアの攻勢は止まらない。一歩踏み込むたびに肋骨の破片が刺さるような激痛が走るが、脳は精密機械のように冷徹に次の急所を指示した。
しかし爆走する重戦車のような一撃は硬質な鉄の塊を使い、テンセルの関節、神経の束、魔力の通り道を、砲弾のような連打で順番に穿っていく。
バキ、という生々しい破壊音が続く。
再生能力が肉体を修復しようとするが、俺の打撃はその『修復』が追いつかないほど速く、正確に機能を奪い去る。
「……さん……」
崩れ落ちたテンセルの瞳に、わずかな光が戻る。
魔力の劇薬に脳を焼かれ、狂乱していた彼女が、俺の与える『痛み』と『衝撃』によって、無理やり現実へと引き戻されていた。
俺は、膝をついたテンセルの前に立った。
全身は傷だらけで、立っているのが不思議なほどだ。だが、握りしめた鞘を彼女の胸――魔力が最も濃く渦巻く核へと突き立てる手は、微塵も揺れていない。
「……すまない」
絞り出した声は、自分自身への断罪のように響いた。
表面上は冷徹に、作業をこなす機械のように。だが、俺の心は、彼女の絶望をすべて肩代わりするかのような悲鳴を上げていた。
(お前の努力を、あんな形でしか受け止められなかった。……不器用で、すまなかったな)
俺は奥歯を噛み締め、全体重を預けた。
鞘の背を左手で叩き、渾身の、最後の一寸を叩き込む。
――ガツンッ!!
鉄剣が激しく共鳴し、テンセルの肉体と魔族の魔力の『結合』を、物理的な振動で強制的に剥離させた。
彼女の目から、黒い泥のような涙が零れ落ちる。
異形の象徴だった角が、さらさらと砂のように崩れ始めた。
「……あ、りが……とう……」
最後、彼女は幽かな声でそう囁いた。
以前と変わらぬ、銀髪の女騎士の顔で。
俺は、彼女が崩れ落ちるのを、泥だらけの腕で受け止めた。
その腕の中には、もはや化け物の熱量はなく、一人の人間としての、冷たくなりゆく重みだけが残っていた。
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