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決着、あるいは価値観の断絶

女魔族は叫び疲れたように、ぐらりとその細い身体を揺らし――糸の切れた人形のように、どさりと膝をついた。

 

両目を潰され、そこから溢れるのは鮮血ではなく、魔力の霧が混じったどす黒い液体だ。彼女が築き上げてきた「強者」としてのプライドが、自ら石化した指によって完膚なきまでに破壊された瞬間だった。

 

戦場に、刺すような静寂が降りる。

 

勝利したはずなのに、そこには凱歌も歓喜もない。ただ、形容しがたい「寒気」だけが漂っていた。

 

「……」

 

ミラも、シアも、シルクも。誰も、すぐには動けない。

 

ゆっくりと立ち上がり、石化した指にこびりついた「肉片のようなもの」を無造作に振って落とした時、シアがようやく、喉の奥から絞り出すように呟いた。

 

「……今の」

 

シアの声は震えていた。怒りでも恐怖でもない。もっと生理的な、胃の奥がせり上がるような不快感。彼女は顔をひきつらせたまま、俺から半歩、明確な距離を置いた。

 

「えっぐ……何だよそれ。えぐすぎる……っ」

 

俺はふぅ、と長く、重い息を吐く。

 

(……死ぬかと思った。マジで死ぬかと思った……! 腕が動かないから、もう指を突き出すしか道がなかったんだよ。あんなバケモノ、一瞬でも隙を見せたらこっちがバラバラにされてた……。)


(あぁ、今更心臓がバクバク言ってきた。膝が笑ってる。指の感触が消えない。気持ち悪い、今すぐ石鹸で洗いたい……!)

 

内心で悲鳴を上げ、情けなく震える膝を必死に隠していたがその外側は、どこまでも冷徹な「事後処理」の体現者にしか見えなかった。

 

「いや勝ったけどさ…。勝ったが…」

 

シアが、耐えきれないといった風に叫ぶ。彼女の手は、いまだに己の武器を強く握りしめたままだ。智に向けるためのものではない。


だが、そうでもしていなければ、目の前の「平然と目を抉った男」への違和感に飲み込まれそうだった。

 

「お前それでも元勇者か!? やり方がゲスい……ゲスすぎるんだよ!」

 

「……うるさいな」

 

努めて淡々と、肩をすくめて見せた。

 

「正面からやって勝てる相手じゃなかっただろ。お前らならともかく、俺みたいなのが魔族相手に正々堂々やれるわけないだろ」

 

「道理としてはわかるが…」

 

シアは頭を抱えた。彼女の視線は、智の指先と、地面に転がる気絶した女魔族の間を激しく往復する。

 

「いやでも、普通やるか!? 目ぇ潰すって! 指を、あんな……っ。


もちろん無くはない!だがあたしだって戦場は潜ってきたけどよ、あんな『事務作業』みたいにエグいことする奴、見たことねーよ!」

 

「やるだろ。魔眼持ってるやつ相手なら、真っ先に潰すのが定石だ。視覚を奪えば、反撃の精度は九割落ちる」

 

「やらねぇよ! 普通はもっとこう、斬るとか叩くとか……!」

 

「無駄だ。こいつの皮膚は硬質化の魔術で守られてた。柔らかい粘膜を通すのが、最もエネルギー効率がいい」

 

「効率って……お前……っ」

 

シアは絶句し、本気で「引いた」顔で智を見つめた。

 

彼女にとっての戦いは、意地と誇りのぶつかり合いだった。だが、智にとっての戦いは、害獣を駆除するための「作業」に等しい。その徹底した非人間的な合理性が、彼女には何よりも恐ろしかった。

 

――その横で。

 

シルクが、静かに、深く息を吐いた。

 

「……見事です。智様」

 

その声音には、一点の曇りも、迷いもなかった。

 

「え?」

 

シアが、信じられないものを見る目でシルクを振り返る。

 

「いや、シルク!? どこがだよ! 今の見たろ!? 指、目ん玉に突き刺してたんだぞ!?当たり前のように」

 

シルクはわずかに首を振った。彼女の瞳は智を優しく捉えていた。

 

――捉えていた、が。

 

「おい、なんでそんなに距離をとってるんだシルク……お、お前まで……」

 

智の指摘通り、彼女は聖母のような微笑みを浮かべながら、俺との間に不自然なほどの「空地」を維持していた。俺が一歩進めば、彼女は優雅な所作で一歩下がる。

 

それでも、彼女の理性は智を全肯定する。

 

