森の決戦・4
魔術の使えないゼルラーデルは、腰に提げていた両刃の剣を隙のない動作で引き抜く。
リリアは改めてアジェと陰で糸を引くバトンの非道なやり口に恐怖と怒りを覚えた。
もしこの場にクロゲンが居合わせていなかったら、ゼルラーデルは無防備の状態で、いったいどんな酷い仕打ちを受けることになっていたのだろう。
無関係の罪もない人間を、残虐極まりない方法で殺めるような彼らだ、怨恨などが絡んでいるのなら、尚のこと、想像するのさえ恐ろしい。
「どうしてそんな酷いことができるの? 仲が悪いから殺し合い? 何それ。嫌いだったら関わらなければ良いじゃない。こんなこと同じ人間のすることだと思えない」
果たして怒りからなのか恐怖からなのか、リリアは震える声でそう告げると、抱えた膝に顔をうずめた。
エメラルドはそんなリリアを痛ましげな瞳で見やり、そっと細い肩に飛び乗ると、人間の指先ほどの掌をリリアの頬に当てて、優しく撫で擦った。
「力を手に入れた人間はね、次にもっと大きな力が欲しくなるのよ。それが全て悪いことだとは思わないけれど、人を傲慢に変えてしまうのは確かね。アジェみたいに地位や権力に縋り付いて生きてきた人間は、ゼルラーデルのように実力があって、けれど、そういったことに頓着しない人を受け入れられないのよ。そればかりか、右腕だったティルダが彼と結婚しちゃったから……つまり、逆恨みしているのね。だから今度は自分の方が、力が上だってことを認めさせたいんじゃないかしらね」
「ズルをしてですか?」
「そこがアジェの小者なところよ」
エメラルドはふっと笑って、外に視線を向けた。
ゼルラーデルの的確な指示とクロゲンの機動力は、見事な連携でセシリアを窮地に追い込んでいった。満身創痍のセシリアは、クロゲンの《かまいたち》を避けきれず、背中から血飛沫を上げて、朽ち葉の上に崩れ落ちた。
「こしゃくな!」
使い魔を戦闘不能にされて、高みの見物とはいかなくなったアジェは、人の心臓を食べ、その叡智を我がものとすると言い伝えられている、伝説の大蛇ギーを模った杖を振り上げた。
ギーの頭部に生えた四本の角から閃光が迸り、流星のように光の尾を引いて、クロゲンの心臓を射抜くべく進んでいく。
ぶつかる寸前、クロゲンがそれを交わし、背後の木が黒煙を噴き上げた。
次いでクロゲンは、ゼルラーデルへと放たれた閃光を、翼でおこした竜巻で弾き飛ばして、アジェに向け《かまいたち》を喰らわす。しかし、アジェが防御の呪文を唱え、出現した厚い空気の壁に、それらは難なく弾かれて近くの大樹を真っ二つにした。
「樹木たちが可哀想……。このまま戦いが続けば、森がめちゃくちゃになっちゃうわ」
エメラルドの呟きを聞きとめ、リリアは頭を起こして攻防に目を向けた。
長い年月をかけて成長した樹木が、瞬きを一つするほどの間に次々となぎ倒され、アジェの放つ雷光は一瞬にして樹木を貫き、抉れて炭化した幹が朱色にくすぶる内部を丸見えにする。
今のアジェが本気を出せば、おそらくゼルラーデルを一撃で仕留めることも不可能ではないはずだ。けれど彼が故意にクロゲンにばかり攻撃を集中させていることは、傍目にも明白だった。
アジェにしてみれば、クロゲンさえ戦闘不能にしてしまえば、魔術を封じられているゼルラーデルをどうにかするなど赤子の手を捻るようなものなのかもしれない。恐らくはゼルラーデルが一人になったところを、じっくりと痛めつけようとでも思っているのだろう。そのためには今ここでゼルラーデルに致命傷を負わせるわけにはいかないのだ。
(これは魔術を使える手。魔術を生み出す事の出来る手だわ)
リリアは、いつの間にか爪が食い込むほど握り締めていた拳を開き、マントから出した爪痕が付く掌を見つめながら、心の中で強く唱えた。
「エメラルドさん」
「なあに? あ、でも《さん》は要らないわよ?」
その返答にリリアはふふっと笑みを漏らした。
けれど同時に鼻の奥がツンと痺れを帯びる。
まもりたい。
守りたい。
護りたい。
私の大切な仲間をむざむざ殺させるわけにはいかない!
