封じられた部屋・3
「お呼びでございますかぁ~~ン。ご主人様ぁ~~ン」
ノックも無しに開け放たれた扉から、満面の笑みを携えて駆け込んできたシーナは、開口一番お決まりの文句を、とろっとろの蜜を撒き散らすかのように甘ったるい声で言い放った。
一体クロゲンは彼女に何と伝えたのだろうか。
そのまま抱きつかんばかりの勢いで部屋の奥の机――つまり、ゼルラーデル目指して突進していたシーナは、しかし不意に部屋の中ほどで速度を落とすと、ソファーにちょこんと座っているリリアの方へと顔を向けて、その形相を崩した。
「呼ばれた理由に心当たりは?」
抑揚のない無愛想な問いに、シーナのこめかみがぴくりと引きつる。
「さぁ。何のことでしょう?」
柔らかな口調でそう返答してはいるが、ゼルラーデルには分からないように向けられたその顔に、リリアは背筋が凍る思いがした。
『シーナ様。あたしは何にも言ってませんからっ!』
そう叫びたくなる気持ちを抑えて、首をぶるぶると左右に振ってみる。
「シーナ。私に余計な手間を掛けさせる気でいるのなら、考えを改めることを勧めるが?」
冷たく放たれた言葉を耳にして、胸の前で指を組んだシーナは、瞬時に表情をすり替えてゼルラーデルへと向き直った。
「んもーうご主人様ったら。この新入りの言うことをお信じになるおつもりですのー? この小娘はわたくしのことが嫌いなんですわ。だからご主人様にまで嘘を付いてわたくしに意地悪をしているのですわ」
大げさに瞳を潤ませながら訴えるシーナの往生際の悪さに、ゼルラーデルはあからさまに呆れた顔をしている。
「その娘は、お前は無関係だと言っていたが?」
「…………え?」
「つまり、それが嘘だと言うことか?」
「いえ……それは……」
「その娘をそそのかしたのはお前だな。シーナ?」
「そそのかしただなんて大げさですわね」
全てお見通しだと言わんばかりのゼルラーデルの態度に、完全に勢いを殺がれたシーナは、じりじりと後退しだした。
「我々以外に契約証のことを知っているのはお前だけだ。そして、あの部屋の鍵の保管場所を……教えた記憶はないが、お前が知っていただろうことは承知している」
シーナは悔しげに唇を噛んで、やがて観念したかのようにリリアの隣に腰を下ろした。
「どうしてあの部屋に契約証があるなどと嘘を付いた?」
「え? ……嘘?」
今の今までシーナの言葉を信じきっていたリリアは、大きく瞠った瞳を傍らのシーナへと向けた。しかし、シーナは豊かな胸の前で腕組みをして、ツンと顎を逸らすばかりだ。
「この期に及んで未だシーナの嘘を信じていたのか?」
そう問う顔は、呆れを通り越して同情しているようにも見える。
けれど、リリアはシーナが親切心でやってくれたことだと思っていたし、そもそも嘘を付かれる理由が分からない。
「そんな嘘を何故そこまで信じることが出来るんだ?」
長い左右の指を組み合わせて机に置き、ゼルラーデルが瞳の奥を覗き込んでくる。
「ええと……」
リリアは非常に気まずい状況に言い淀んで、再びシーナの顔に眼を向けた。
シーナが関係していることを口外しないという約束を交わしている手前、主からの下問でもリリアには答えることができないのだ。
「シーナ」
リリアの心中を悟ったゼルラーデルが名を呼ぶと、シーナはフンと鼻を鳴らした。
「どうぞお好きなように。何なりとお話しなされば宜しいですわよ」
どうやら完全に開き直ったらしい。
見事な居直りぶりに感心しつつも、リリアは覚悟を決めて硬く閉ざしていた口を開いた。
「ご主人様はあたしのことがお嫌いだから。意地悪で契約証を隠してしまわれたと……」
とてもとても言い辛い言葉を口にして、ちらりとゼルラーデルの顔を見た。
ゼルラーデルはほんの刹那、宝石のような青灰色の瞳を瞠り、そして徐に額を押さえた。
「確かにお前はまだ子供だ。だからと言ってそのようなことを信じるほど幼稚ではないと思っていたが? それとも、私が子供じみた仕打ちをするような人間に見えるということなのか?」
「違います!」
もちろんそうではない。リリアは慌てて首を振った。
「ただ……昼間、契約証のことをお尋ねした際に、ご様子が変だと感じましたから」
あの時の彼の様子は確かに不自然で、そのことが心の片隅に引っかかっていた。
そうでなければシーナの話をこれほど簡単には信じはしなかっただろう。
ゼルラーデルは「そうか」と、大きく一つ嘆息して言葉を継いだ。
「あの部屋への出入を禁止していることは知らなかったか?」
「え?」
(出入禁止の部屋?)
そう言えば、今思うとシーナが意味深長なことを言っていたような気がする。
『ほら。例のあの部屋ですわよ。あの部屋に隠してしまわれたんですわ』
『あの部屋? シーナ様。あの部屋ってどの部屋ですか?』
『まさか、あなた聞いていないんですの?』
『ええと。何を?』
『……まぁ良いですわ。とにかく大丈夫ですわよ。隠し場所さえ分かっていれば、あなたがお屋敷を叩き出される時に、このわたくしがこっそり持ち出して差し上げますわよ』
何気に酷いことを言われているのだけれど、あの時リリアにはシーナがとても親切な先輩に思えた。そして、今は『あの部屋』という言い回しにそういった意味合いが含まれていたことに驚く方が先にきて、やはり酷い言われようだとは気付かなかった。
驚いてまつ毛を瞬かせていると、天井にぶら下がっているクロゲンの声が降ってきた。
「ええ!? リリア知らなかったの!? ボク、ちゃんと説明したよね?」
「……もしかして、お部屋を案内していただいた時……ですか?」
あの時は確か、途中から考えごとをしていた気がする。
ここで暮らすのは短期間でしかなく、このやたらと広い屋敷の隅々まで知る必要性を感じていなかったから。自分の生活に不自由がない程度に覚えれば良いと思っていたのだ。
部屋に鍵が掛かっていたことも、お金持ちは普段使用しない部屋に鍵を掛かけるものなのね? と、思ったくらいだった。
「ダメじゃ~ん。リリア~」
「ごめんなさい」
今頃になって、とんでもないことをしてしまったと、浅はかだった自分の行いを後悔した。
申し訳なさと、この後待ち構えているお仕置きを想像してリリアの瞳に涙が滲んだ。
しかし、ゼルラーデルは「今後は気を付けろ」と短く放っただけだ。
お仕置きされなくて済んだのかしら? と、嬉しい誤算に驚いていると、ゼルラーデルは次いで厳しく尖らせた瞳をシーナへ向けた。




