多忙な公爵とリリアの仕事・3
「まぁリリアさんったら。そうねぇ。でもまずはしっかりとお慰めすることかしらね?」
「……お慰め?」
「ゼルラーデル様がお戻りになったら、たっぷりと慰労して差し上げればよろしいわ」
はぁ……と間の抜けた返答をした後、頬に手をあてて思案する。
(慰労って言ったら、やっぱり肩揉みかしら? ……でもご主人様はまだお若いし、お年寄り扱いしたら怒られるかもしれないわ。あぁそうよ。失敗したら。お仕置きされてしまうのよぉ……)
けれど、どんなに考えても何をどうすれば慰労になるのか検討もつかない。
「あのうアンナ様? 慰労っていうと、具体的には何をすれば良いのでしょうか?」
リリアは、そろりと卓に身を乗り出してそう訊いた。
「あらま。ご存知ない? 確かに経験豊富のようには見受けられないですものねぇ……」
「そうなんです。こんなお仕事は初めてで……アンナ様ぁ。助けて下さい」
「あらあら。それは困りましたねぇ……。けれど、そうね。うふふ。それもまた一興かしら? 大丈夫ですよ、きっとゼルラーデル様が色々と示教して下さいますわよ」
あくまでのん気なアンナに、リリアは詰め寄り念を押す。
「それで大丈夫ですか? ご主人様が教えて下さる通りにやれば、本当に叱られたりしないですか?」
「あらいやだ。リリアさんったら。ゼルラーデル様はお優しい方ですから、みだりにお叱りにはなりませんよ。安心してご奉仕なさいませ」
彼の言うとおりにしていれば、取りあえずは叱られることはないらしい。
リリアはほっと胸を撫で下ろした。
けれど心中で(ご主人様が優しいっていうのは嘘ね……)と突っ込みは忘れない。
クロゲンを助けた経緯がなければ(助けたというのは今でも半信半疑だけれど)あのまま夜の森へ追い返されていたところだ。
薄汚い格好をした見ず知らずの少女になど、これっぽっちの情けさえ掛けてやる気はないといった態度だった。
(ご主人様なんて、妖属と暮らす変わり者の冷血人間じゃない)
そう毒突いて――
(だけど……)
彼に慰められた朝のことを思い出して、気持ちがほんの少し揺らいだ。
あの時は少しだけ彼の内面に触れた気がした。
頭からすっぽりと氷の外套を羽織っているようなゼルラーデルの、その下に暖かな血が流れ、自分と同じ鼓動を刻んでいるのを感じることができた。
ただ冷たいだけではないのだと――
卓に広げられた地図を見るともなく見つめながら、物思いに耽っていたリリアは、ふと暖かな気配を感じて反射的に背後を振り返った。
けれど、何も変わったところはない。
大きな窓の向こうにいつもの景色が見えるだけだ。
それでも気になって視線を上げてみた。
もちろん一片の変化も見当たらない。
その様子を見ていたアンナがうふふと笑いを漏らした。
「クロちゃんが遊びに来たのに気がつきました?」
「……え?」
リリアは眼を見開いてアンナを見て、続いて白いだけの天井を見上げた。
「遊びに来たんじゃないよ。アンナ。ゼルさんが帰って来るよって教えにきたんだよ」
手の甲でごしごしと眼を擦ってみるが、やはりどうやっても姿は見ることができない。
けれど、紛れもないクロゲンの声が、何も見えない天上から聞こえてくるのは確かだ。
「あらあら。そうなのクロちゃん?」
「うん。もうちょっと後だけどね。アンナは戻るのに時間がかかるから、早めに教えておこうと思ったんだ」
「あらあらまあまあ。ありがとうクロちゃん。ではそろそろ戻りましょうか。ハンスさんに軽食の準備をお願いしなければね。……あぁでも、お疲れでしょうから甘いものの方が良いかしら? そうそう。それからリリアさん」
「はい?」
「うふふ。お仕事ですよ?」
「は?」
「ほら。先ほどお話した……」
「ああ。あの。アレですか?」
「そうそう。アレです。よろしくお願いしますね」
「…………はい」
「さぁ私は急いで戻らなければね。……資料は置いておきますから眼を通しておいてね」
重そうな尻をかけ声と共に持ち上げて、アンナはそう言い置くと「あぁ。忙しい。忙しい」と、それにしてはのんびりと言いながら、全くもって忙しそうには見えない動作で部屋を横切り扉の向こう側へと消えていった。
リリアは扉の方を見やって嘆息を漏らした後、白いだけの高い天井を見上げた。
「クロゲンさん? まだ居ます?」
「《さん》は要らな~い」
いい加減このやり取りも疲れるなぁなどと思いながら、何にも見えない宙を見つめる。
「ご主人様を慰労して差し上げるには何をすれば良いか分かります?」
「ん? イロウって?」
「ええと。あたしにもよくは分からないんですけど……お疲れをお慰めする。とか?」
「オマグサメ?」
姿が見えないからだろう。まるで幼い子供のようなクロゲンの反応に、故郷の弟の面影が重なり、リリアは思わずくすりと笑った。
「何がおかしいの?」
笑みをそのままに顔を上げ、白い天井に向かって「なんでもないです」と首を振る。
見当違いの場所を見上げているのだけれど、クロゲンはそれを指摘することもなく。
そして、教えてもらえなければ気付くはずもなく。
結局リリアはクロゲンにつむじを見せながら話をする体勢になっている。
「んんと。ご主人様のお疲れを和らげて差し上げるのに、あたしに出来ることはないかと考えているんですけど……何をしたら良いのか分からないんですよ」
「なぁ~んだ。そんなことか~」
これといった特徴もないつむじを見せ付けられながら、しかしクロゲンは全く頓着することもなく会話は滞りなく進んでいく。
「だったら簡単。シーナをゼルさんに近づけないようにすることだね」
「…………簡単て」
「だぁってさぁ。あんな調子でずっとシーナに付き纏われてたら、ゆっくりするどころか余計に疲れちゃうよ?」
もちろん同感だ。
けれど――
「……やり遂げる自信がありません」
寝台から引き摺り下ろされたり、ガウンを剥ぎ取られたりした時のシーナの怪力といったら、とてもリリアに太刀打ちできるものではなかった。
正直にそう告げると、聞き慣れない言葉が耳に滑り込んできた。




