第十二話 自然で育った人間と、飼育された獣
愚直なる移動国家が、軍隊を敵国の目の前に並べられる距離にまでたどり着いたその頃、仮想敵国であるイェンエンでは一種の騒動が起こっていた。
「何? 獣の一体が逃げ出したと?」
「ハッ……」
その言葉を聞いたイェンエンの大臣は頭を抱えて右に左と揺らして長考する。その場に列席している大臣一同もその姿を見ながら一番の知略家であるその人物の言葉を待った。そして、出てきた言葉は何かを小ばかにしたようなものであった。
「例の女たちはどうしている?」
「……先ほど、追随していた人間の死体が隠されているのを発見されました」
「なるほど……どうやらその者たちの手であると考えた方が良いだろうな」
判断が遅い。その様子を見ていた人間はそう思ったと言う。しかし、年功序列というのだろうか。この人が言うのならば間違いはないと言わんばかりに他の人間たちは頭を縦に振りながら、分かったような顔をしている。
「やはり、かの国からの間者でしたか……」
「フッ、何とも粗末なことだ。この時期に身元不明の人間が現れれば誰とて不審に思うだろうに」
「殺された者たちは不憫でありましたな」
「それで、逃げ出した生物に我々の国を示す証拠はないだろうな?」
「勿論、万全を期しております……が」
「が?」
「少々残念です」
そう気味の悪い笑みを浮かべるのは、その獣の飼育と管理を任されていた人物だった。男は、さらに続けて。
「いや、その≪接触禁止生物≫は先月産み出されたばかりの≪子供≫。もう少し育ててみたい素材でもありましたのでね……」
よくもまぁあんなに姑息笑みを浮かべられる物だ。そして、その笑みを見て周りの大臣たちもまたまるで極上の女を勝った時のように邪な笑みを浮かべている。
その姿を見て、≪天井に隠れていた≫リィナ他諜報部一行はついうち怒りを隠せなかった。
「全く、何が育ててみたい素材よ。命を何だと思っているのよ」
「まぁまぁ怒らない怒らない」
ぼそぼそと大臣たちに聞こえない程度に怒りに打ち震えている仲間が、懐から抜いた脇差の先端を持って穏やかになだめたリィナは、しかしその生物の製造方法を知っている身としてはその少女の怒りに理解を示していた。
彼女たちは、報告に来た兵士が言っていた通りに自分達と≪一緒にいた≫、あるいは追跡していた兵士を始末していた。流石に馬鹿正直に―と言っても策を弄していなかったわけではないのだが―国の中に入り込もうとすればそうなるのは必然的。特にヴァルキリーが女性だけで作られた国であると言いう大前提を知られていたとするのならば、一層不審がられてしまう。
正直、別動隊が接触禁止生物一体を野に放っただけでもまだ仕事ができた方である。当然かなり危険な行動をさせてしまったし、その人間だけでなく自分たちの命をも危険にさらすような作戦であったのは少しばかり反省しなければならない。しかし、この国の違法性という物を少しでも他国に知ってもらうためには、あるいは自分たちの≪馬鹿殿様≫を成長させるためには必要だったことだ。
「でもさっきの話だとあの生物にこの国から来たと言う証拠は何もないとのことですが……」
残念そうに、一人の少女が呟くと、リィナはやあ考え込む。自分の失態をこれ以上増やさないための虚言、という事もあるかもしれないが、当の本人たちもまた危険な橋を渡っていることを自覚しながらその生物を飼育していたのだから、対策を何もしていなかったとは思えない。
恐らく、確実性に近い証拠という物は残されていないのであろう。となると、自分たちはただ仲間たちを危険にさらしただけ、という事になるのだが。
「ま、その時はその時、よ」
そう軽口を言ってのけると、しばらく大臣たちの話を聞いてからリィナ一行はイェンエンから立ち去った。自分たちが仲間を殺しかけているなどそんな事気に求めていない様子で笑顔を向けて来る女性に、彼女の仲間たちはどこか恐ろしさと同時に尊敬の念を送っていたと言う。
そして、そのオドロオドロしい獣の気配は、森の中で見回りをしていた二人も感じ取っていた。
「ッ!」
全身の毛が、逆立った髪の毛から、産毛、異性には決して見せたくないような毛に至るまで一瞬で意思を持ったかのように立ち上がり、自分たちに危険を知らせていたのだ。ケセラ・セラはすぐさま臨戦態勢を取って駆け足になる。
『来ている……あの国の方向から来ている!』
「あの国……」
すぐ隣にいてより探知能力に長けたキンがケセラ・セラよりも先にその正体と方向を見極めたらしい。やはり、この山に近づく悪意に関しては彼女の方が感受性が高いようだ。ハッキリと気配の出どころが分かったケセラ・セラは、駆け足気味だったそれをすぐさま本気の走りに移行して、木から木へと次々に飛び移りながらキンの感じ取った意思を持った獣の方に向かう。
確かに、感じる。近づけば近づくほどより増していく殺意。かの国、イェンエンから誰でもいいから人を殺したいと言う原始的な願いがこの国に向かってきている。
走りながらケセラ・セラが考えて居たことは、この国で暮らしている一般国民のことであった。
「もし、こんな化け物がエリス達の所に向かったら……」
これだけの悪意を持った何かだ。きっと戦う力をまだほとんど持っていない少女たちの所に向かったら、犠牲は一人や二人では済まない。敵が何であれ、その場には目をそむけたくなるような死体の山が誕生することだろう。
