第五十話 母親として、姉として
そろそろ時間か。リュカは天幕から一人抜け出した。
彼女達移動国家ヴァルキリーの国民のほとんどがイホの国の巨大な天幕の中にいた。理由は、祝勝会への参加を促されたからである。
リュカ達の国が介入してから、マナゴの国が滅ぼされるまで僅か二日しかかからなかったのは、ひとえにイホの国の兵士達による籠城戦が功を奏したのも要因の一つ。彼らは数ヶ月前に国が襲撃にあってその仕返しにマナゴ周辺に来てからの長期戦となった。
その緊張状態から解放された軍は、総出を上げた祝勝会を催し、ソレへ参加するようにと招待された。勿論総出と言ってもイホもヴァルキリーもそれぞれに見張りの人間や獣を交代で待機させており、突然の襲撃に備えている。
リュカは当初祝勝会への参加を断ろうとしていた。先も言った通り、この戦いはイホの国の戦い、自分たちは少しばかりの手伝いをしただけだったから。
けど、ふとその時ある人達の顔が思い浮かんだ。そう、メンカやトアといった元々イホ出身の者たちだ。
彼女達は仲間達に別れを言う暇もなく自分たちの国に連れてきてしまった。その詫びとして彼女達を連れて祝勝会の会場で、今度こそ最後の別れの機会をと思ったのだ。
エリスや、ヴァーティーの妹達民間人も連れてお祝いをしている中一人になったリュカは、イホの陣地から少しだけ離れた森の中に入る。
「時間ぴったりだな」
すると、響いて来るのは女性の声。イトナ、である。いや、それだけではない。
「……」
イトナの娘三姉妹の長女であるマモウも、そこにいた。
「こんなところに私一人呼び出して、暗殺でもするつもりですか?」
「貴君にそれほどの影響力があるとでも?」
「手厳しい……」
冗談を言うと至極真っ当な言葉を返されてしまった。まぁ、確かに今の自分を殺す戦略的な価値なんて無いに等しいので、彼女の意見ももっともだ。では、何故自分を一人、陣地から離れた場所に呼び出したのか。
答えは明白だ。
「陣地の中、と言うか他のイホの軍人がいる中じゃできない話がしたいんですよね? 例えば、メンカのこととか」
「……」
沈黙が答えなのだろう。イトナはあえてリュカを見ずに言う。
「あれは我が軍を危険に陥れる可能性があった。だから必要ないと言ったまでだ」
「危険って……」
確か、逃げ出したのはなんの力もないアルベスタと間者だけだったはず。そう思ったリュカだが、しかしそれが問題なのだとすぐに気が付けた。
「なるほど、確かに」
「フッ、良かったよ。それくらいの事を分からない人間に、愛娘を預けるわけにはいかんからな」
「愛娘って、いらないって言ったんでしょ?」
「そうだ、軍人としては、確かにあいつらはいらん……だが」
そう言いながら、イトナは深々と頭を下げてから言った。
「母親として、そしていちイホの国民として言う。娘を……そして、元国民の人間たちを頼む」
と。それに続くようにマモウもゆっくりとした動きでお辞儀をする。
なるほど、確かに軍の陣地の中ではできないことだ。副大将、そして大隊長である人間が、極小国家の王に頭を下げるなど。彼女は今度こそたくしに来たのだ。軍人としての殻を捨て、一人の人間として、母として娘を、マモウにとっては妹を預ける、そのために。
「良いんですか? そんなに溺愛している人を、こんないつ滅びるか分からない国に置いておくこと」
と、リュカが言うと二人は下げていた頭を上げる。ソレを確認して、リュカは続ける。
「もしかしたら、マナゴのようになるかもしれない。願望や欲望を拗らせた結果、国民を苦しめる策を練るかもしれない。すぐに死んじゃう戦場に出してしまうかもしれない。それでも、良いでしょうか?」
そうならない様には努力する。でも、もしかしたら自分の中の欲望が募っていったら、いつの日にかマナゴ史上最も愚かな王のように国を滅ぼしてしまうかもしれない。国民を、死に追いやる作戦を考えるかもしれない。それでも、大事な愛娘を預けると言うのか、それは覚悟を問うていたのかもしれない。
果たして、イトナの答えは。
「……そのような場所でなければ、成長できない人間もいる。母のように」
「え?」
聞くところによると、彼女の母親、というよりもイトナの家系は長命種であるそうだ。リュカとは違い、龍神族という特殊な部類の種族ではなく、人間の中で遺伝子的な異常によって生まれた種族であるらしく、その母親が言っていたそうだ。自分は既に五百歳を過ぎた老婆であるのだと。
「ご、五百歳?」
「あぁ、だがいまでもなお若々しい姿をしているのは少しだけ羨ましくはあるがな」
「え、そうなんですか?」
「あぁ、外見は私とそう変わらない。いや、どちらかというとマモウの方に近いか?」
なんと羨ましい事か。いや、自分ももしかしたらそうなるのかと同じ長命種の龍神族出身のリュカは淡い期待を覚える。長い時を生きる覚悟という物はしている。だが老婆の姿になって何百年も生きると言うのは少しだけ困る事だったから。
「とにかく、その母が言っていた。自分が若いころは無茶をして、死にかけることもあったとな……だが、そのような経験があったから今の自分があるのだと」