「勝つべき相手に、勝つべき手段を選んだ。ただ、それだけです。……それができる方は、そう多くありません。大抵の者は、己の倫理観や『見栄』というノイズに負けて、死ぬ道を選びます」

 

「シルク……お前、説得力ないな」

 

シアは、シルクの笑顔の下に隠しきれない「引きつり」を見逃さなかった。口では称賛していても、本能が智の指先を拒絶している。

 

シルクはシアの指摘をあえて聞こえないふりをし、静かに、だが鋼のような強さを持って言い切った。

 

「最も確実な、生存の道を選んでいます。……智様が選ばなければ、私たちが死んでいた。それ以上の正論が、この世にあるでしょうか?」

 

「……っ」

 

シアは言葉を失った。正論だ。ぐうの音も出ないほどの正論。

 

智はそのやり取りを横目に、ふい、と視線を逸らした。

 

(あー……シルク……じゃあなんでそんなに距離をとるんだよ。これじゃまるで子供の頃にやられたエンガチョされた気分じゃないか…)

 

智の卑屈な自己評価は、さらに深い穴へと潜っていく。

 

「勝てばいいんだよ、勝てば」

 

自分を納得させるように、智は小さく毒づいた。

 

「とにかく!」

 

シアが、その重苦しい空気を振り払うように叫んだ。

 

「そいつの首を今すぐはねろ! ……いや、私がやる! こんな奴、生かしておいたら何されるかわかったもんじゃねー!」

 

彼女はナイフを抜き放ち、一歩、踏み出す。その顔には、先ほどまでの「引き」を、攻撃的な正義感で塗りつぶそうとする焦りがあった。

 

「ま、待ってくださいまし!」

 

シルクが慌てて前に出て、シアの進路を遮るように制止した。

 

「なに止めるんだよ、シルク!」

 

「この者は捕虜にすべきです!」

 

シルクは一歩も引かず、真っ直ぐに言い返した。

 

「このレベルの魔族が動いている以上、背後にはさらに大きな勢力があるはず。情報を引き出せる可能性があります。……彼女の魔眼は智様が破壊しました。今はほぼ無害です」

 

「うるさい!」

 

シアの声が荒れる。

 

「こいつは村を一つ壊滅させてるんだぞ! あの惨状を見たろ!? 死んだやつらが浮かばれないだろうが! 慈悲なんて必要ない!」

 

「慈悲ではありません、合理性の話です!」

 

「その合理性が、あたしは気に入らねぇんだよ!」

 

二人の言い争いが激化していく。

 

村人たちの無念を晴らしたいシアの熱い正義感と、未来の被害を防ぎたいというシルクの冷徹な判断。

 

(あぁもう……)

 

智は小さく、誰にも気づかれないように頭をかいた。

 

(どっちの言い分もわかるけど、女の喧嘩ってのは一番心臓に悪い……)

 

足元で力なく転がっている女魔族を見下ろした。両目を失い、ただ荒い呼吸を繰り返すだけの肉の塊。

 

震える自分の右手を、左手でそっと押さえた。

 

「……おい、シア。シルクの言う通りにしてやれよ」

 

その低く、感情の抜け落ちたような声に、二人の言い争いがピタリと止まる。

 

シアが、信じられないものを見る目で智を見た。

 

「…あ?お前……まさか、こいつを許せってのか?」

 

「許すなんて一言も言ってない」

 

暗い底のような瞳でシアを見つめ返した。

 

「死ぬより辛い目に合わせるために、生かしておくだけだ。……情報の搾りカスになった後で、好きなだけ斬ればいい」

 

その、あまりにも「淡々とした残酷さ」に、シアは今度こそ、本当の意味で黙り込んだ。

 

 

「……勝手にしろよ」

 

シアは吐き捨て、ナイフを鞘に叩き込んだ。

 

それを見届けてようやく、心の底でホッと胸を撫で下ろした。

 

(あぁ……やっと終わった。お城に帰ったら、温かいスープ飲んで寝よう。……でもその前に、この石化した手、誰か洗ってくれないかな……。


いや、無理か。今の俺、絶対みんなに嫌われてるもんな……。お。魔眼を潰したからか、魔族が気絶したからか分からんけど、石化は薄れてきたな)

 

感覚の戻り始めた指先を、智は所在なさげに動かす。

 

だが、その指に付着した「汚れ」が完全に落ちるまで――石鹸で念入りに手を洗うその時まで。

 

シルクは満面の笑みを絶やすことなく、しかし、決して智の「間合い」に踏み込んでくることはなかった。


お陰様で2000pv達成しました!ありがとうこざいます(感涙)


ここまで読んでいただきありがとうございます!


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