当然、彼女たちだって命が危険にさらされることを承知したうえでこの国に乗り込んだ。だが、それは自分たちが絶対に守ってくれる絶対に助けてくれると言う信頼があるからこその安心。そんな国民たちの信頼を、安心を、そして期待を決して裏切ってはならない。ケセラ・セラは腹の底から大きな声の爆風をキンに届けるように放った。
『キン! 絶対に敵をこの国に入れないようにしよう!』
『勿論!』
果たして、二人が最初にその獣の元に辿り着いたのは偶然か、それとも否だったのだろうか、何にしても、彼女たちがその存在が国の中に入る前に辿り着けたのは、もはや奇跡的でもあったと言えるかもしれない。
「グロロロロロロロ……」
「この、声……」
いつからだ、いつ、形容しがたい怪物が現れた。遠目から見ていると、どうやら接触禁止生物の中では、恐らく最もこの世界に普遍的に存在しているロウに姿形が似ている獣だ。
違うところと言ったら、その体毛が全身真っ黒であると言う事と、体格が人間の五倍はゆうに超えていると言う事。そして、何よりも言葉が通じないと言う事。その姿を見た瞬間、ケセラ・セラが行ったのは戦いのための準備ではなく、説得であった。獣語を扱いながら、どうして戦うのか等と問いかけてみた。だが、無駄な事だった。獣は一切の反応を示さなかった。聞こえていないのか、いや。耳はこちらを向いている。という事は、無視しているのか、それとも説得等する必要もないと言う事なのか。
なるほど、この獣は確かに人工的に飼育されていた物だと、ケセラセラたちが理解するのはそう難しいことではなかった。
『野生で育てられたことのない獣……か』
『うん、そうだね……私たちの言葉を拒絶するなんて、そんなの……』
あり得ない。でも、現実だ。普遍的な事実が目の前にある。
目の前の獣は恐らく野生で育った経験がない。人の手によって産まれ、人の手によって育てられた存在。そしてこの≪人間そっくりな悪意≫。間違いない。ケセラ・セラはこの時点でその存在が接触禁止生物であるという憶測を確定させた。
自分たちと似ている、≪厄獣≫と呼称するソレの製造過程に関して、以前リュカから憶測であるがと告げられたことがある。曰く、必ず人の手によってつくられているのだと。後にそのことについて博識の獣たちに聞いてみたところソレが事実だったことが分かるのだが、自然の中にいたのならば絶対に仕えるはずの言葉に応対しない事、そしてなおかつその聞いたことのないうめき声から、目の前のソレが自然生まれではないのは明らかだった。
ケセラ・セラは、手を一度開き、閉じてから告げる。
『気を付けてキン……私の知っている似たような獣は、私と、お姉ちゃんの前にいた部隊の強い仲間を、そして隊長を殺した……』
『……覚悟しないと、いけないみたいだね』
『うん……』
果たして、たった二人でソレを倒すことができるのだろうか。目を皿のように細めながらリストバンドの魔力を解放したケセラ・セラ。その、瞬間だった。
「グロロロロロ!!!」
「ッ!」
まるで、それを待っていたと言わんばかりに地を抉り、大地の一部を破片として飛び散らしたソイツを見るまでもなく二人は既に跳び上がっていた。そうでなければ、きっと自分たちの背後にある木のように根元から切断されてしまっていただろうから。
「グロォ!!」
『ッ!!』
なんという事だ、国の中に入れないと意気込んでいたのに、等という反省は今はしない、したくてもできない。なぜならソイツが国の中に入って来て、当たりにいた鳥たちが警戒して翼を広げるために電気信号を筋肉に送った、それとほぼ同時に黒い塊が飛んできたのだ。
厄獣本体、だ。その巨体に似合わず素早い動きをする。爪や牙など使わずともそのでかい図体が衝突するだけでも即死してしまうのではないだろうかと思うほどの恐怖を感じ取ったケセラ・セラは、しかしまだ冷静だった。
『キン!』
『分かってる!!』
二人は、すぐさま足下に魔力による土台を作るとソレを足場としてさらに跳び上がった。もっと上にもっと高く、じゃないと死ぬ。そんな防衛本能が働いた。
流石に人間と獣。いくら敵が普通じゃない獣であったとしても、魔法の使用ができるかできないかは決定的な差を生む。
ゆっくりと地面に向けて落下を始めようとしていた厄獣を見て、攻撃に移る絶好の機会を得たと感じたケセラ・セラは、しかしそれと同時に違和感のようなものを感じた。
なんだ、この獣の動きに対する違和感は。
落下を始めた時から、何か喉に骨が刺さった様な違和感を感じたのだ。
何故、落下する。
あの脚力だ、この程度の高さ簡単に到達することができるはず、なのにどうしてその獣は落下している。何故、≪右足を上げて≫落下する。おかしい、何かが、おかしい。
あれでは、まるで。ヴァーティーが良く見せる―――。
『キン! 止まらないで!!』
『ッ!?』
キンに戸惑う時間などなかった。常に警戒を解かなかった性格が功を奏したのだろう。彼女たちはすぐさま魔力の足場を作り出すと、そこから飛びのいた。
が。
『グッ!!』
『ッ!!』
痛みは、感じなかった。あるいは、感じる時間すらも与えられなかったのかもしれない。ケセラ・セラは、自分の右足が≪あった≫場所を見て、そして厄獣の≪口の中に消えていく足≫を、さも当たり前の光景のように直視していた。
「グロロロロロロ!!」
一瞬、反応が遅れたケセラ・セラに向けて、厄獣は更に≪ケセラ・セラが作り出した足場≫を土台として≪もう一度≫跳んだ。
刹那の反応の遅れ、自然界ではそれが命取りになる。
分かっていたからこそ、彼女は頭の中で思い描いた。
自分の、命の終わりを。




