魔力の覚醒・2
「あのう……ご主人様?」
「何だ?」
「あたし……魔術師に見えますか?」
「見えないな」
「ははは。そうですよねぇ。それはもう、即答ですよねぇ?」
あの後、リリアはもちろん大人しくソファーに腰を下ろした。
シーナは当分の間、西の別館から出ないことを約束させられて自室へ戻って行った。
クロゲンはいつもの如く逆さまになって天井からぶら下っている。
つまり、今リリアは小さなテーブルを挟んでゼルラーデルと向かい合っているのだ。
「しかし。魔術師に見えない。と、魔術師ではない。は、同じではない」
身を縮こまらせて力なく笑うリリアに、ゼルラーデルは冷たく言い放つ。
「クロゲンを従属させたことについて、申し開きはあるか?」
長い足を組み替えて肘掛に頬杖をつくゼルラーデルを、リリアは瞠目して見つめた。
「クロゲンさんを従属させた? ……ええと、それは、つまり……」
確かにあの時、クロゲンは変だった。どういった訳か知ることの出来た名前を呼んだ時に、身体が軽い痙攣を起こしたようになって。その後、やけにあっさりとリリアの言うことを聞くようになった。
それはつまり――
「あたしがクロゲンさんと契約を交わした。ということですか?」
「お前は強引にクロゲンを従属化した。それが、この国の魔術師のやり方だ」
侮蔑を孕んだ言葉に、リリアは首を振る。
「でも、あたしは魔術師じゃありません」
ゼルラーデルは嘆息して何事か思案していたが、ややあって視線をクロゲンへ向けると、視線をそのままに言った。
「クロゲンにその場を動くなと命じてみろ」
何をやろうと言うのだろう。リリアはまつ毛を瞬かせてゼルラーデルを見つめたが、顎で促されてそれ以上の追究を封じられてしまった。
リリアは嘆息を漏らしてきゅっと唇を結んだ。
真実の名前を呼ぶべきか迷った挙句、結局呼びなれた方の名前を口にすることにする。
「クロゲンさん。あたしが良いと言うまでそこから動かないで下さいね」
「うん。いいよ~」
クロゲンの返事を確認して顔を向けと、ゼルラーデルはいつもの静謐な声で命じた。
「クロゲン。降りて来い」
しかし、クロゲンは最も優先すべき主の命令に、だらりと垂れ下がった尻尾の先端を僅かに動かしたきり、その場を離れようとはしなかった。
「ごめんゼルさん。ムリ」
(どういうこと?)
口をぽっかりと開けて驚くリリアに視線を戻して、ゼルラーデルは静かに言った。
「つまり。こう言うことだ」
「どうして……」
「どうして? お前がクロゲンの名を視たからだろう?」
確かに名前が見えた。そしてその名前を口にした。けれど――
「真実の名を呼び従属させる手段があることを知っているか?」
「知りません」
「魔術師が従属化した妖属に名を付けることは?」
「知りません」
「クロゲンとは、私がゴトフリード・クロンクヴィストに付けた二つ名だ」
その言葉にクロゲンが「ん? 呼んだ?」などと反応するが、ゼルラーデルは構わずに説明を続けた。
「二つ名を与えられることによって名を視え難くする。視えなければ無理やりに従属させられる危険を軽減できるからだ」
「でも、あたしには見えました」
「そうだ。お前には視えた。クロゲンの名を捉え、そして私との契約を無効にして自らに従わせた。……この件ではっきりと分かったことがある。信じ難いことだが、お前には私を凌駕する魔力があると言うことだ」
難攻不落のズルファウスの森を制圧したゼルラーデルよりも――
いやいやいやいや有り得ない。
何かの間違いだ。
蒼ざめるリリアを見てゼルラーデルは長いまつ毛を伏せて、大きく一つ息を吐き出した。
「お前が無自覚で魔術を使っていることは承知した。魔術に触れずに暮してきたのなら自身の力に気付いていずとも不思議ではない。しかし、クロゲンを従属化した以上、このままお前を解放する訳にはいかない」
言葉の意味を汲み取れない。
リリアは震え出した指先をぎゅっと握り締めた。
「クロゲンとの契約を解除するまで。つまり魔力の制御が出来るようになるまで、お前にはここにいてもらうことにする。もちろんお前に拒否権はない」
(え? 魔力の制御が出来るように……? それって、まさか)
「あたしに魔術を教えて下さるってことですか?」
まるで罰則を与えるかのようなゼルラーデルの言い回しに、地下牢でのお仕置きの諸々を想像していてリリアは、あまりにも意外な言葉の意味を汲み取り、拍子抜けした声で訊いた。
聞いたところによると、魔術師養成学校に通うには高額な入学金と授業料を納めなければならないらしい。それを無料で学べるとは願ってもないことだ。
「知らない方が良かったと後悔することになるかもしれないが、仕方がないだろう。……ところでお前は何故、嬉しそうな顔をしているんだ?」
組んだ膝頭を抱える指先を見つめていたゼルラーデルは、不意にリリアに眼を向けて、心底不思議そうに訊ねる。
「魔術を使えるようになったら、貴族様にお使えすることだって出来るんですよ?」
嬉々として言うと、ゼルラーデルの表情が嫌悪に歪んだ。
「貴族に買われた魔術師たちが、どのような扱いを受けているのか、お前は知らないのだろう。だからそのようなことが言える」
「はい。知りません」
真っ直ぐに見つめてくる冷めきった眼差しを、リリアもまた正面から見つめ返した。
「……けれど娼舘で働くしかなかったあたしの気持ちも、ご主人様には分からないと思います。もちろん、自分の意志で決めたことですから後悔はしていません。ただ……」
「何だ?」
「もしあたしに少しでも学があったなら、と……考えなかった日はありません」
言い終えるとリリアは大きく息を吐いた。
初めて本音を口にして気持ちが緩んだのか、それとも娼館で働かなくて済むかもしれないという安堵からか、気を逸らさなければ涙が零れてしまいそうだ。
ゆっくりと息を吐き出してスンと鼻を啜ると、ゼルラーデルは静かに「そうか」と呟いた。
それきり口を噤み、腕組みをしてしばらく何事か思案しているようだったが、ややあってゆっくりと語り始めた。
「私の故国では妖属を無理やりに従属化するようなことはしなかった。それが上級妖属であれば、多少の敬意さえ持って接するものだった。しかし、この国で妖属は魔術師に道具のように使役され、魔術師は貴族に道具のように扱われている。これが、私が魔術師を軽蔑し、そして哀れんでいる理由だ」
(魔術師を軽蔑して……哀れむ)
どちらにしても、ザイル国の魔術師に良い印象はないということだ。
「娼妓と魔術師……どちらも人格を軽んじられるに違いはないのだろうが、そうだな、自身で選択できる分だけ救いはあるのかもしれないな」
遠くを見つめるゼルラーデルの瞳がどこか悲しげで、リリアは再び込み上げてきた涙を、深呼吸と共にやり過ごしたのだった。




