第十七話 報告書
神を祀る国イェンエン。人口は大体十万人前後であると言われている。女人禁制。
とまではいかなくとも、人口の九割が男であり、またえげつなき規制制限を設けているため、それ以上女性が増えることはないと言われている。
また、酒の取り扱いについても徹底されており、飲酒はご法度。もしソレが判明すればすぐに軍人より捕縛されると言う厳しい罰則が設けられていた。
と、周辺の国家には伝えられている。この時点で怪しいのだが、しかしさらに調査をしているうちによりおかしなものを、恐ろしいともいえるのかもしれない物を見つけた。
それが、殺人に対しての法律。たとえどのような理由があっても人を殺した時点で極刑が言い渡されると言うのだ。復讐でも、正当防衛であっても、みな平等に処刑される。この国の極端中の極端な法律だ。
反吐が出る。そう思った。
他、国土についても記して覆う。イェンエンの国土は、周辺の森も含めると移動国家ヴァルキリーの四倍。標高二千メートル程度の移動国家がかすむほどの大地に国を建てており、この国に防御の面で勝る国はこの世界には存在しない。いや、そもそもこの国を襲うような≪マヌケ≫は存在しない。
イェンエンは全ての武器、軍身を放棄しているのだから。最初は暗黙の了解だった。しかし、ある時を境としてそれが条文として明確に各国に通達されるという事になった出来事があった。それが、十年ほど前の大戦争。世界同士の国土を求めた戦い。それに巻き込まれたこのイェンエンもまた、敵世界と戦うための軍の派遣を求められた。
しかし、神聖なる国イェンエンは軍を持たない。故に、派遣することができない。そんな謳い文句を大手に上げて世界中に対して通告し、結果多くの国が参戦し、血を流した大戦にイェンエンは終始傍観を決め込んだ。
幸か不幸か、その時の大戦ではこのせかいが 勝利をおさめ、世界自体を守る事には成功した。しかし、その代償はあまりにも大きく、それぞれの国の主要な大臣級の人間が死亡したことによる混乱が相次いで発生した。
そこで、戦後イェンエンがっとった手段が、自分たちの国から優秀な人間を派遣してそれぞれの国を立て直す、という名目の内政からの侵略だった。
彼らはイェンエンの手となり脚となり、そして駒となりありとあらゆる国の深いところまで進出し、あらゆる法案を通した。やがて、とある一つの巨大な国を服従させると、小さな国々智密約を交わし、そして終いには不可侵条約というあまりにも不平等な法律が押し通された。
その頃だったと言う。イェンエンは巨大な孤児院を開き、世界中の身寄りのない子供たちを≪公に≫引き取り始めたのだ。学校も作り、勉強を教え、神の偉大さで子供たちを洗脳する。いつしか、イェンエンは世界でも類を見ない程に大きな、しかし軍事的には一番脆弱な国へと生まれ変わった。
表向きに歯である。
「ふぅ……」
男は、報告書をまとめ上げるとため息を一つつき筆をおき、眉間を抑え込んだ。
まったくなんと馬鹿馬鹿しいのだろうか。このイェンエンという物は。神への忠誠だけでなる断つ国何てあるわけないし、軍備が全くなく維持できる国何て本来は存在しないはず。というか、その時点で色々と矛盾している。
裏がある。それを各国共に分かっていた。でも、混乱期に締結させられた条約に効果によってその裏を探ることもできなくなっていたのだろう。男は自分が派遣された意味を何となしに理解すると椅子を下げ、この国の人間から与えられた部屋を出る。
真っ白にまばゆく壁と、豪華絢爛な照明器具に照らされた廊下。あまりにも純白すぎて目が痛くなるほどのその廊下に、その白のために流れ出した血のように赤く染め上げられた絨毯を踏みしめながら彼は≪兵士≫の宿舎の中を進む。
ふと窓の外を見た。そこには剣や鎧、弓矢などどう見ても軍備を整えている人間の姿があった。もしくは自分たちがまたがるセウォックーこの世界で一番大きな鳥であり、馬と鳥を合わせたような外見をした獣の一種、人間の三倍ほどの大きさを持っているーに装飾品や手綱を付けている。
これで軍という物がないと言うのを謳っているのか。呆れた者だ。
他国には隠していたこと、しかしこの国には確かに常設された軍備が敷かれていたのだ。実際この目で見るまでは半信半疑だったが、しかし軍備のない国が存続していられるわけがないと思っていた彼から知ってみれば、ある意味では至極当然の光景でもあると思った。
彼は、そんな戦争の準備をしている人間たちを尻目にさらに廊下を進んだ。ふと、男はある場所で壁に背を預けた。そこは、廊下の端の方。そのためか、先ほどまで見えていたまばゆいばかりの照明の光も全く届かず、たった一つある窓から差下句光だけが、己の目を開けてくれる。そんな場所。
一人になるにはちょうどいい。しかし、その一人になると言うのもまた恐ろしいもの。もしも、この瞬間に襲われたら。そう考えるだけで冷や汗が出てたまらない。自分たちは≪彼女たち≫のように敵を圧倒できる力はないのだ。だから、いつも命を懸けた戦いをするしかできない。今朝の一件だって、ともすれば命を失っていた、いやそれどころか下手をうてば自分たちを信頼してくれた大勢の人間たちの命を失う可能性があったのだ。
そんな危険と隣り合わせの世界で暗躍すると言うのは、心身共に削られる思いがあった。≪あの子は≫無事であろうか。自分がこの国にお土産として持参した、あの子は無事任務を果たしているのだろうか。もし、この国に洗脳されるようなことがあれば。
緊張で、嫌な汗がにじみ出る。それでも、顔色を変えないでいられるのは、もしかしたら彼もまたどこ囲われている場所があったからなのかもしれない。
「ッ……」
窓の外からトン、トン、少し遅れてのトン。耳に聞こえの良い音がした。男は、深海から浮き上がって来たかのようにふぅと肺の中の空気を全て放出すると、報告書を窓の隙間に滑り込ませ、手を離した。すると、少しだけ顔をのぞかせていた報告書はひとりでに動き、少し目を離した瞬間にはまるで元からそんなものなかったかのように消えてしまった。
さぁ、自分のできることはここまでだ。ブツも渡した、証拠も十分。危険な橋を渡ったし、自分も命を懸けた。そのブツたちがはたしてこの戦いでどう役に立つのかは教えられないが、しかしやるべきことを覆えたその表情からは、すがすがしさを感じられた。
男は去った。その場から。まるで、最初からそこに人間なんていなかったかのようにゆっくりと、しかし普段通りだらしのない男としての演技をする。やるべきことを終えた。すべては、自分たちという限定的な人間を信頼してくれた、≪あの少女≫のために。
決戦前日の昼間の事であった。




