魔術師修行・2
「火に棲み。火を食し。火を統べる。誇り高き精霊サラマンダーよ! そなたの天をも焼き尽くす焔を我が掌上に分け与えたまえ! …………分け! 与えたまえぇっ!」
寒風が木の葉を巻き上げながらひゅるりと吹き抜けていく。
「……」
リリアはがっくりと項垂れて、木の葉散る地面に膝を付いた。
「ダメだ。何回やってもダメだ」
「うふふ。リリアさん。がんばって」
たまたま回廊を通り掛かったらしいアンナが、短く激を飛ばしながら本館へ歩いていく。
「はーい……がんばりまーす。……て言うか、頑張って……るんですけど」
魔術を実践するにあたり、さすがに高級な家具や調度品のある屋敷の中で、万が一とんでもない失敗をしでかしたら大変だと、寒風吹き付ける中庭で呪文を唱えているのだけれど、思惑とは違った意味で杞憂だったらしい。
そもそも魔術が発動しなければ、高価な壷にひびが入ることもなければ、毛足の長い絨毯が煙を上げることもない。
「呪文が長すぎるんじゃないの~?」
すっかり葉を散らしたナラの木の枝に座って見下ろしていたクロゲンが、さすがに見かねた様子で助言をしてくれたのだけれど、それを聞いたリリアは更に落ち込みを深くした。
まったく痛いところをさらっと突いてくる。
【やさしい魔術・初級篇】にも、初心者ほど長い呪文を使いたがると書いてあったのだ。
呪文の文言に決まりはない。要するに、火をおこしたければ《火をおこす》というキーワードを含んでいれば、原理としては火がおこることになる。
火をおこしたいという気持ちをどう表現するかで呪文も違ってくるわけで、百人の魔術師がいれば百通りの呪文が存在することになる。
しかしそのキーワードを簡潔にまとめるというのが、簡単そうでいてなかなか難しく、必然的に初心者はだらだらと長い呪文に頼る傾向に走りやすいのだ。
しかし、長い呪文を唱えるのが駆け出しの魔術師ばかりかというと、そうでもなく、連なる呪文の構築に傾倒し、研鑽を深める魔術師も稀有ではないらしいのだが、それが一刻一秒を争う戦法として有効かどうかは、支持派、不支持派で見解の相違があるという。
それはさておき、熟練の魔術師のこだわりとは対極の処にあるリリアの呪文は、何度唱えても術を確認することが出来ず、効果が見えない。つまり全く使えない。
「クロゲンさん。あたしに魔力があるなんで、やっぱり間違いなんじゃないですか?」
未だ立ち上がれずに地面に膝を付いたまま、リリアは恨めしげな視線をクロゲンに向けた。
「間違いじゃないよ~」
しかしクロゲンは枝の上で足をぶらぶらさせながら、それをあっさりと否定する。
以前のリリアであれば、いい加減に答えているのではないかと疑っていただろう。
その言葉を完全に否定できないのは、自分がクロゲン従属させた。と、教えられて以降、クロゲンは《さん付け》で呼ぶことに異を唱えなくなっているからだ。
主従関係が影響してのことかどうかは分からないけれど、時期としては一致している。
けれど、初級中の初級と言われる《発火》さえ出来ない現状を思うと、それら全てが自分を騙すための策略ではないかと疑いたくもなる。
「でも、魔法使えないじゃないですかー」
唇を尖らせると、クロゲンはふわりと宙に浮いて、ゆっくりと音も立てずに着地した。
「だからリリアのは呪文が長すぎるんだって~。ゼルさんのはもっと短いよ?」
言いながら腕を掴まれて身体を引き上げられた。
立ち上がったリリアの情けない姿を見て、クロゲンは、「あ~あ。汚れちゃった」と苦笑しながら、膝や掌に付いた土埃や木の葉を優しく叩き落としていく。
こういったことを、クロゲンはどこで覚えたのだろう――
「身体も冷たくなってるよ? 今日はもうこれくらいにしなよ。ていうか、どうしてこんな場所でやってんの? 自分の部屋でやれば良いじゃない?」
「…………そうですね」
どんよりと落ち込みながら短く答えると、クロゲンはにっと笑って翼を広げた。
「ホットチョコレイト作ってもらって来たげるね?」
そう言って翼を大きく羽ばたかせる。
巻き上がった風圧に返事も出来ずに、顔を背けて髪を押さえていると「部屋に持ってくからね~」と、不自然に反響するクロゲンの声が聞こえた。
風が落ち着いてリリアが目を開けられるようになった頃には、クロゲンの姿はもう、どこにも見当たらなかった。
「あの子って純粋培養なのかしら……ねぇ? リリアちゃん」
不意に背後から舌足らずな甘い声が聞こえ、リリアが振り返ると、回廊の欄干から身を乗り出して手を振るセシリアの姿が眼に入った。
「ちょっと待ってて?」
セシリアはそう言うと、小さな身体を躍らせるように回廊の端まで掛けていき、中庭へ降りるために設けられた小振りの階段を一気に駆け下りてきた。
「リリアちゃんにお話ししたいことがあるの」
