第十四話 これはいい物だ
産まれた時から一緒にあった両腕。それを食われた瞬間、ケセラ・セラの意識は混濁した闇の中へと消えていった。
足を失った時は何とか耐えることができた。でも、それは魔力を瞬時に足に集めたからであって精神的に強かったからではない。今回、彼女は手を食いちぎられた時、咄嗟に手に魔力を集めてとある魔法を発動したのだ。
結果、腕を止血するための魔力が無くなり、血が怒涛のように溢れ出した。勿論、足からも。その結果、彼女の身体は極端な血圧低下が起こって、意識がなくなった物と考えられる。
彼女にはこの時、キンが近くに居るからいつもの回復魔法をかけてくれるのだろうと淡い期待もあったのだろう。けど、その期待も潰えていた。最後に見た時彼女の手もまた食いちぎられていたのだ。
姉には確信があった。あれほど便利な魔法を使うにはそれなりの代償があるはずだと。それなりに制限があるのだと。これまでの魔法の使用から考えると、きっと彼女の魔法は片手では使う事ができないのだと。そんな姉の言葉が正しかったのならば、その魔法が使われることを期待しない方が良い。
そう、分かっていたのに彼女は魔法を発動した。すべては、姉の、リュカの、そしてこの国に住む全ての人たちのために。
覚悟はしていた。
後悔はなかった。
死ぬのは怖くなかった。
でも、せめて。それでもせめて後悔を残すことができるのであれば、残せる立場にあるのであればせめて、最後、は。
「お姉ちゃんの隣で、死にたかったな……」
ソレが彼女の最後の思いになる≪はずだった≫思いである。
そして。
【イタイノイタイノトンデイケ】
それが、彼女が意識を回復してすぐに耳にした言葉だった。
全てが、厄獣が彼女の両腕を食いちぎった時にまでさかのぼる。
『ケセラ・セラ!!』
絹を裂いたかのような悲鳴が、山に轟いた。目の前に突然出てきたケセラ・セラが、自分に向かって腕を伸ばして、突き飛ばしてくれた時の間隔が今でも胸に残っている。もし彼女がいなかったら、自分の身体も半分は食われていただろうことは容易に想像することができた。
右手首から先が、持っていかれた。でも、そんな事さして問題ではなかった。
『ツ!!』
己の目を鮮血に染めたケセラ・セラの赤黒い物を前にしたら、眩暈を起こす時間すらもなかった。
でも、自分が眩暈を起こしそうになっていたその時にも、彼女の最後の魔法が発動した。
「グルアァァァァァァ!!!!」
厄獣の身体からほとばしる発光、稲妻。敵の攻撃か、いや違う。この魔力の質はケセラ・セラの物だ。彼女は腕を食いちぎられる瞬間に【雷】の魔法をその体内に向けて発動したのだ。
どんな分厚い皮を持った化け物であったとしても、体内までは屈強のわけがない。その身体の中に、強力な魔法を放てば、いかな丈夫な生き物であったとしても致命傷は免れない。多くの人間がソレを知っていただから、二人ともが厄獣の体内に向けての攻撃は考えて居た。
勿論、その分の危険が孕んでいる。それが、ケセラ・セラがそうであったように腕を食いちぎられると言う事。だから、二人は安全に攻撃ができるようにと魔法で厄獣を捕らえ、そのさなか口の中に攻撃をするという手段を狙っていた。
それが、ケセラ・セラが己でも思考をすることもなく魔法を発動できた理由。
でも、その結果は見るも無残な物だった。
『クッ!!』
数秒間の閃光が厄獣の身体を突き抜けて、ありとあらゆる穴からの放電が発生し、肉が焼けた香ばしい匂いが鼻につきつけられるなか、突如として吐き気が襲う。友人の血を大量に見た精神的な痛みがようやく彼女の心に届いたのだ。
だが、そんなことに構っている場合じゃない。彼女にはすぐにケセラ・セラに回復魔法を使わなければならないと言う使命があったのだから。
けど、ソレが不可能だと分かった瞬間、キンは己の事であるかのように絶望した。
魔法が、出ない。いや、使えない。いつものように言魂を紡いでもその手からいつものようなあたたかい光を出すことができなかったのだ。
リュカが考察した通りだった。彼女は、両腕が無ければ回復魔法の使用ができないのだ。こと今回に至ってキン自身もようやくそのことに気がついた。手を失うと言う事なんてめったにない事だから当然だが、しかしその事実だけでも少女をどん底に落とすのは十分だった。
『ケセラ・セラッ……』
彼女は、血まみれの中で笑みを浮かべている少女に向かって後悔の言葉を考えるしかなかった。目の前で息絶えようとしている友を案じる言葉を出すしかなかった。ようやく気がついた。自分には、回復魔法しかないのだと。
