第四十九話 兄と妹と婚約者の
これで、ようやく終わったんだ。アルベスタは深い安堵感と共に、どこか脱力した気持ちを覚える。
もう、いつ殺されるかなんて悩む心配はない。もう、妹がいつ売られるかなんて心配する必要はない。もう、あの兄の顔を見ることはない。
瓦礫から兄の姿が見えた時、己に芽生えたのは兄に対する哀れみだった。たった一人で惨めに、そして完膚なきまでにズタズタにされた野心を持ったまま死んだ兄。
確かに自分にとって彼との思い出はいいものはなかった。しかし、ソレでも一応は血の繋がりのある兄弟だ。心変わりしてもらいたかったと言う思いもある。でも、結局兄は兄として死に、自分は妹と共に生き残った。ソレが全てだ。
割り切るしかないのだ。人間の死はいつだって割り切らなければならないものなのだ。きっと。
「お兄様……」
「カルラレスタ……」
その時だ、ふっとカルラレスタが彼のいる部屋へと現れる。
ここは、移動国家ヴァルキリーの中でも端の方に位置している離れ宿である。戦が終わった後、今は無くなってしまったマナゴの国の代表になったアルベスタ。
亡国の代表になったところでなんだとは思ったが、リュカ、それからイトナから元マナゴの国民の戦後の扱いをきちんと定めるために一応の代表を据えた方が良いと言われたのだ。
そして、戦後処理が大体終わったところ、彼と、そしてカルラレスタの二人が案内されたのがこの宿。帰るべき場所も滞在できる場所もないのだから今日のところはひとまずこの宿で休んでと促された二人は十棟ほど並んだその宿の中から真ん中に位置する二つの宿の中に入った。
宿の中はかなり豪華な作りとなっていた。[ベッド]があるのは当然のこととして、お風呂や箪笥、壁には鏡が取り付けられており、全体的に防音の魔法が備え付けられている等と至れり尽くせりの内装となっている。
因みに他のマナゴの国民はイホの国が用意した天幕や、よりこの国の中心部に位置している家に今夜は泊まることになったそうだ。
アルベスタとカルラレスタは、それぞれの宿の中に入り、暫くしてからもう一度会おうと言う事にした。二人の関係なのだから本当は同じ宿でも良かったのかもしれないが、それはこの後来る予定になってる人物に悪い印象を与えるかもしれないと考えた故の配慮だった。
だが、まだその人間が現れるまで少しばかりの時間があるようだ。
「カルラレスタ……その……」
「なんだか、不思議ですね」
「え?」
そう、彼が言う前にカルラレスタが尊い笑みを浮かべながら窓の外の景色を見ながら言った。
「だって、こんな明るい場所で二人話すことができるんですよ? こんな幸せな事、あっていいんでしょうか?」
「……あぁそうだな」
時刻は既に夜。明るいと言うには語弊がある時刻であるのだが、しかし彼らにとってはそれでも十分だった。
灯の魔法をかけられて煌びやかに光る部屋も、満天の星も、今までどれだけ望んでもみることのできなかった。光がほとんど届くことなく、わずかばかりの格子の隙間から本を一緒に肩を並べて読んでいた二人にとっては、夜であると言うのに光に包まれていると言う感覚が新鮮であったのだ。
アルベスタは、そんな彼女の事を見ながら思い出すように言う。
「カルラレスタ、覚えている? 前に外の世界に出たら何をしたいかって話?」
「うん、たっくさんたっくさん覚えてる。泥臭いご飯じゃなくて、お腹いっぱいになるぐらいのおいしいご飯が食べたい」
「うん……」
「ぐっすりと眠れる場所が欲しい。冷たい床じゃなくて、ふかふかの布団の上でぐっすりと、安心して寝られる場所……」
「うん……」
「それから……」
と言った後、カルラレスタはそれまでの喜びの表情を暗くして、うつむき加減に言う。
「心の底から、愛する人に……出会おうって……」
「……うん」
それから、数分間。二人は一言も交わすことなくただただ静かな部屋の中で肩を並べて座るだけだった。重い沈黙だ。アルベスタにとってもカルラレスタにとってもまさか日の当たる場所に出てもこんな空気になるなんて、思ってもみなかった事だ。
その沈黙を切り裂いたのは。
「ん?」
扉を叩く音、である。どうやら、彼女が来たようだ。カルラレスタはその音にハッとなり顔を上げ、アルベスタは、ゆっくりと扉の方に近づく。
行ってしまう、兄が遠くに行ってしまう気がした。
「待って、お兄様!」
カルラレスタは、急いでアルベスタの服の袖を掴んで叫んだ。行かないでと、自分の傍からいなくならないでと懇願するように。
すると、アルベスタは彼女の方に振り向くと、その手をゆっくりと離しながら言う。
「大丈夫だよ、カルラレスタ」
と、そう言った後彼は外にいる女性に対して、言った。
「少し待っててくれますか?」
「あ、はい……」
「ありがとう……」
女性は、その言葉を快く受け入れ、少しだけアルベスタとカルラレスタが話す猶予を与えてくれる。そして、アルベスタは彼女の手を取ると言った。
