残痕の朝
翌朝。
庭に差し込む陽光が、屋敷の窓を淡く照らしていた。
智はミラと並んで歩いている。
だが、ミラの歩幅はいつもより少しぎこちない。剣士らしい均整のとれた足取りが、今日だけは微妙に乱れていた。
「……大丈夫か?」
智が声をかけると、ミラはにっこりと微笑んだ。
「ええ、平気です」
即答だった。
(……その割に、歩き方が微妙に変じゃないか)
智は何も言わなかった。言える立場でもないし、言ったところで「平気です」以外の答えは返ってこないだろう。
縁石に腰掛けようとしたミラが、そっと息を漏らした。ゆっくりと、慎重に。
「……大丈夫か?」
「平気です」
「……そうか」
二度同じ問答をして、俺はそれ以上何も言わなかった。
少しの沈黙の後、ミラが小さく言った。
「……ありがとう」
短い言葉だった。だが、その短さの中に、昨夜のすべてが静かに折り畳まれていた。
智は軽く頷く。視線を前に向けたまま、それだけだ。
言葉にしなくていいことがある。昨夜のことは、二人の間にそっと置いておけばいい。
ただ、庭を流れる朝の風が妙に心地よかった。
――
数日後。
訓練場で剣を振っていたミラが、ふと動きを止めた。
「……あ」
鏡をじっと見つめる。その左目に、うっすらと金色の光が宿っていた。
「……魔眼……?」
負けた女魔族と同じ、石化の魔眼。元々オッドアイだったミラには、魔眼の素質があったのだろう。それが、昨夜の「伝承」によって早まった形だ。
ミラは右手を顔の前にかざし、まじまじと自分の目を見つめた。
「……これが、力」
呟く声は、静かな確信に満ちていた。女魔族に完敗を喫したあの日から、ミラが求め続けていたもの。強くなりたい。もう、あんな思いはしたくない。その一念が、昨夜の決断を後押しした。
コンプレックスが、ここまで作用するものなのか。智には理屈がわからない。ただ、あのオッドアイの少女が、また一つ、別の何かになろうとしていることだけは分かった。
剣を振ろうとした瞬間、視界がわずかに揺れた。
「あっ……!」
慌てて腰掛け、呼吸を整える。手で剣を握り直し、目を閉じて集中する。
「……よし。絶対に、使いこなす」
その瞳には、強さと意志が光っていた。
魔眼の副作用は侮れなかった。他者を誤って石化させることはないが、制御を誤れば自分自身が石化してしまう。訓練にはシルクが立ち会うことになった。
「……チートだよな、あいつ」
智は横目で見ながら、心の中で呟く。ヒールで石化まで直せるなど、本来あり得ない能力だ。
「お前、本当に勇者向きだな」
ミラは少し驚いたような顔をして、それからふいと視線を逸らした。
「……当たり前じゃないですか」
照れているのか強がっているのか、判断がつかない横顔だった。
新たな力と、昨日の余韻。
二つが胸の奥で静かに息づいている。
ミラの変化は――まだ、始まったばかりだった。
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