リリアは両手ぎゅっと握りしめて立ち上がると、エメラルドの瞳を覗きこんだ。
「魔術が封じられているのはご主人様だけですよね?」
「うん。そうだと思うわよ?」
「じゃあ。ちょっと行ってきます」
言い置いて小屋の外に出たリリアを追って、エメラルドが穴から飛び出してきた。
「何をする気? リリア魔術使えるの?」
「分かりません。だけど、このまま隠れているのは嫌なんです」
「でもね――」
「人間死ぬ気で頑張れば出来ないことはない」
「え?」
「父の口癖です」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、自分を見送った父の顔を思い出して、リリアは僅かにまつ毛を伏せた。
「父の人生、失敗だらけでしたけど。だけどいつも一生懸命なんです。死ぬ気で頑張って本当に死に掛けるくらい一生懸命なんです。だから、あたしもやれるだけのことは、やってみようと思います」
「大丈夫? 殺されちゃうかもしれないわよ?」
「そうですね。でもご主人様が殺されたら結果は同じですから」
「確かにまあ、その通りね」
エメラルドにしてみれば、人の命より樹木の命の方が大切なのかもしれない。案外あっさりとしたそのやり取りに、リリアの肩からふっと力が抜けて行った。
「私は……もしもう一度、村へ帰る事が出来たなら、その時には堂々と胸を張って帰れるような自分でいたいです。私は一番上のお姉さんだから、妹や弟に恥ずべき生き方をしちゃいけないんです」
自分自身に言い聞かせるようにそう言って振り返るリリアに、エメラルドは極上の笑みを返してくれた。
「協力する」と言ってリリアの肩に乗ったエメラルドは、不思議な言葉を呟き始める。
エメラルドは植物と同化し身を隠す技を持っている。以前、リリアがこの場所で妖獣に気付かれずに事なきを得たのは、彼女がリリアの身体を小屋の外壁に生い茂る植物と同化させてくれていたからだった。
下草の生い茂る森の中でこの能力はとても有効的だ。
エメラルドに保護してもらいながら、リリアはまずゼルラーデルの元へと向かった。
傍らまで行き、そっと声を掛けると、ゼルラーデルは青灰色の瞳をわずかに瞠った。
「ご主人様。あたしに魔術を教えて下さい」
押し殺した声を、しかしアジェは耳ざとく聞きとめたようだ。
「おやおや。お嬢さん。今の貴女の力で私に対抗しようなどと考えていらっしゃると?」
アジェは口元を歪めて、クロゲンの放った竜巻を左手一つであっさりと弾き返すと、ギーの頭部をこちらへ向けて、それをおもむろに振り上げた。
「あら、あいつ地獄耳だったのね」
エメラルドの舌打ちも耳に入らないほど、緊張を強めて身を竦ませるリリアを、ゼルラーデルが素早く抱え上げ、杖の先が振り下ろされるより一瞬早く後方へ飛び退いた。
目を瞠るリリアの眼前で一帯の下草が一瞬にして燃え上がる。
「残念ですねぇ。貴女には私の所へ来て頂きたかったのですけれど……」
ゼルラーデルが地面に下ろしたリリアを背に庇い、頭上では既にクロゲンがアジェの攻撃に備えている。
「では当初の予定通り、貴女には下級妖獣のご馳走になって頂きましょうかねえ?」
フードの奥の陰湿で執拗な双眸が、真っ直ぐにリリアに向けられ、ほぼ同時に後方から怪しげな気配と低い唸り声が聞こえてきた。
恐らくはあの夜の妖獣なのだろう。茂みを掻き分ける音と唸り声の数は一頭や二頭ではなさそうだ。
息苦しいほど鼓動が跳ね上がり、リリアは全身の皮膚が粟立つのを覚えた。