「カルラレスタ、僕たちは兄妹だ。でも、兄妹でも、超えちゃいけない物がある。それが、この世界の≪常識≫なんだ」
「お兄様……」
「僕たちはこれから外の世界に出なくちゃならない。外の世界で美味しいものを食べて、フカフカの[ベッド]で寝て、恋をしなくちゃならないんだ……それが、普通の人間の生活なんだ」
アルベスタは既に知った。この国のおかげで外の世界で暮らすと楽しさと喜びを。彼は、その嬉しさ全てを妹にも味わってもらいたいと願っているのだ。
でも、そのためには自分たちの間にある分厚い壁を取っ払わなければならないのだ。
「分かってくれるよね……カルラレスタ」
「……分かってます。分かってますけど、でも……」
知っていた。いつかは、離れ離れになるのだ。例え兄妹であったとしても、いや兄妹であるからこそ一生一緒にいることなんてできないのだと。
だから、彼女は心のどこかで願っていたのかもしれない。あの、マナゴの国の牢屋とも独居房ともいえる場所。そこでその生涯を終えることを。兄と一緒になったままで死を向かると言う事を願っていたのかもしれない。
でも、それがあまりにも身勝手な思いであることも理解していた。だからこそ、辛いのだ。
「カルラレスタ……君は、強い。だから……」
「……」
「僕がいなくても、この世界で生きて行くことができる。そう、信じている」
「……はい」
「そのための、罪の清算なんだ、これは……」
「……はい」
アルベスタは、カルラレスタの最後の返事を聞いたか聞いていないか微妙な間を持って、外にいる人間に声をかけた。入ってきてくれと。
そして、そうやって入ってきた人間は―――。
「お、お邪魔します……」
クラク、であった。そう、彼がこの世界で見つけた、愛することのできる人間、である。
クラクは、泣き顔のカルラレスタを一目見て何かがあったことを察し、自分は帰った方がいいのかとアルベスタに聞いた。
「大丈夫ですッ、私は」
と、答えたのはカルラレスタの方であった。強がりであるのは、鈍感なクラクの目から見ても明らかだった。しかし、その強がりを受け入れる事もまた強さ。クラクは、『はい』と返事をすると扉を閉め、部屋の中に入った。
椅子に座った三人、まず言の葉を紡いだのはクラクだった。
「アルベスタさん、リュカさんから聞きました。今度こそ、本物の王様になれたんだって」
「あぁ、まぁ……もう存在しない国の王、だけれどね」
「それでも、たくさんの人の上に立っているんです。リュカさんと同じですよ」
リュカだって、固定した領地を持っていないと言うのに一つの国の王を名乗っているのだ。ただ、多くの人間の頂点に立っているという理由だけで。それならば、アルベスタであってもちゃんと王の資格はある。そう、クラクは考えていたのだとか。
「そう言われると……嬉しいです」
と、アルベスタはやや頬を赤くしながら言った。
「お兄様のそんな顔、初めて見ました」
「え、そうかな?」
「はい。お兄様にそんな顔をさせるなんて、本当に……クラクさんを愛してしまったのですね」
「……」
残念そうに言ったカルラレスタの言葉に、クラクは一つの可能性を頭に浮かべた。もしかして、この娘は―――。
だが、現実は彼女の想像を超えるものだった。
「クラク」
「あ、はい……」
アルベスタは、意を決した表情で彼女に語りかける。
「僕は……君を妃にしたい。そう思っている」
「妃……」
それは、告白だった。といってもこの話は前に自分がこの国の牢屋に入れられていた時に彼女に告白したことで実質的にそうなっていると言っても過言ではない状態だし、妃というのもマナゴという国が実際にはほぼ躯と言ってもいいのでただの妻、ということになるのだが。
「そうだ。でも、その前に……」
「その、前に?」
「僕と、カルラレスタの話を聞いてもらいたいんだ」
「話?」
「あぁ……その話を聞いて、君がどう思おうと自由だ。軽蔑してくれても構わない。妃、いや違う妻だった……」
この時になってようやく自分の誤りに気がついたアルベスタは言いなおしてからやや焦らすように、重い言葉を形作るよう呟く。
「妻になってもらいたいと言う話も無しにしてもらっても構わない」
「……」
もしかしたら、この時クラクは何かを察したのかもしれない。察して、なお、それでも彼女は彼の、彼らの言葉を待っていたのかもしれない。
だから―――。
彼女は微笑んで、そう言った。
「私は、アルベスタさんも、カルラレスタさんも、愛してます」
と。
「クラクさんッ!」
カルラレスタは、クラクの言葉を聞くと飛びつくように抱き着いた。
彼女も、察したのだろう。感受性が高いから、クラクが自分と兄の関係に気がついているのだと。気がついてくれたのだと。
そして―――。
その夜、一度開いた扉が開くことはなかったと言う。




