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石の魔眼

石の魔眼

 

王都に滞在して、数ヶ月が過ぎた。

 

勇者パーティーの日常は、表面上は穏やかに見えた。

 

だが、その水面下では――決定的な「変質」が、静かに始まっていた。

 

「……はぁ、はぁ……っ!」

 

王城の裏手にある訓練場。

 

ミラは膝をつき、激しく肩で息をしていた。

 

視界の端が、どろりと濁った灰色に染まっている。

 

全身の関節が鉛を流し込まれたように重く、指先は感覚を失い、白く硬質化しかけていた。

 

「……また、これか」

 

自嘲気味に呟く。

 

魔眼――数ヶ月前、強さへの渇望の果てに開眼させた禁忌の力。

 

見るだけで対象を石へと変える瞳は、まだ制御が甘い。

 

出力を上げれば、その余波は術者であるミラ自身をも侵食してしまう。

 

「ミラ様! また無茶をなさって……!」

 

駆け寄ってきたのはシルクだった。

 

手慣れた手つきで回復魔法を編み上げる。温かな光がミラを包み込み、石化しかけていた肌に血色が戻っていく。

 

「……ありがとう、シルク。少し、魔力の循環が乱れただけよ」

 

「魔力の乱れで肌が硬質化するなど、聞いたことがありませんわ」

 

シルクの翡翠色の瞳が、探るようにミラの顔を覗き込む。

 

最近のシルクは鋭い。

 

パーティー内のわずかな空気の変化を、彼女は致命的な違和感として捉えていた。

 

「なんでもないわ。……シアは?」

 

「シアさんは騎士団の連中と飲みに行きましたわ。……ミラ様、最近、智様と二人きりになる時間が増えていませんか?」

 

ドクン、と心臓が跳ねた。

 

ミラはそれを、表情には出さなかった。

 

「……彼は、私の相談に乗ってくれているだけよ」

 

「そうですか……。なら良いのですが」

 

シルクはそれ以上追及しなかった。

 

だが、その背中には隠しきれない不信感が漂っていた。

 

――数日後。

 

訓練場には、槍を携えたシアと、剣を構えたミラの姿があった。

 

「おいおい、そんな怖い顔すんなよ勇者様よ。ただの手合わせだろ?」

 

シアが不敵に笑い、巨大な槍を片手で軽々と回す。

 

元近衛兵の彼女は、身体能力と槍術において王国でも右に出る者がいない。

 

正直、俺が勝てたのはまぐれに近い。仲間で本当によかった。

 

「……怪我をさせたらごめんなさい、シア」

 

「期待してるぜ。智の野郎に付き合ってから、あんたの魔力の質が変わった気がするからな」

 

シアの一歩は、爆発的だった。

 

「重い」はずの槍が、重力を無視した速度でミラの喉元を突く。

 

防御魔法が展開される。火花を散らす障壁。

 

だが、シアの連撃は止まらない。重い。ミラの魔法障壁がミシミシと悲鳴を上げる。

 

(……もっと。もっと力が……!)

 

ミラの脳裏に、あの魔族に膝をつかされた屈辱が蘇る。

 

「……《魔眼》」

 

左目が、不気味な金色に輝いた。

 

シアの動きが、目に見えて鈍る。

 

「……っ!? 体が重……っ」

 

石化の魔眼。ミラは必死に理性を保ち、出力を「鈍化」に留めていた。

 

それでも、シアの剛腕を止めるには十分だった。

 

「これで――終わって!」

 

巨大な魔法陣が展開される。

 

爆炎が吹き上がり、シアの体が後方へと弾き飛ばされた。

 

「……そこまで!」

 

地面を転がったシアは、槍を支えに立ち上がった。

 

鎧の一部は焼けていたが、その目は鋭くミラを見据えていた。

 

「……今のが魔眼か。強烈だな」

 

「……なんであんたは、そんなに動けるのよ」

 

ミラは剣を握りしめ、震える指先を隠した。

 

左目の疼きが、止まらない。

 

「ミラ様、お見事でしたわ」

 

シルクがタオルを持って歩み寄る。その微笑みは完璧だった。

 

だが、その心の中には冷たい違和感が広がっていた。

 

(あの魔力……何かが違う。どろりとした、不浄な気配……)

 

シルクはミラの左目を見つめようとして、反射的に目を逸らした。

 

(もし、ミラ様がその力を智様から得ているのだとしたら――)

 

「……シルク? 顔色が悪いわよ」

 

「いえ、少し立ち眩みがしただけですわ」

 

シルクはいつもの笑みを貼り付けた。

 

確信はない。確信したくもない。

 

けれど、「智様を奪われる」という恐怖が、彼女の指先をかすかに震えさせていた。

 

――その夜。

 

俺の部屋の扉が、静かに開いた。

 

「……すみません」

 

「ああ。また、右手の感覚がないだろ」

 

俺の手が、ミラの白く硬直した指先を包む。

 

「……怖い。このまま、私が私でなくなっていくのが」

 

ミラが静かに呟く。

 

「でも――この力があれば、もう負けない」

 

これが正しいとは思っていない。

 

少女を禁忌の道へ引き込んでしまった責任感が、俺をここへ向かわせる。

 

「……お前がそれで納得するなら、おれは何も言わない」

 

その扉の向こう。

 

廊下の闇の中に、シルクが立っていた。

 

手には、俺のために淹れたお茶があった。

 

だが、そのカップからはもう――湯気は上がっていない。

 

扉の向こうから聞こえる、微かな衣擦れの音。

 

(……ああ、やっぱり。やっぱり、そうですのね……智様)

 

シルクは扉を開けることができなかった。

 

彼女はぎゅっと、血が滲むほど拳を握りしめ、静かにその場を去った。

 

「……智様。いつか必ず――私だけのものに戻して差し上げますわ」

 

――一方その頃、王都の城門前。

 

「智様ぁ……どこですか智様ぁ……」

 

ボロボロの旅装束に身を包み、門兵の制止も聞かずに這い寄る影があった。

 

元副団長、レザード。

 

その瞳には、かつての厳格さなど微塵もなく――ただ狂気的な熱情だけが宿っていた。

 

勇者パーティーの均衡は、音を立てて崩れ始めていた。


完結の目処がたったので毎日投稿になりました!


ここまで読んでいただきありがとうございます!


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