魔力の覚醒・1
「反論が無ければ、質問に答えてもらおう。言い付けを破ってまで嘘を付いた理由は?」
「その小娘がいけないんですわ。ご主人様に優しくされて調子に乗っていますから。ご主人様には大切な方がいらっしゃることを教えて差し上げようと思ったんですわ。ご主人様は今でもティルダ様のことを愛していらっしゃると――!?」
シーナは言葉を止めて息を飲んだ。
向けられた瞳が氷のように冷たくなったことにようやく気が付いたのだろう。
(ティルダ様?)
リリアの鼓動が跳ね上がった。
初めてゼルラーデルを起こした朝。彼が甘い口づけをリリアに与えながら囁いた名前だ。
あの部屋に飾られていた肖像画――
純白の花嫁衣裳を楚々と着て、椅子に座り柔らかに微笑んでいた女性。
(あの方がティルダ様だったのね)
取り立てて美人というほどではないけれど、知的で凛とした雰囲気の魅力的な人だった。
その後ろに立って爽やかな笑みを浮かべていた長身の花婿は、やはりゼルラーデルだったのだろう。
少しだけ幼さの残る面貌は曇りのない笑顔を浮かべていた。
リリアは脳裏に焼きついた少しだけ色褪せた笑顔を思い出して、胸が熱くなった。
今はもう彼の傍らにいないティルダとの思い出を、なくしてしまわないように、壊してしまわないようにと施錠された部屋で、けれど大切な思い出は色褪せて、埃をかぶっているだけだった。
(事情は分からないけれど。きっと、ご主人様をひどく傷付けてしまった……)
謝罪の言葉さえ見つからない。
「シーナ。私は、契約を交わすのは屋敷を自由に出入りする者だけと決めている。クロゲンやシモンのように外に出ることが仕事の者にとって契約は彼らの身を護ることにもなる。そうでなければ契約で縛る必要はないと思っている。何故だか分かるか?」
「ご主人様は魔術がお嫌いだからですわ」
自信満々なシーナの返答を聞いて、リリアは瞳を大きくした。
魔術が嫌いな魔術師がいるのだろうか?
「この国で上級妖属と呼ばれるお前たちであれば、契約など交わさずとも信頼関係が築けると思っているからだ」
隣でシーナが再び息を飲むのが分かった。
「その信頼をお前は、実に下らない理由で裏切ったということだ」
シーナが何か言う前に、背後に来たクロゲンがその喉元に鉤爪を衝き立てる。
「……っ!?」
「どうするゼルさん? このままイッちゃう?」
「ちょっ、ちょっ、ちょっおっと待って下さいっ!」
血の気の失せた顔をして、声をあげることも出来ずにいるシーナの代わりに、リリアは慌ててクロゲンを止めるべく立ち上がった。
ゼルラーデルを傷付けてしまったことは分かる。けれど、死をもって贖わせるのは行き過ぎではないだろうか。
慌てふためいてシーナへ手を伸ばすリリアを一瞥して、ゼルラーデルは眉一つ動かさずに命じる。
「地下牢に連れて行け」
「地下牢!?」
眼を剥くリリアに、クロゲンが真っ赤な口腔を覗かせながらにやりと笑った。
「悪趣味なシーナならきっと気に入ると思うよ?」
言いながらクロゲンはシーナの身体を楽々と持ち上げる。
まるで刃物のような鋭い鉤爪を首筋に衝き立てられているシーナは、抵抗も出来ずになすままがままとなっている。
「やめて下さい!」
何とか阻止しようと、宙に浮いたシーナの腰に必死でしがみ付いたが、そんなリリアにゼルラーデルは低い声で言い放った。
「庇うならお前も同罪とみなすが?」
「そんな……」
地下牢で繰り広げられるお仕置きのあれやこれやが、瞬時に脳内を駆け巡り、リリアはぶるりと身体を震わせた。
腕の力が緩んだ隙にクロゲンが上昇する。
