最強の「外」、最弱の「芯」
―シアの視点―
なんなんだ、こいつの動きは――。
遅い。明らかに、遅い。
なのに――次の瞬間、消えた……?
いや、違う。
消えたわけじゃない。
視界の端にも、残像にも、影にも――何もないのに、
そこに、いる。
息を吸う間もなく、空気が押し潰される感覚。
タイミングをずらされた?いや、そんなレベルじゃない――異質すぎる。
「……チッ」
踏み込みが読めない。
いや、読んでいるはずなのに――ズレる。
予備動作も、癖も、呼吸のリズムすらも消えて――
それなのに動ける。どういうことだ……?
槍を振りかぶる――突く――
間合いの中心に入るはずが、もう、こちらの背後にいる。
刃は届かない。力も速度も、あたしの方が上のはずなのに――当たらない。
正直、完全に攻めている。勝っている。
なのに、胸の奥で何かがざわめく――
理屈が通じない。感覚がねじ曲がる。
「いい加減にしやがれ、この弱小勇者が!」
苛立ちを膝に叩き込む。
鈍い衝撃。腹に押し込まれる感触。吐しゃ物が石畳に飛び散る。
跳ね返る衝撃、冷たい石の硬さ、匂いまでが鮮明に迫る。
(……よし)
あとは削るだけだ。じっくりと、確実に――。
――なのに。
「……なんだ、その目は」
ぼんやりしているようで、全てを見透かされている。
頭の中が、真っ白になる。言葉が出ない。
突く――避けられる。
薙ぐ――なぜそこにいない。
(なんだ、こいつ……!)
わずかに体勢が崩れた――その瞬間、
空間が裂けるような音もなく、次の瞬間には、もう間合いの中心にいる。
ガッ!!
「――は?」
もうそこに……?
槍が、腕が、奴の剣が邪魔で全く振れない。
(なにを、している……!?)
勇者が――
地味な動きで――いや、違う。
重心、視線、呼吸、体の微妙な傾き――
全てが刃になって、時間を押し込むように迫ってくる。
視界の片隅――
一瞬、光が反射して消えたと思ったら、もう横にいる。
槍を振る――間に合わない。
左に避ける――背後にいる。
薙ぐ――あたしの視界の端すら捕えられない。
小さな揺れ、ほんのわずかな空気の動き――
それだけで、あたしの体勢が崩れる。
手を出せば、影だけが触れる。
踏み込めば、空間そのものがねじれるように、先に敵がいる。
息が詰まる。
視界が揺れる。
心臓の鼓動が、耳の奥で跳ねる。
――間に合わない。
――全部、間に合わない。
額に、軽い衝撃――コツ、と触れた。
止まった。
動きも、思考も、時間さえも、凍る。
(……負けた?)
そんなはずはない。
こんなやつに――こんな、得体の知れない動きをする人間に――。
全身に、どろりとした焦りが広がる。
手のひらは震え、息は荒く、心臓は喉元まで跳ね上がる。
でも、なぜか次の瞬間を待ってしまう――
理解できない恐怖と、理解できない好奇心が、頭の中で渦を巻く。
目の前の元勇者は、ただ静かに、こちらを見ているだけ。
けれど、その瞳には、吸い込まれるような威圧がある。
弱いはずなのに――なぜ、こんなにも恐ろしいのか。
――まるで、世界そのもののルールを無視しているみたいに。
――時間さえ、あたしを裏切ったみたいに。
今、この間合いで――
何度突こうとしても、何度振ろうとしても――
勇者は一瞬で、あたしの意識の外に現れる。
あたしが見る前に、動く。あたしが思う前に、動く。
息を吐く――その間に、もう背後。
踏み込む――その間に、側面。
回転――間に合わない。視界に映るのは、残像だけ。
まるで、勇者自身が時間と空間を、自在に引き伸ばしているみたいだ――。
(……負けた……)
あたしの全身が、動かない、震える、戦う力も、思考も、すべて奪われた。
こんなやつに――、こんな、得体の知れない動きをする人間に――。
時間も空間も、重力さえも、あたしの味方ではなかった。
この瞬間、完全に――勇者の世界に飲み込まれたのだ。
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