「へぇ……ん?」
「ん?」
「何故そこで疑問符を出す」
「いや、ちょっと……」
何か引っかかるものを感じとったリュカ。この、踏み込んだ話をしてもいいのだろうか、いくら何でも彼女たちの[プライベート]をズカズカと覗き込むような質問だ。いくら好奇心という魔物が悪さをしていたとしても、そんなこと聞く必要がどこにあろうか。リュカは、あえて頭の中に沸いた疑問という栓に蓋をしようとした。
「あぁ、因みに母は生涯一人の男、まぁ私たちの祖父の事だが。その男の事を愛していたから、子孫は私たちだけだとは言っておく」
「あ、そうなんですね」
が、その頭に降って沸いた疑問をあえて掬い取るようにイトナが答えた。頭の中でも見えているのだろうか。
確かに、自分は経験という言葉であるものを連想してしまった。五百年もの長い時間を生きていたら、もっとたくさんの子宝に恵まれて居そうだなとは思った。しかし、その長い生涯の中でたった一人の愛することのできる人間に出会えるなんて、何とも恵まれた人生なのだろうか。自分も、いつかはそんな人間に出会うことができるのだろうか。
いや、ないだろう。リュカは断言した。もしかしたら、メンカも、マモウも、イトナもイホの国の女王ともこれから長い付き合いになるのかもしれないけれど、男関係は懲り懲りである。そう思っていた。
「私からも、改めて……妹達と元仲間を頼む。メンカは素質のある子だ。トアや、他の者たちも……正直他の国に渡すのも惜しい人材ばかりいる……」
「……誇張が少しばかりあると思って、受け取ります」
「あぁ……それから」
「?」
メンカは、その言葉を発した後数分だけ黙り込んだ。リュカは彼女からの言葉を黙して待ち、イトナに促される形で決心したように言う。
「こんなことは考えたくはないが、もし戦場で……我が軍に所属していた人間が死んだら……指の一本だけでもいい、我が国へと持ち帰ってもらいたい」
なるほど、考えて居たのは≪妹≫のとするか≪自軍に所属していた全員≫を対象にするか、つまり平等に扱うかどうかだったのだろう。この辺り、まだ軍人としての考えの方がやや上回っていると言った感じだ。
リュカは、その提案を受けてしばらく考えた末に、自分の心の中で少しだけ考えて居たことを呟く。
「それじゃ私からもお願いします。考えたくないけど、もしも私だけが死んだら……移動国家ヴァルキリーの皆を、イホの国で……面倒見てくれないかな?」
そう、本当に考えたくないこと。しかし、考えなければならない可能性だ。
まだミウコに所属している体裁となっているリィナやセイナはいい。だが、それ以外の多くの人間、主にエイミーやヴァーティー等のこの国に属している人間たちは、自分が死んだら行き場を失ってしまう。
これから、安心して戦いに行くためにもその保証だけはしてもらいたいとそう思ったのだ。
イトナは、やや考え込んだ後に言う。
「その前に一つ質問がある」
「何でしょうか?」
「逃げたと、逃げられた……どちらだと思う?」
「やっぱり、気がついていましたか……」
「当然だ」
「私は、逃げたと思ってます。メンカも、そう思っているんでしょ?」
「あぁ」
といって、彼女は指を一本立てる。
「決して逃がしはしない」
「そう、で、返答は?」
リュカがそう聞くと、イトナは困った様な笑みを浮かべて。
「恐らく母の性格なら快く受け入れてくれるだろうな」
「そう、よかった……それじゃ」
そう言って、リュカは二人がそうしたように、いやそれ以上に頭を深々と下げると言う。
「貴方たちの娘さんと妹、そして国民の皆さん……丁重にお預かりします」
と。大切な人の命を預かるのだ。やたらにその命を使うわけにはいかない。そんな決意も込められた言葉に、二人は笑みを浮かべ。
「リュカ殿、一国の長がそう簡単に頭を下げてどうします?」
「もっと堂々としなければ……娘を預けられません」
「あ、すみません……」
「「フフッ」」
と、まるで我が子を叱るかのように言ってのけた二人に対して、リュカはほんの少し照れ笑いを浮かべながら頭を上げる。と、イトナはどこから取り出したか分からないような[ワイン]瓶の中身を[コップ]の中に入れてリュカにも手渡す。
そして―――。
「では、我が国と移動国家ヴァルキリーの勝利……そして同盟締結を祝して」
「「「乾杯」」」
「あぁ、因みに中身は酒じゃないからな」
「それでよかったです」
こうして、同盟となった二か国の夜は一方は賑やかに、もう一方は静かに、そしてあるところでは深くなっていくほどに情熱的に過ぎ去っていくのであった。
因みに。
「ねぇ、どうして私は祝賀会に出られないの!?」
「お酒飲みまくって大暴れされたら困るでしょ! 我慢なさい!」
とトアに叱責されていたセキーヌがいたという。
そして。
「あぁそうだ。ついでにあの≪馬鹿≫の酒癖を直してくれ」
「ついでにしては随分無理難題な気がするんですが……」
理不尽で無茶な要求をされるリュカであった。




