前衛コンビ
地下牢の空気は、一瞬にして沸騰した。
咆哮とも悲鳴ともつかぬ叫びを上げ、テンセルの身体が内側から弾け飛ぶ。裂けた皮膚の下から覗くのは、生物的な赤ではなく、どす黒い泥のような魔力の塊だった。
「ア、アア……サトシ……サトシッ!!」
彼女の瞳から理性の光が消え、底なしの憎悪と、それ以上の深い絶望が溢れ出す。
その光景に、身体が凍りつくのを感じた。
(……俺の、せいか?)
脳裏をよぎったのは、先日の決闘の記憶だ。俺が彼女の「誇り」を完膚なきまでに叩き潰した。その心の隙間に、何か悍ましいものが入り込んだのだとしたら。この異形の怪物を生み出したのは、紛れもなく俺のせいだ。
その罪悪感が、コンマ数秒、俺の反応を遅らせた。
「智さん、危ないっ!」
シルクの叫びが聞こえた瞬間、視界が黒く塗りつぶされた。
回避の機を逸した俺の腹部に、魔力によって巨大化したテンセルの拳がめり込む。
「が、はっ……!?」
衝撃波が背中の石壁まで突き抜けた。骨が軋む嫌な音が響き、肺の中の空気が強制的に排出される。そのまま俺の身体は弾丸のように吹き飛ばされ、分厚い石柱を粉砕して瓦礫の山に埋もれた。
内臓、骨。色々やられたな、これは。
「智様!!」
シルクの悲鳴が遠のいていく。意識が、急速に深い闇へと沈んでいった。
――
「……智様! 智様、しっかりしてください!!」
シルクは瓦礫を掻き分け、ぐったりと横たわる智の身体を抱き起こした。口端から鮮血が流れ、呼吸は浅い。震える手で治癒魔法を展開するが、智の意識は戻る気配がなかった。
「……ミラさん、レザード様! 智様の意識がありません!」
「わかっているわ!」
最前線に躍り出たのは、ミラだった。左目から「石の魔眼」の金光が漏れ出す。だが、まだ完全な制御下にない。視界が歪み、世界が二重に重なって見える。
「……くっ、この狭い場所じゃ大きな魔法は使えない……!」
地下牢という閉鎖環境では、広域破壊魔法は味方を巻き込む自殺行為になる。ミラは魔眼でテンセルの動きを縛ろうとするが、魔族化したテンセルの熱量が、石化の波動を強引に弾き返していた。
「テンセルッ! 目を覚ませ、私だ!!」
レザードが叫びながらレイピアを抜き放つ。氷の魔法を剣筋に乗せ、鋭い刺突を繰り出した。
「『氷柩の連鎖』!」
空中から生じた氷の鎖が、テンセルの四肢を縛り上げる。一瞬、怪物の動きが止まった。レザードはその隙を逃さず、テンセルの胸元へと踏み込む。
「許せ……っ!」
レイピアの先端が、テンセルの胸の中央を深く貫いた。確かな手応え。本来なら即死のはずだった。
だが。
「アハ……ハハハッ!!」
テンセルは血を吐きながら、嘲笑った。貫かれた傷口から溢れ出したのは、血液ではない。ドロリとした漆黒の触手だ。その触手はレザードのレイピアを絡め取り、凄まじい力でへし折った。
「なっ……!?」
「レザード、下がって!!」
ミラの警告と共に、テンセルの傷口が「沸騰」し始める。肉が盛り上がり、骨が繋ぎ合わされる。数秒もしないうちに、胸の風穴は完全に消失していた。
「バカな……心臓を潰したはずだぞ……!」
レザードの顔から血の気が引く。攻撃を当てることはできる。だが、どれほど致命傷を与えても、彼女は死なない。それどころか、再生を繰り返すたびにテンセルの魔力はさらに膨れ上がり、地下牢の空気をより重く、毒々しく変質させていく。
「アアアアアッ!!」
テンセルが腕を薙ぎ払う。物理的な質量を伴った魔力の波動が、ミラ、シアとレザードを容赦なく襲った。
「きゃああっ!」「ぐ、ううっ……!」
三人の身体が石床を転がる。ミラの魔眼は過負荷で充血し、涙のように血を流していた。レザードもまた、全身を傷だらけにしながら折れた剣を杖代わりにどうにか立ち上がろうとする。
その時。
「……動くな」
低く、静かな声が地下牢に響いた。
テンセルとミラたちの間に、一本の重槍が地面に突き刺さる。
シアだった。
血が滲む額を乱暴に拭い、折れた眼鏡の片方を踏みにじりながら、テンセルの前に立ちはだかる。その目には恐怖はなく、ただ冷たい怒りだけが宿っていた。
「あたしの仲間達にこれ以上手を出すな」
「仲間…達…? 智はまだ仲間でもなんでもないんじゃ」
「うるさい」
ミラの呟きを、シアは一言で切り捨てた。
「あいつが起きたら文句言う。今はあたしが壁になる」
重槍を構え直す。その穂先は微塵も揺れていない。
テンセルが咆哮し、巨大化した腕を振り下ろす。シアは正面から受けるのではなく、槍を斜めに滑らせ、衝撃を横に逃がした。石床が砕け、粉塵が舞い上がる。シアの防御は俺の影響を受け始めていた
「ぐっ……!」
腕が痺れる。それでも後退しない。
シアの役割は倒すことではなかった。ただ、時間を稼ぐこと。シルクが智を治癒する、その時間を。
「シルク! 早くしろ!」
「わかってますわ……っ!」
シルクは震える手を止めず、魔力を注ぎ続けた。
「智様……起きて……。みんな、死んじゃいますわ……智様……っ!!」
テンセルがゆっくりと右腕を振り上げた。その拳には、一撃でこの場を消し飛ばすほどの、漆黒の極大魔力が収束していく。
シアが槍を構え直す。ミラが歯を食いしばり、レザードが折れた剣を強く握りしめた。誰もが最悪の終焉を覚悟したその時。
――トクン。
静寂の中で、一つの鼓動が跳ねた。
「……智、様?」
シルクの震える声。
瓦礫の山から、一人の男が泥にまみれ、血を流しながら這い出してきた。足取りはおぼつかない。だが、握られた鉄剣の先は、一点の曇りもなくテンセルを見据えている。
「もし、少しでもおれのせいだとしたなら……引導を渡してやるべきだよな」
絞り出すような声だった。表面的には冷徹で突き放した響き。だが、その内心は引き裂かれるような悲鳴を上げていた。
(お前の努力を、お前の誇りを、あんな形でしか受け止められなかった俺を恨んでいい。……せめて、この悍ましい悪夢からは、俺が今すぐ解放してやる)
智は溢れそうになる涙を、奥歯を噛み締めて飲み込んだ。
「智様……まだ内臓の修復が……!」
シルクの制止を、智は片手で静かに制した。
「全員、下がってろ」
シアは一瞬だけ智を見た。
それから無言で槍を引き、一歩だけ横に退いた。
道を、譲りこう述べた
「前衛コンビってのも悪くないかもな、智よ」
完結まで書き切れましたので毎日投稿になってます
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