「あたしに? ここで。ですか?」
何もこんな寒空の下で話をすることはないだろうにと、リリアはまつ毛を瞬かせた。
後ろ手に指を組んで奥へと歩いて行くセシリアに、リリアは首を傾げながら後に続いた。
少し歩いた所に小さな池があった。木製の橋が掛けてあり、真ん中辺りに東屋が設けられている。
「知らなかった。こんな所に池があったんですねー?」
「庭全体が以前は手入れがされていたみたいね。所々に庭園の名残があるわ」
名残があるだけに尚のこと淋しい気がする庭を、東屋に並んで座りしばらく見回していた。
濁った池の水面に、時おり魚が尾ビレを打ち付け波紋を描いていく。
ややあって、セシリアは珍しく思いつめた表情をしてリリアの名を呼んだ。
「リリアちゃん。わたしと一緒にここを出ない?」
思いもよらない誘いにリリアは目を瞠った。
「あのね。古くからの知り合いが、ある貴族のお屋敷で働かないかって言ってくれてるの。そこで一緒に働かない? リリアちゃんと一緒だったら、わたしも嬉しいし、それにね、その知り合いの人って魔術師なのよ。元王国魔術部隊の第一部隊長だったんですって。第一部隊の隊長ってことは、この国で一番の魔術師ってことよ」
「王国魔術師!?」
リリアは目を剥いて、セシリアの顔を食い入るように見つめた。
「魔術も教えてもらえるはずよ。そんな人に教わったら、きっと直ぐに、すっごい魔術師になれるわよ」
もしそうであれば、願ってもないことだけれど。
リリアは膝の上に置いた手元に視線を落とした。
「でも……ご主人様が許して下さるか……」
「ねえ見て。これ。リリアちゃんが探していた契約証でしょう?」
セシリアはエプロンのポケットから小さく折りたたんだ羊皮紙を取り出した。
「どうしてこれを?」
「ゼルラーデル様の書斎で見つけたのよ。嘘をついていたのは多分リリアちゃんを引き止めておくためだわ。でもこれさえあれば、ここに用はないでしょう? リリアちゃんだって騙されていたんだもの、黙って出て行ったって構わないわよ」
セシリアはそう言うが、ゼルラーデルが自分を引き止めるために契約証を隠していたとは考えられない。
たとえ契約証が自分の許に戻ってきても、今のリリアには彼の意に背いてまでも、この屋敷を出ようと思う理由は見当たらない。
なにしろ、破格の給金がもらえるばかりか、魔術の勉強までさせてもらっているのだ。ここが妖属だらけの屋敷でさえなければ、一生でも雇ってもらいたいと思えるくらい、良い暮らしをさせてもらっている。
当然ゼルラーデルにもそんなリリアの胸の中は透けているだろう。
だとしたら何のために――
「ほら、本物に間違いないでしょう?」
自信満々に言い放ちながら、セシリアから手渡された契約書に目を落としたリリアの鼓動が跳ね上がった。
「これは・・・・・・」
なぜ、ゼルラーデルが契約証を隠していたのか、理由は直ぐに分かった。
この契約証が今ではただの紙切れでしかないと知っているから、敢えてこれをリリアに見せることはしなかったのだろう。
彼なりの思いやりで――
リリアは下瞼に盛り上がった涙が零れ落ちるのを、奥歯を噛み締めてやり過ごした。
深い呼吸を繰り返して心を落ち着かせた後で、不思議そうな顔をしているセシリアの瞳を見据える。
「どうしたの。リリアちゃん? お顔が真っ青よ?」
「ごめんなさい。あたし。一緒には行けません」
もちろん魔術を教授してもらえることに魅力を感じないわけではない。
けれど――リリアは羊皮紙に視線を向けた。
白い紙の所々に赤茶けた染みが付いている。それが血痕だということは、考えたくなくても分かってしまう。
リリアがそれを見てしまえば、拭いきれない恐怖を、否が応でも思い出してしまうと分かっているから――隠していた。
そんな分かりづらい優しさで自分は護られていたのだ。
「リリアちゃん? もしかしてこの血の痕を気にしている? 大丈夫だわ。ちゃあんとお名前は読み取れるもの」
気休めを言って説得を試みるセシリアに、リリアは首を振った。
「セシリアさん。あたしはこのお屋敷の皆さんが好きです。だから黙って出て行くことはしたくありません」
はっきりと告げると、セシリアは「どうしても?」と悲しげに眉尻を下げた。
リリアが頷くと、セシリアの金色の瞳が切なげに揺れ、常とは違う光を纏っていく。
「そう。残念だわ。リリアちゃんとは仲良くなれると思っていたのに……」
セシリアのものとは思えないほど低い声音に、嫌な予感がした。
咄嗟に腰を浮かしたリリアの眼前に、セシリアは踊るように両手を掲げる。
次の瞬間、きらきらと輝く粉がふわりと風に舞い、頭上から降り注いできた。
発する間もなく身体が動かなくなり意識が遠退いていく。力をなくしたリリアの身体がゆっくりと傾いでいくのを、セシリアは小さな身体で抱きとめたのだった。




