第十三話 意地の一撃
獣と思わしき物の気配、魔力を感じ取ってからすでに十数分の時間が経っていた。しかし、それは彼女たちの中での感覚であり、実際には数分すらも経過していない。けど、リュカだけは一時間以上の時が経っているようにも感じてしまうのは、それほど危機感を覚えていたからだろう。
討伐隊の結成、それまでに時間をかけすぎた帰来があると悔しさに顔をにじませながら件の獣の場所に向かって走っていた。
「この魔力……キン、ケセラ・セラの二人も近くに居るみたいだね」
「うん、危険な真似してなければいいんだけど……」
セキーヌの言葉に同意したリュカは足を止めることなく森の中を駆けまわる。もはやこの山の木の配置はおろか地面の凸凹に至るまでを全て把握してしまったと言ってもいいだろう。起伏の激しい道を走るのは体力の温存という観点からしてみればかなりの問題だが、自然をできるだけ残してほしいと言うのがウワンとの約束であるため、そのままにしているからかなり複雑な地形になっている。
それにしても、不気味だ。まだ何メートルも離れていると言うのに身震いが止まらない。間違いない、接触禁止生物だ。ある意味で、自分達とは因縁があるともいえるその生物を相手に、果たして先行している二人の命が無事の内に現着することができるのかすらも怪しい。
特にキンが心配だ。彼女はエイミーからも危険な真似をしないようにと監視を含めた保護を求められたので、優先事項的には彼女を守ることが一番。ケセラ・セラに関しては、何も心配してなかった。なぜなら、彼女は己の最初に出来た仲間であり、その成長速度と強さははっきり自信を持てるのだから。正直時折彼女の方が強いのではないかと嫉妬してしまうくらいに彼女は強い。
だから、彼女は大丈夫だ。そう、一番信頼していた。彼女の姉として接していたリュカにとって、最も優先的に守らなければならなかったはずの少女ケセラ・セラ。しかし、リュカはこの時点でそれよりも前に行きた世界での友達から託された少女の方に気を向けてしまった。
前世と、今世。
昔と今。
いや昔よりも今。
それがどれだけ大切な物だったのかリュカはちゃんと分かりきっていなかったのだと思う。
妄信していた。故に彼女は数多の可能性を排除していた。
ケセラ・セラが、命の危機にあっている。そんな当たり前の可能性までも。
並びに―――。
「ん?」
「この魔力って……」
彼女たち以外にも、ケセラ・セラたちがいる場所に向かっている魔力。人がいる可能性を、彼女は勝手に頭の中から消してしまっていたのである。
全ては、王が未熟であるが故に。
「ッ! くっぅぅぅぅ!!!」
一方その頃、厄獣は血だまりの中を駆けまわったかのようなケセラ・セラの前で、幾重もの魔法で作られた鎖によってからめとられた。
まさしく、ケセラ・セラと目と鼻の距離くらいしか離れていない。つばの雫が飛んでくるほど近い空中で制止しているその姿は、まるで彫刻の様。でも、その巨体を右に左にと大きく揺らして鎖を引きちぎろうとしているその様は、己の中に走馬灯をいくつも見せるほどに凶悪であり、なおかつ狂暴だった。
けど、そんな狂気を押さえつけられている存在がいた。
『キン!』
『私の事は良いから、早くそこから逃げて!!』
もう、限界だから。鎖を作り出したのはキンであった。意外な事、でもないかもしれないが、実は彼女は魔力を使った罠を仕掛けることに関しては他者を凌駕する実力を有していた。しかし、鎖の魔法を出したのは彼女自身も驚くほどの判断力の結果だった。
思考もしていない。咄嗟に作り出した魔法は大した耐久力がないのだと分かっていたのだろう。その叫びを受けてケセラ・セラは魔力の足場をつくり、ソレを足掛かりにして後方に跳んだ。左足一本でどこまで遠くに逃げることができるか分からなかったが、それでも彼女はできるだけ遠くに逃げなければならなかった。
そう、≪右足を失った≫状態で戦うのは、初めての事だったから。
「痛いっ……」
本来あるはずだった右足の付け根から先。でも、今では大量の血が流れ落ち、骨や筋肉が鋭利な刃物を押しつぶして切断されたようになっていた。彼女が血にまみれていたのは足を噛み切られた時にその口から吐き出されたいくばくかの自分の血のせいだったのだろう。
今、彼女はこの世の人間が浮かべることができない程の形相を浮かべている。額には脂汗がにじみ出て、胸の鼓動はその部位が無くなったことを知ることなくあるいは拒むかのように身体中に栄養素を送るために必死で働いていて、しかし逆にその動きが彼女の名状しがたい痛みを増加させていった。
でも、不思議なことにケセラ・セラはその痛みすらもまるで風邪を引いたのだと言わんばかりに容易に受容することができていた。これが、彼女の、ミコの感じた痛みなのだと、そう知れたから。
そう、足を失い、前線から離れることになった少女ミコ。今では仕立て屋としてエリスの助手という職を貰い頑張っている姿をよく目にするのだが、しかしそのたびに痛々しいまでに先からなくなり、皮膚がうづくまった痛々しい足の根本が目に入る。
