第二十話 強き者と従うモノ
これは、敵の幻覚か、あるいは悪い夢か。イェンエンに置いて、中隊長の立場の人間はおよそ五百人近くをまとめ上げる将の立場にある人間だ。この五万人規模となる戦場に置いて、その中隊長という軽くない業務に憑いている人間は百人程。その数字だけを聞けば多いと思うかもしれない。しかし、五万人いる中での百人というのは、存外上澄み中の上澄みであるのは間違いないことだ。
故に、中隊の長にはそれなりの力が求められていた。属する隊員たちをまとめ上げる統率力、上からの指示をかみ砕いて説明する読解力と説得力、並びに部下たちに己の強さを誇示するための力。それらがあって初めて駐館町の職に就くことができる。
だから、中隊長は自分たちよりもはるかに格上の人間であるのだ。そう、イェンエン第七中隊所属の軍人は思っていた。
だったらなんだ、この光景は。
どうして、中隊長が目の前で斬られている。どうして、腕の一つも上げようとしない。既に、その身体が真っ二つに切り裂かれていることにすら気に留める時間のなかった一兵卒の軍人は、ただただ呆然とその姿を見て立ち尽くすしかなかった。
その程度の力しかないが故に、その時は見過ごされたのである。
一方で、第八中隊は自分の隣の隊を指揮していたその隊長の死に一瞬だけ動揺した。だが、すぐに立て直して考察する。果たして、敵の女の行動が、≪偶然≫か、否かを。
必然だ。男はすぐに結論付けた。
これだけの数がいる軍人の中で、中隊長等という立場のある人間を正確に狙いすまして殺しているのだから。まず、間違いなく必然的な事。恐らく、昨日おとといと国の中に潜入した挙句にお目付け役だった軍人数名を殺したという間者が何かしらの工作をして、ソレを頼りにして攻撃したとみて、まず間違いない。
馬鹿な男だ、敵に身体の匂いを染みつかせるとは。そう、第七中隊の≪元≫隊長を蔑んだ後、どうしてそのようなことをしたのかの答えに辿り着いた彼は、口を塞いだ。
という事は、敵の狙いは彼が、空にいる味方に手で合図を送ろうとした時だった。
「た、隊長!?」
「慌てるな!! 第七中隊の者は私の中隊に入れ!!」
「ばっ……」
声を出した。それが、命取りの行動であることを、知らない。連鎖的に発言した者たちの声を聞いて、リュカは一人呟いた。
「四人……か」
リュカは、まだ立っていた元第七中隊隊長の死体を踏み台として加速する。魔力を使わない加速は、先ほどまでとは違って遅い。しかし、それでも常人のソレをゆうに超えた勢いでその男の目の前に辿り着いた。
そして―――。
「馬鹿、そんな言葉使えるのは上司か、同僚だけだよね」
「ッ!!」
第八中隊の隊長、並びに第十一中隊の隊長の首は血しぶきとともに空に飛んだ。この二人がすぐ近くに居たことが、二重の意味でその死期を早めたと言っても過言ではないだろう。おかげで、リュカにとってはこれ幸いという形で発作的に声を上げてしまった第八中隊の隊長を殺すことができた。
リュカは、その次に二人の死体を一瞥することなく空を見上げた。その先には、件の馬と鳥を抱き合わせにしたような姿をした獣、自分の世界で言うところのペガサスに似た鳥が群れを成していた。その上にいるのは、この国の軍人か。
ならば、やることは一つだけ。
「フッ!!」
魔力を足に集めて、今度は小さい出力で跳びあがった彼女は、セウォックの背中に乗っている兵士の胸を刺すとすぐさま叩き落した。この高さ、そして胸を刺したのだ。生きているはずもない。返り血も、どうやら必要最低限の物で済んだようだと、セウォックの毛に付着した元の主人の血を舐めるソレの手綱を握る。
必然、胃炎縁の所有物であるセウォックは暴れ始める。右に左に、上に下にと無茶苦茶に飛ぶソレに対して重力のおもさを実感したリュカは、心の中でその忠誠心に敬意を表す。
