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無音の死神、饒舌(じょうぜつ)な足跡

 鉛のように重い石化した両腕を、あえて大仰に天へと突き上げた。


「無刀流――奥義……!」


 その重々しい宣言。虚空を睨む鋭い眼光。

 女魔族の意識は、本能的に"上"――放たれるであろう未知の打撃へと釘付けにされた。強者ゆえの、真っ当な警戒心。それが彼女の命取りとなる。


 ――その一瞬。


 足が、獲物を狙う蛇のように静かに地を這った。


 バッ、と乾いた砂が弾ける。


「――っ!?」


 顔面を襲う土砂の礫。魔族の動体視力をもってしても、至近距離での不意打ちは防げない。


「バーカ! 無刀流なんてねーよ 

お前みたいな格上、正面から相手してられるか! いったん引かせてもらう!」


 吐き捨て、智は猛然と背を向けて走り出す。


 ドンッ、ドンッ、ドンッ。


 大地を叩く、乱暴で必死な足音。それは焦りに駆られた敗北者の逃走そのものだった。


「逃げるの?」


 女魔族は、砂を噛むような屈辱の中で嗤った。


「みっともないわねぇ……男が聞いて呆れるわ!」



――女魔族視点


 無刀流? 奥義?


 ……手に何も持たぬ無力な人間が、死に際に何をほざくかと思えば。

 砂をぶつけ、背を向けて逃げ出す様は、まさに路地裏の鼠そのもの。


「っ……!」

 視界が焼ける。目に入った砂が粘膜を刺激し、脳を苛立たせる。


 だが、耳は生きている。

 

 あいつは、確かに逃げた。

 

 地面を叩くあの不格好な足音が、次第に遠ざかっていく。

 ……ああ、心地よい音だ。強者が弱者を追い詰める、狩りの時間の始まり。

 

 こんな目潰し、すぐに収まるわ。逃がさない。その心臓を掴み出し、絶望の味を噛み締めてやる。


 そう確信して、一歩踏み出そうとした――その刹那。


 (……おかしい)


 私の脳が、急速に冷え切っていく。

 違和感の正体を探そうと、思考が高速で回転を始めた。

 

 さっきまで。

 あいつは――足音を一切、立てていなかったはずだ。

 

 一流の暗殺者ですら不可能な、完全なる無音。それを維持していた男が、なぜこの土壇場で、これほどまでに「うるさく」走る?

 

「……まさか」

 

 嫌な汗が背中を伝う。

 違う。あの音は――

「ちょ、ちょっと待っちなさっ……!」

 

 溢れ出す涙を強引に拭い、無理やり瞼を抉じ開ける。

 滲む視界。光が散らばる。

 

 その、すぐ目の前に。

 

 影が、立っていた。

 

 音もなく。

 気配もなく。

 まるで、世界のことわりから切り取られた死神が、最初からそこに佇んでいたかのように。

 

「っ――!?」

 

 心臓が止まるかと思った。

 

 理解した。

 あの足音は、聴覚を欺くための「囮」だった。

 背を向け、地を叩く振動だけを「遠ざかる足音」として脳に誤認させ――

 この男は、一歩も動かず、至近距離で私の喉元を狙い続けていた。

 

 ――こいつは、危険だ。

 

 本能が叫びを上げるが、筋肉がそれに追いつかない。

 背筋を駆け上がる、凍りつくような死の予感。

 数百年、数千人を蹂躙してきた私が、虫ケラと見下していた人間に――

 「恐怖」という名の支配を許してしまった。

 

 気づいた時には、すべてが手遅れだった。

 

 石化した男の両の指が、まっすぐに、迷いなく突き出される。

 

 ぐしゃり。

 

「ぎゃあああああああああああああああ!!!」

 

 視界が、爆ぜる。

 柔らかな眼球を貫き、脳にまで達する衝撃。

 

「…あ゛ぁ!私の、私の、私の眼が…!」


「な……に……!? なんで……そこに……!」

 

 逃げたはずだ。音は遠ざかったはずだ。

 物理法則が、因果律が、私の常識が粉々に砕け散る。

 

「お前も言ってただろ?」

 

 地獄の底から響くような、静かな声が耳元に届いた。

 

「足音、しないって」



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