多忙な公爵とリリアの仕事・2
「ちよ……っと待って下さい! ……ってことはですよ? ……ってことはアンナ様。ご主人様は王子様だったってことじゃないですか!?」
「ええそうですよ。ヴレヴィリウス王国のことは? あらそう。ご存じない? 東方にある島国なんですけれどね。王位継承順位……確か……そうね……六位くらいだったかしら? 随分以前に放棄されてしまわれたから忘れてしまったわ。うふふ」
(うふふ……って。うふふってアンナ様……)
リリアは呆然となりながら口の中で呟く。
ゼルラーデルが公爵だということ一つとっても、本来なら雲の上のもっと上の存在なのだ。自分などが気安く姿を拝見したり、話しかけたりするなど、失礼極まりないことだろう。
しかも、いくら継承権を放棄した身とはいえ、王族であることに違いないのだ。
(むりむりむりむり……住む世界が違いすぎる)
「…………アンナ様。あたし。ここに居てはいけない気がします」
「あら。どうして? リリアさんとここで暮らすことは、ゼルラーデル様ご本人が望まれていることでしょう?」
蒼白になったリリアがそう訴えると、アンナはむっちりとした白い指を頬に当てて首を傾げた。
間違ってはいないが、やはり微妙に勘違いしているようだ。
しかし、今のリリアはそのようなことを気に掛けている場合ではない。
「そうなんですけど……でもあたしメイドの仕事なんて始めてだし、それに、もし失礼があったらと思うと……。あのう……やっぱり、お仕置きとかされるんですか?」
エミィに借りた本に登場する権力者といったら大よそ、弱者を虐げるのに感心するほど長けているような輩ばかりで、そりゃあもう妖属も顔負けの非道っぷりだったのだ。
お仕置きと称して食事を与えなかったり、地下牢に閉じ込めたり、拷問したり、中には秘密を漏らさないように、最初から喉を切って喋れないようにしたりと――残酷に立派な服を着せてハイ出来上がり。といった感じだ。
そのためリリアは、貴族に対してはかなり偏向した概念を植え付けられてしまっていた。
恐る恐る眼を向けると、アンナはあらまあと手を口にやって瞳をぱちぱちさせている。
「あらあらまあまあ。リリアさんったら。そちらの方は私も詳しくはないのですけれど……そうねぇ。時にはお仕置きもあるかもしれないわね。うふふ」
(だからどうして、うふふ。なんですかアンナさまぁ)
瞳を潤ませて泣きべそをかいているリリアを見て、アンナはあらまぁとまつ毛を瞬かせた。
「リリアさん。どうなさったの? お腹でも痛くなりました?」
「い……いいえ。大丈夫です。ところでアンナ様。たしかあたしが生まれた頃には、キラムス国とは講和条約が締結されていましたし、ズルファウスの通行も出来ていたはずですけれど……それはいつ頃のお話ですか?」
できるだけお仕置きのことは考えたくないリリアは、ひとまず話を戻すことにした。
「リリアさんは今十二歳くらいかしら? あらそう。十四歳? だったらそうね、生まれる前のことになるわね……かれこれ十八年か十九年。あらま。もうそんなに経つのねぇ……」
アンナは頬に手を当ててしみじみと「早いもだわ」と独語を漏らした。
とすると? ――リリアは眉間に皺を寄せた。
「あのう。アンナ様? ……とすると、ご主人様っていったい何歳なんですか?」
「たしか二十六歳、あら? 今年で二十七歳だったかしら? 落ち着いていらっしゃるから実年齢より上に見られるのよね? うふふ」
リリアは腕組みをして首をかしげた。
うふふ。なんて笑っている場合ではないような気がする。それではどう見積もっても計算が合わない。
「ええと。アンナ様? その計算でいくと、どう考えてもご主人様が十にも満たない頃のお話になってしまうんですけれど?」
「ええ。そうですよ。あれは坊ちゃまが九歳の時のことですもの。あらやだ。私ったら坊ちゃまなんて言ってしまったわ。うふふ」
(九歳……って……)リリアは俯いて額を押さえた。
話について行く自信がない――
「あらあら。話しが逸れてしまいましたね」
驚きの範疇を超えてしまった話に、呆然となっているリリアをよそに、アンナはちっとも『いけない』ようには見えも聞こえもしない様子で「いけない。いけない」と言うと、居住まいを正して説明を再開した。
その後、ゼルラーデルはズルファウスの森の一部に結界を張り、旅人や商人が通行できる道を造った――これが不可侵域だ。
同時に不可侵域以外での妖属の生息を容認し、以後ズルファウスは妖属の棲む森でありながら、各地方を結ぶ重要な通り道となったのだった。
しかし、領主とはいえ国王から預かっている領地である。
税収を得る代わりに、通行人の安全を確保するのもゼルラーデルの主たる仕事なのだ。
深く巨大な森でのこと。防ぎようのない事故や自然災害で通行人が危険に遭遇するのも稀有なことではない。時には盗賊の類が出没することもある。
しかし、今回は明らかにゼルラーデルに落ち度があったと言われても仕方のないことで、翌日彼が早朝から出かけていたのは、王宮へ報告に上がるためだったのだ。
今回は無許可での通行だったことも幸いして、彼にお咎めはなかったものの、原因究明と再発防止を厳しく仰せ付かったらしい。
クロゲンの動きを封じて、不可侵域を破ったのが彼を疎ましく思っている誰かの所業であると、ゼルラーデルは考えている。
リリアが疑われているのはそのためだ。
黒幕は別にいるにしろ、実行したのはリリアかもしれないと疑っているのだ。
それはいい。無実だということは何より自分自身が知っているのだから、後ろめたくもなければ、報復を恐れることもない。
ただ。あの夜の惨劇が人の仕組んだことだと考えると身が凍る思いがする。
三人もの命が奪われて、リリア自身も死と隣り合わせの恐怖を味わったのだ。
死んだ方がましだと思えるほどの孤独と恐怖の中、クロゲンの友達だという声の助けがなければ、きっと惨めな最期を遂げていただろう。
無事にゼルラーデルの屋敷に辿り着けたのは【運が良かった】だけに過ぎないのだ。
記憶と共に呼び起こされた恐怖が、ぞわりと背中を這い上がってくる。
リリアは自らの肩を抱き、思考を巡らせた。
万が一、自分があの時死んでいたら家族はどんなに悲しんだだろう。
そればかりが、収入の当てがなくなって路頭に迷うことにもなっただろう。
今度は十にも満たない妹や弟が働きに出なければならなかったかもしれないのだ。
そう思うと恐怖はそのまま怒りへと変わった。二の腕を抱く手に知らず力がこもる。
「アンナ様。あたし。ご主人様のお手伝いができないでしょうか?」
魔力うんぬんはともかくとして、リリアが当事者であり目撃者であることに違いはなく、ならば多少なりとも彼の力になれるのではないだろうか?
そんな決意を固めて、アンナの碧い瞳を見つめた。