ならば、とリュカはセウォックの耳元で囁いた。
{言うこと聞かないと、殺すよ?}
{ッ!}
瞬間、セウォックの心を襲ったのは恐怖だった。今すぐにでも彼女の言う事を聞かなければ自分の命はない。弱肉強食の獣の世界に置いて、一番の強者と言っても過言ではない存在に対して、セウォックの忠誠心は氷のように固まり、そして解け始めた。
{もし、私の言う事を聞いてくれれば生き残らせてあげる。勿論、貴方の同類も……}
{ッ!?}
{どうする?}
笑顔でこちらを見つめて来る。そんな恐ろしいかをお見せつけられてしまえば、敵わないではないか。悪魔の取引を持ちかけられたセウォックは大空に向けて雄たけびを放った。
「うぉ、なんだ!?」
「馬鹿な、おい、止まれ!!」
「う、ウアァァァァ!!!!」
すると、リュカの騎乗したセウォック以外のソレは一瞬だけ顔を歪ませたのちに我先にと散り散りになって怯えながら飛び去って行った。その上にいた兵士たちは無論みな一様にしてセウォックをなだめようとするが、自然界に掟には逆らえず、中にはじゃ仇と言わんばかりに兵士を振り落としてまでも森の方へと逃げる物も現れた。
そして、残ったのはリュカの騎乗している物のみ。
「な、馬鹿な!? 誇り高きセウォックを、乗りこなしたというのか!」
「く、役に立たん奴らめ……総員攻撃はじめ! 裏切り者のセウォックもろともやってしまえ!」
野太い男の声とともに、リュカのいる空に向けて矢や魔法が飛んできた。彼女と、そしてセウォックは一切動じることなく空を駆けて攻撃を次々と回避していく。
なんと頼もしい背中だろう。安心して身体を預けて居られる獣に出会うのは、牢の一族以来の事だ。これは、この戦が終わった後も自分専用の馬として使いたい物だと、考えて居たとき、ふと彼女は懐かしい思い出を回顧した。
「あの時に見た空だ……」
己が、天下統一を目指すきっかけとなった、夢を持ったきっかけとなった、そして自分がこの世界に転生した日の、そんな思い出。父の背中に乗って、空を飛んだその日の事。
あの日から、本当の意味で第二の人生が始まったのだ。第二の、リュカとしての人生が。
懐かしい。たった五年前の出来事だというのに、遥か昔の事に感じてしまう。それほどまでにこの一,二カ月の出来事が濃かったのだろう。そして、きっとこれから送るはずの人生はそれすらも塗り替えてしまうほどに色濃く、そして血にまみれた人生になるはずだ。
リュカは、これまでの人生、前世の人生、そしてこれからの人生に思いを寄せて、改めてセウォックに告げる。
{ありがとう。向こうの森に逃げて、そこなら安心だから……戦が終わったら迎えに行く}
自信のこもったその声に、セウォックは強く頷いて、急降下する。
その中でも容赦なく飛んでくる魔法は、しかしリュカを掠めはしたもののその身体に直接あたることはなかった。避けて、あるいは弾いて、もしも身体の中心に飛んできたのならばリストバンドの盾を使っていただろうか。何にせよ、彼女はセウォックのおかげで少しは楽をすることができた。
リュカは、ある程度の高度に達したところでセウォックから飛び降りた。セウォックはソレを確認すると再び急上昇、遥か空かなたまで飛んでいき、いつしか見えなくなっていた。
それが、四十四中隊隊長が最後に見た光景だった。まるで朝ごはんを食べる時のように軽くそれをなしたリュカは、刀を構えながら叫ぶ。
「そこをどけ石ころ! そこは……私の天下取りのための道だ!」
と、狂乱の宴は、まだまだ始まったばかりである。できれば終わってもらいたくないと、そう彼女自身が願う宴に、多くの人間が不条理にも参加させられるのだった。