罠なんて役にたたない、徒手空拳だって姉のを見よう見まねでやっているだけで多くの人間には遠く及ばない、手が無ければ誰かを救うために差し伸べることができない。己の無力さをことごとく思い知らされたキンは、まるで一人置いてけぼりを喰らった気持ちを感じ、虚無感の中にいた。それでも、彼女は最後の仕事とばかりに残った左手を、ケセラ・セラに伸ばした。
その、瞬間だった。
「ぐ、ルルル」
『え……』
厄獣の肉体から、低いうなり声が聞こえてきた。見ると、ソレはゆっくりと黒焦げた身体を持ち上げて、鋭い眼光で自分の方を見つめていた野田。まさか、あれほどの電撃を喰らって、まだ倒れないのか。死なないのか。普通の獣だったら十匹以上は丸ごと焦げてしまうような攻撃に、耐えうるのか。
化物だ。
そんなものに立った二人で挑んでいたなんて、なんて愚かな選択をしていたのだろうかと自分を責め、そしてはたと気がつく。
『そっか、私って……足手まといだったんだ』
キンは、脱力した。頭の上から足の先に欠けるまで力が抜け、足元に暖かい水の感触を感じながら、彼女は心の中で失笑した。
自分の実力はケセラ・セラとは比較にならない程に弱い。多分、この国での新兵を除いた人間の中でも一番弱い。
武器がない。
個性がない。
誰かを助ける力もない。
手を一つ吹き飛ばされた≪たったそれだけで≫何もできなくなってしまう。
きっと、そんな自分が近くに居たからケセラ・セラは戦い辛かったのだ。本当だったらもっと俊敏に動き回り、確実に厄獣を倒せる立ち回りをしていたはずなのに、自分という人間が存在していたから、その分も補助しなければならなかったのだ。
きっとそうだ。キンは悔しさに残った左手を握りしめる。
『ゴメン、ケセラ・セラ……』
もし、自分がいなかったら今頃この獣に勝っていたよね。そんな事はない、例えどんな言葉が帰って来たとしても、彼女は自分を責め続けるだろう。
大事な友人の一人の命も救えなかった、ちっぽけな人間として。
せめて、だ。せめて手負いの獣一匹を殺そう。それか、相打ちになって友と一緒にこの世に別れを告げよう。彼女への手向けとして、償いとして、自分をずっとずっと攻め続けよう。キンが覚悟を決めて、左手を上げた瞬間だった。
「グロロロロロロ!!??」
肉を切り裂く、鋭利な、だけど土泥の中を進むかのようなドロッとしたような音が耳に届いた。
一体何んが起こったのか、頭の中で整理がつく前に、宝飾品に彩られた鎧に身を包んだ少女と、人形のようにヒラヒラの服を着た少女が現れたのだ。
「間に合った……」
「はい!! お怪我……ッ!!?」
『貴方たちは……』
知っている、この間の戦いの後でヴァルキリーに乗った宝石職人の≪クォーツ≫、そしてクラクの≪婚約者の妹≫である≪カルラレスタ≫だ。どうやら、この二人もまたキンたちと同じく獣の気配をいち早く感じて、さらにそれぞれに単独行動をしていたがために早めに現着できたらしい。
だが、それでも一番早くとまではいかなかった。カルラレスタは、右手のないキンと、そして両腕右足を無くして血の気のないケセラ・セラを一瞥すると、すぐにキンに呼びかけた。
『貴女の手! それにケセラ・セラの足と腕はどこに!?』
『え、獣……語?』
『どこに!?』
『け、獣の腹の……中……』
『分かりました!』
突如として獣語を話し始めたカルラレスタにおっかなびっくりに事実を伝えたキン。後で知ったことだが、カルラレスタは移動国家ヴァルキリーに保護された後、リュカやエイミーとの話し合いの中で独学で獣語を習得していたそうだ。彼女曰く、本の血騎士だけで戦闘技術を習得していた自分にとっては、短いうねり声と長いうねり声のたった二種類で構成されている獣語の習得何て何の苦でもなかった、そうだ。
「クォーツ!!」
キンの言葉を受けたカルラレスタは、厄獣の身体を突き刺していた己の宝石の槍を引き抜きながらに耳を傾ける。
「二人の腕と足、それ以外を宝石にすることはできますか!?」
「……中に入って取って来るって事か……冒険家みたいで面白い。やってみる」
クォーツは、これだけの攻撃を受けてもまだ虫の域を保っている獣に触れると、魔法を発動させる。焦らず、じっくりと、しかし急いで、お腹のちょっとしたの方にある魔力の袋を絞り出すように強く、強く、強く、粘り強く、湧き上がってくる魔力を集めて、混ぜ合わせて、そして。
固めて。
固まれ。
硬まれ。
硬まれ!!
