魔術師修行・1
翌日から、リリアは本館の一階にある書物室で魔術の勉強を始めることになった。
ゼルラーデルの故国では、魔術は自然と身に付くものであり、書物によって学ぶものではないという考えがあったため、書架にずらりと並んだ魔術関連の本は、魔術師だったティルダが嫁いできた際に屋敷に持ち込んだものなのだそうだ。
リリアはそれを朝食時にアンナに教えられ、そして同時に、ティルダが王国魔術師だったことと、結婚後直ぐに戦死したことを知った。
ゼルラーデルの魔術師に対する複雑な思いは、過去の辛い体験が機縁となったのかもしれない。リリアはそれを考えると魔術の勉強をすることに少なからず後ろめたさを感じた。
けれどクロゲンを自由にするためには、リリアが魔術を使えるようになるしかないのだ。
うじうじと考えていても仕方がないと、リリアは書架から立派な装丁の施された分厚い本を抜き取った。
革の装丁のしっとりとした質感が驚くほど手に馴染む。おそらく何度も読み返されていたのだろう。その場でぱらりと捲ってみるが傷みは少なく、それだけでティルダの人となりや魔術に対する真摯な思いが伝わってくるようだった。
文机に向かい、とりあえずその本を読んでみることにしたが、難しい言葉が多すぎてさっぱり分からない。
「独学で勉強しろって言われても……」
そう独語して盛大なため息をつくと、
「なぁにソレ? ん~何だか難しそうな本ね」
いつの間に来たのか、セシリアがふわりと傍らに歩み寄って、文机に開かれている本を覗き込んできた。
妖属の多いこの屋敷で、こういったことは珍しくもない。すっかり慣れてしまったリリアは、べつだん驚きもせずに本から顔を上げた。
「魔術の本なんですけど……さっぱり分からなくって……」
セシリアは艶めく桜色の唇を尖らせて「ふうん」と頷く。
「リリアちゃんって魔術師なんだ? あぁでもお勉強をしているってことは見習いさんかしら? ふふふ、大変ね」
昨夜はてっきりゼルラーデルから魔術の指南を受けるのだと喜び勇んでいたが、そんなリリアに彼は「自力で何とかしろ」とだけ言い置いて、早朝から出かけてしまったのだ。
「自分で勉強しろなんて言われても、何から勉強して良いかも分からないんじゃ話にならないですね」
リリアは本を閉じて立ちあがり、分厚くて重い本を両手で抱え上げた。
「別のを探します。きっと《初級者向け》的なものがあると思うんですよね」
「運んであげる」
セシリアは、リリアがようやく抱え上げている本を、片手でひょいと取り上げて書架へと向う。こんなに華奢なセシリアでも類に漏れず怪力というのは、正直微妙だ。
礼を言って場所を告げると、セシリアは本を棚に突っ込んで、下唇に人差し指を当てた。
「う~ん。初級者向けっていったら、やっぱりもっと薄い感じなのかしら?」
「どうなんでしょう……」
ずらりと並んだ書物の背表紙に片端から目を通していく。そんなリリアをちらりと見てセシリアは、舌足らずな甘い声音で言った。
「リリアちゃんはどうして魔術師になりたいの?」
「え? ……どうしてって言われても……」
「わたし魔術師キライ。この国から魔術師がみぃんないなくなれば良いのにって思うわ」
「……ごめんなさい」
「別に見習いのリリアちゃんに謝られても仕方ないけどね~」
セシリアは細い指先を後ろ手に組んで、書架の間をふわりふわりと歩き出した。
昨夜、ゼルラーデルが言っていたことが真実だとすると、妖属が魔術師を嫌うのも無理からぬことだと思える。リリアはそれ以上何も言えなくなってセシリアの横顔を見つめた。
こんなに可憐なセシリアでさえも、魔術師に従属されてしまえば、命じられるままに残忍な行為であろうと遂行するのだろう。
それを思うとリリアは、図らずも自分がこれから歩む事になった道の責任の大きさを、改めて実感させられる気がした。
「あっ! ねぇねぇ。リリアちゃん。これなんかどうかしら?」
セシリアは背伸びをして、中段から薄い魔術本を引き抜いた。
焦げ茶色の革で装丁された古めかしいその本を、リリアが受け取るのを躊躇っていると、セシリアはまつ毛をぱちぱちと瞬かせて首を傾げる。
「どうしたの?」
「……だって、あなたは魔術師が嫌いなのに……」
口の中でもごもごと言うと、セシリアは意外そうに瞳を見開いて、それから何が可笑しいのか、鈴を転がすような笑い声をあげる。
「魔術師が嫌いなのはわたしの問題。魔術師になりたいのはリリアちゃんの問題。同じじゃないのは仕方がないことだわ」
「そうですけど……」
セシリアはリリアに本を手渡すと、甘い香りを漂わせながらくるりと踵を返した。
「お邪魔してごめんささいね? お勉強がんばって」
セシリアが柔らかな余韻を残して出て行った扉と、手の中の【やさしい魔術・入門篇】とを順に見やってリリアは首を傾げた。
(応援してくれてるのかしら……?)
翌日、リリアが書物室へ行くと、窓際の机の上に一輪挿しがぽつんと置いてあった。
薄紅色の花弁が八重咲になった可愛らしい花が一輪だけ活けてあり、顔を寄せると、ほんのりと甘い香りがした。
それからというもの、リリアは日がな一日、唸り声と感嘆の声と、時おりため息を漏らしながら魔術の勉強に勤しんだ。
書物を読み知識を深めるなど、望むことも叶わなかった郷里での暮らしぶりを思うと、まるで夢のような贅沢な毎日に、小さな胸は喜びに満たされて、期待に膨れ上がった。
もちろん、深く知っていく事で、魔術師を志す事への畏怖や責任の重さなども、すこしずつ実感として受け止められるようにもなっていった。
「やさしい魔術・初級篇、第一章。呪文を唱えてみよう。別添の呪文表を参考にして、実際に呪文を唱えてみましょう。ここで注意しなければならないのは――」
リリアは開いたままの本を胸元に伏せて、大きく息を吐き出した。
辞書を片手に魔術本を読み進めていたため、入門篇を読破するのにかなりの日数を費やしてしまった。けれど――
「いよいよ実践だわ……」
読みや意味を調べながらでは、内容が思うように頭に入ってこなくて、当初こそどうなることかと案じもしたが、次第に辞書の扱いにも慣れ、入門篇の第三章に目を通す頃には、思いのほかすんなりと文章が頭の中に溶け込んでいくのを実感できていた。
とは言えやっと基礎知識がついたという程度だ。魔術の制御が出来るようになるには、まだまだこれから多くを学ばなければならないことも分かっている。
リリアは一輪挿しに生けられた可憐な白い花に眼を向け微笑んだ。
セシリアが毎日欠かさず飾ってくれているものだ。
文机に置いても邪魔にならない小振りの花瓶に、淡い色をした花が一・二輪だけ挿されていて、匂いもほんのりと香る程度のものを選んでくれているようだった。
花の種類には疎くて名前は分からないけれど、見ているだけで心が癒される。セシリアからの無言の励ましが、小さな花を通して伝わってくるようだった。




