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招かれざる愛と、笑わない瞳

一睡もできなかった。

 

昨夜、魔眼の侵食に耐えかねて部屋を訪ねてきたミラの、縋るような指先の冷たさがまだ残っている。強くなるために俺を求めた彼女の瞳は、どこか義務的で、それでいて必死だった。

 

「……はぁ」

 

重い体を引きずり、宿屋の共有スペースへと向かう。

 

そこには既にシルク、ミラ、シアの三人が揃っていた。

 

「おはようございます、智様。……ずいぶんと隈が酷いですわね? 昨夜は、さぞかし『お忙しかった』のでしょうか」

 

シルクが、いつもの完璧な手際で紅茶を差し出してくる。

 

微笑みはいつも通りだ。だが、言葉の端々に、逃げ場を塞ぐような冷ややかな響きが混じっていた。

 

「あ、ああ……。慣れない王都のベッドだったからな」

 

「……そうですか。後で安眠のハーブを用意しておきますわね。……ミラ様も、今朝はやけに食欲がないようですわ?」

 

シルクはそれ以上何も言わず、甲斐甲斐しく朝食の準備を続ける。

 

その隣で、ミラは気まずそうに視線を逸らし、必死にパンを口に運んでいた。前髪で隠された左目から漏れる微かな光が、昨夜の「成果」を無言で主張している。

 

(……この空気、しんどい)

 

俺は何も言えないまま、紅茶に口をつけた。

 

そこへ、ドタドタと騒がしい足音が廊下に響き渡った。

 

「智様ぁ! 智様はどちらですかぁ!」

 

バァン! と勢いよく扉が開く。

 

そこにはボロボロの旅装束に身を包み、髪を振り乱したレザードが立っていた。

 

「智様! やっと……やっとお会いできました! 昨夜、貴方の部屋の前で一晩中待っていたのですが、中からミラ様のk――ぶふぉっ!?」

 

「なっ、何言ってるのよこの変態女ぁぁぁ!」

 

ミラが音速を超える動きで飛び出し、レザードの口を全力で塞いだ。

 

「んんーっ! んんんーっ!」

 

「黙りなさい! 殺すわよ! 今すぐ石にして粉々に砕いてあげましょうか!?」

 

ミラがパニックになりながらレザードを引きずり回す。だがレザードは窒息しかけながらも、その瞳に恍惚とした光を浮かべて悶えていた。

 

「……おい、智。ちょっとツラ貸せ」

 

シアが、呆れ果てたようなニヤリとした笑みで歩み寄ってくる。

 

「お前、普段常識人ぶってるが、こういう方面の立ち回りはデタラメだな。……まあ、勇者様をこれだけ必死にさせたんだ。なるほどなぁ」

 

「……え?」

 

直後。一切の淀みがない重いボディブローが、俺の腹部にめり込んだ。

 

「ぶっ……!?」

 

「個人的には面白いがな。女として……ケジメだ」

 

悶絶している俺の背後から、さらに冷ややかな声が飛んできた。

 

「……何だ、この無様な騒ぎは。元勇者といい、近衛の面汚しといい、嘆かわしいな」

 

入り口に立っていたのは、豪華な鎧を纏った近衛騎士たちだ。

 

「副団長レザード。貴殿がこの『最弱』の男に敗れたという報告を聞き、正気を疑ったが……どうやら本当のようだな。魔力も使えぬ男に現役勇者を預けるなど、王国の損失だ」

 

騎士たちの嘲笑が響く。

 

だが、その瞬間。

 

先ほどまで悶えていたレザードが、死神のような冷徹な声で呟いた。

 

「……おい。誰に向かって、その口を叩いているの?」

 

ミラの拘束を振りほどき、ゆっくりと立ち上がる。

 

その瞳からは淫靡な熱情が消え、かつての「最強の矛」としての鋭利な殺気が溢れ出していた。

 

「レザード副団長、正気に戻れ! こんな男に――」

 

「黙れ。……貴様ら、智さまの『剣』を一度でも肌で感じたことがあるのか?」

 

レザードの声が、低く、静かに室内を満たす。

 

「魔法も魔力もすべてを無に帰すあの技術を理解できない低能どもが、智さまを侮辱するな。……次、その汚い口を動かしてみろ。この場で貴様らを肉塊に変えてやる」

 

圧倒的な殺気に、騎士たちは一歩も動けず固まった。

 

沈黙が、室内を支配する。

 

(……レザード。こいつ、本気でヤバい)

 

かつて俺を追い詰めた実力者が、今は俺のために牙を剥いている。それがどういう意味を持つのか、まだ答えは出ない。

 

「……レザード。お前、今後どうするつもりだ」

 

俺が静かに声をかけると、彼女はピタリと動きを止め、振り返った。

 

その瞳に、じわりと熱が戻ってくる。

 

「智さまさえよければ……どこまでもお供します」

 

「却下だ」

 

「え……っ」

 

「お前は近衛だろ。持ち場に戻れ」

 

レザードの顔が、みるみる曇っていく。

 

「で、でも智様……私はもう、貴方のいない場所には――」

 

「戻れ。また何かあれば呼ぶ」

 

それだけ言って、俺は踵を返した。

 

背後でレザードが何か言いかけたが、シアが無言でその肩を掴み、廊下の外へ引きずり出す音が聞こえた。

 

「……ふう」

 

「智様」

 

シルクが静かに歩み寄ってくる。

 

「よろしかったのですか? あの方、また来ますわよ」

 

「……わかってる」

 

「でしょうね」

 

シルクはそれだけ言って、微笑んだ。

 

完璧な笑みだった。

 

だが、その目だけは――少しも笑っていなかった。

 

 

その時。

 

遠く、王城の方角から、鐘の音が響いてきた。

 

一度。二度。三度。

 

不規則な、緊急を告げる打ち方だった。

 

「……何だ?」

 

窓の外を見る。王城の方角に、人が動いている。

 

嫌な予感がした。

 

この部屋にいた全員が、静かに同じものを感じていた。


完結の目処が立ったので毎日投稿になりました!


ここまで読んでいただきありがとうございます!


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