けど、それもまた姫を助けることのできた証明なのだと言わんばかりに彼女は明るく振舞っていた。≪こんな傷≫大したことないのだと、笑っていた。そう、彼女が笑えたのだ。だからこの程度で悲鳴を上げてはならない。そんな使命感があったのかもしれない。思い込まされていたのかもしれない。
彼女が、異端であったが故に。
ケセラ・セラは足に魔法をかけて応急処置の止血をする。これで、痛みも幾分かはマシになるだろう。だが、完全に痛みがなくなるわけではない。己を蝕む物が無くなるわけではない。むしろ、本来ある物を動かそうとして無駄な努力を咄嗟にしてしまうと言う子越渓な姿を見せてしまうほどだ。
彼女は一度深呼吸をすると目の前の獣に焦点を合わせ、集中する。それは、あたかも現実逃避するかのようだった。
『ありがとう、キン……助けてくれて』
『今それは良いから! それよりこの獣ッ!!』
言葉でも、現実逃避するかのように紡ぐと、キンがやや怒りを含んだ声を上げた。その内、彼女の魔法の鎖がちぎれた。キンはもう一度魔法をかけなおして獣を捕らえるが、しかし三度目はないと言わんばかりにすぐに引きちぎられる。
彼女の使用している魔法は罠魔法。その名称を見てわかる通りにあらゆるところに罠を仕掛けることのできる魔法である。リュカたちが初めてこの山の中に入って出くわした罠の数々も、一部彼女の魔法によってつくられたものが混じっているそうだ。
罠の種類は多種多様にあるのだが、その中でも一番固い部類に瀕する鎖魔法は多くの魔力と体力を引き換えとしての頑丈さ有している。でも、それが簡単に引きちぎられる。これが何度も続いていれば、いつか力尽きるのは自分たちの方だとキンは考えて居た。
さぁどうするか。二人はまず後退の二文字を頭の中から消した。当然だ。自分たちのはるか後方には国民がいるのだから。ここで後ろに引くことは絶対にありえない。というかそんな隙を見せる暇なんてない。そんなことができるのならば、キンに回復魔法をかけてもらってこの傷を治してもらえるはずだから。
いや、無理か。ケセラ・セラは自嘲した。前に聞いた話であれば、キンの回復魔法はもし切断肢があればその部位を引っ付けなければならないと言う制約がある。だから、もし自分の足を完全に治してもらいたければ、獣の胃袋に飲み込まれたソレを引っ張り出さなければならないのだ。
無理だ。ケセラ・セラは、足を諦めた。
一方で、獣は先程までのように自分たちの作り出した≪足場を利用≫して徐々に迫る。知性を持っている。ケセラ・セラは、まるで自分の上位互換のように感じたと言う。
であるのならばできるのは時間稼ぎくらいであろうか。姉たちが来てくれる。それまでの時間稼ぎ。
『キン! あの場所に向かおう!』
『あの場所!?』
『罠が置いてある場所!!』
『ッ!!』
迷う時間など与えられなかった。その言葉を聞き届けたキンは離れる瞬間に簡単な罠魔法を仕掛けてからケセラ・セラとともに森の中に消える。
先も言った通り山中の罠は全てキンの作った物。それらは魔法で作る罠とは違って実態があり、実態がある罠は魔法で作った罠よりも頑丈かつ有用性の高い物ばかり。ソレを使えば、厄獣を長時間拘束することができるかもしれないと言う淡い期待を持っていた。
けど、この作戦には当然問題がある。獣が追ってくるのだ。いや、そもそもソレを目的としているので本当に今更の事であるのだがそのたびに罠魔法を発動させて獣を捕らえての繰り返しをキンに強要する。
『はぁ、はぁ、はぁ……』
罠を仕掛けて、発動させて。その度に息が荒くなっていくキンを見ながら、ケセラ・セラはどこか罪悪感のようなものを感じていた。これ医が一番の最善手であると分かっていても、やはり他人に痛みを強要する作戦を立てるには、己はまだ若すぎたのだと理解する。
それに、後悔もする。もしも、自分という足手纏いいなかったら、彼女は本気で走ることができるのに、と。
命取り。
「グロロロロロロ!!!」
「あ……」
その言葉は、この一瞬のためにあった。その一瞬足を止めたケセラ・セラの隙を獣は逃がさなかった。
『ッ!!』
『だめ!!』
目まぐるしく動く両者は森の中で交差した。鋭くとがった鋭利な刃を前にして、水面に水袋が落ちたような音が耳に響いて、≪二つの身体≫が地面にたたきつけられた。
「あ、あぁ……」
『……』
数秒後、ケセラ・セラの目に映ったのは右手首よりも先を失ったキン。
そして、キンの目に映ったのは、それよりもひどい、両腕と、肩の一部を失ったケセラ・セラの姿だった。
そして、そして、そして。
ケセラ・セラは、覚悟した。ゆっくりと目をつぶり、言魂を唱え、ひっそり、消えゆく意識の中最後の一言を紡ぎあげ、そして―――。
『……………お、ち……ろ』
「グロロロロロロロロ!!!」
私は、勝った。お姉ちゃん、勝ったよ。そう、数多に頭の中に思い浮かべてから、彼女の意識は闇に沈んだ。水門が開かれたような音を、耳にしながら。