「ケァ……」
最後の一声は、とても地味な物だった。まず、獣の顔が宝石となった。その次に歯が、目が、毛皮の一本一本に至るまでが宝石になりながら、彼女は息も絶え絶えに呟く。
「私以上の……魔力が、ある、人間……獣、は……生きている間に宝石化させるのは、難……かしい……でも、フゥ……これだけの傷を与えられたら……」
容易い事だ。そう考えながら、クォーツは更に念じる。作り変える。皮膚を、肉を、血を、命を宝石に。ゆっくりと、しかし確実にその身体を蝕み続けた魔力は、最後に尻尾の先端の毛を宝石と帰ると、彼女はゆっくりと後ずさりし、自分の作り上げた芸術を見上げて、満足げに呟いた。
「完成」
と。接触禁止生物の彫像の出来上がり。なかなか持って大したものが出来上がった物。流石は狂暴凶悪で名が通っている獣だ。素材が一級品だったからとても素晴らし輝きを放つ宝石が出来上がった。
「ありがとう!!」
一方、そんな美しさなんて目に暮れることもなかったカルラレスタは、大きく開いた口の中から獣の体内に潜り込んだ。分厚く、宝石の中で光が乱反射しているから侵入した彼女の姿も体内も外からは見えなかったが、この様子だとちゃんと身体の仲間で宝石化できているようだ。
果たして、それから数秒後の事だった。
「見つけました! 二人の手と足です!!」
まるで泥んこ遊びでもした後のようにカルラレスタは服を血まみれにしてしなった木の様になっている三つの手足と、だらしなく垂れ下がった一つの手を持って獣の口から飛び降りた。
『この手がキンさんですね。そしてこっちの腕と足が……』
『うん……でも……』
確かに手と足はある。でも、自分にはもう≪ソレ≫を使うための≪手≫がない。素材があったとしても、それを調合することは、できないのだ。キンが唇をかみしめたのを見て、何かを察したカルラレスタは、柔らかい笑みを浮かべた。
『心配しないで。私が、治すから』
『え?』
クォーツにケセラ・セラの手を持つようにと指示を出したカルラレスタは、断続的に呼吸を繰り返しているケセラ・セラに近づくと、その切断面にそっと手を添えた。
確か、こんな感じだったはず。そう思いながら、彼女は念じ始める。
【イタイノイタイノトンデイケ、イタイノイタイノトンデイケ】
『それ……えッ?』
この光、それにこの傷口。
治っている。本当に、まさか、彼女もこの魔法が使えるのか。だって、この魔法は自分と、師匠の二人にしか使えない最強の魔法であると言うのに、なのに、どうして。
『この前、エイミーさんと話したときに、目の前で見せてもらいましたから』
『見せてもらった……ただ、それだけで?』
『はい、それだけです』
『カルラレスタ……貴方、天才だよ……』
何気なしに報告をしたカルラレスタに、キンはただただ呆然とするだけだった。
それから、数分後。リュカ一行が辿り着いた時には既に全てが終わっていた。彼女たちが見たのは、カルラレスタによって両腕と足を修復され、彼女の膝の上で横になっているケセラ・セラ。カルラレスタによって足を治してもらっている最中のキン。
そして、獣の身体を見ながら値踏みをしているクォーツの姿であった。