「薄汚いこの手をお放しなさいよ。わたくしに触れるなど百万年早いですわよ!」
鉤爪から解放された途端に罵詈雑言を吐くシーナだが、その身体はしっかりとクロゲンに羽交い絞めにされていて成す術をなくしていた。
リリアの知る限りシーナも相当な怪力の持ち主だが、クロゲンはまるで仔猫を抱え上げる程度の容易さで、暴れるシーナの身体を拘束している。
「んじゃぁ~ちょっと行ってきまぁ~す」
なおも口汚い言葉を吐くシーナを完全無視して、クロゲンは元気な挨拶を述べ、先ほどシーナが駆け込んできた時のまま、開けっ放しになっている扉へと向かう。
「待って下さい」
「リリアの頼みでも聞けないよ~」
涼しい顔でツンと顔を背けて、クロゲンはもったいぶるようにゆっくりと飛んでいく。
まるでその行為を楽しむかのようなクロゲンの態度に腹立ちを感じたのも手伝って、リリアは思わず声を荒げて叫んだ。
「だめっ!」
するとその途端、宙に浮くクロゲンの身体がぴたりと停止した。
翼の先端を僅かばかり上下させて、ふわりと宙に浮いたままのクロゲンに、ゼルラーデルが訝しげにその名を呼ぶ。
「クロゲン?」
「ええっと……身体が言うコトをきかないんだけど?」
「何だと?」
眉を上げてクロゲンを見やり、次いで背筋に寒気を覚えるような眼差しがリリアへと向けられた。
「お前の仕業か?」
(あたしの!? なんであたし?)
リリアの背中を嫌な汗が伝い落ちる。
「あたしは何も……」
「ならばそのまま何もするな。クロゲン行け」
「はぁ~い」
クロゲンは何事もなかった様子で再び扉へ向かう。が、本格的に身の危険を感じたらしいシーナが、いよいよ死に物狂いで抵抗を始めた。
「ご主人様ぁーもう二度と言い付けを破ったりしませんわー。どうか今回だけはお許し下さいませー…………ちょっと小娘。助けなさいよ!」
本当に反省しているのかと疑問に思ってしまう言い草だが、手足をバタつかせて暴れているシーナの瞳に滲んだ涙を目の当たりにして、リリアは再び叫んだ。
「クロゲンさん! お願い。止めて!」
叫び声に呼応するかのように、クロゲンの顔の辺りに文字のようなものが浮かび上がり、ぼんやりと明滅をし始めた。
(何? ク・ロンク……。何かしら?)
「さんは要らない」と言うクロゲンの声さえ耳に入らず、リリアはじっと眼を凝らして、それが何を意味するのか分からないままその文字を読み上げた。
「クロンクヴィスト」
それがクロゲンの本当の名前なのだと、理解したのは口に出した後だった。
室内に静寂が流れ込む。
水を打ったような静けさの中で、リリアはクロゲンの傍らに歩み寄り、その姿をじっと見つめた。
まるで惑星を囲む環のように、クロゲンの身体の周囲を文字がひと筋の帯となり、くるりくるりと回転している。
リリアはごくりと唾を飲み込んだ。
「ゴ、ゴトフリード・クロンクヴィスト……」
間違わないように慎重に読み上げると、クロゲンの身体が大きく一度跳ねた。
「シ、シーナ様を、こちらへ」掠れる声でそう言って、恐る恐る両手を差し出してみる。
すると、クロゲンは抵抗も反論もせずに「は~い」と、実にあっさりとそれに従い、
次の瞬間、身体に圧し掛かるシーナの重みを支えきれずに身体が後ろに傾いだ。
「きやっ……!」
引きつった悲鳴をあげるリリアを、素早く移動してきたクロゲンが楽々と抱き止める。
「だいじょうぶ?」
「はい。何とか……」
「おい娘。地下牢に入るか、大人しくその椅子に座るか、どちらか選んでもらおうか」
耳に届いた二者択一を迫る冷たい声に、リリアはごくりと唾を飲み込んだ。




