館の従事者・2
メイドの控え室で仕事の大まかな内容をリリアに教えていたアンナが、不意に天井を見上げて、丸い顔をくしゃりとほころばせた。
何かしら? とリリアは顎を上げてみたけれど、アンナが微笑んだ理由は分からない。
「クロちゃん。降りていらっしゃいな」
「いやだ。クロゲンったら、また隠れていますの?」
もちろんリリアには、どんなに眼を凝らしてもクロゲンの姿を見つけることはできない。
「なあんだ。バレてたのかぁ~」
しかし、何にもない天井の一角から緊張感のない声がして、次いで声がした辺りが油を流したように滲んでいく。
いったいどんな技を使っているのか。今もまた何もないところから姿を現したクロゲンは、翼を上下させて下降し、軽やかに着地した。
「どうしてアンナにはバレちゃうんだろ?」
にっと笑って首を傾げる表情の無垢さはまるで天使のようだ。
背負っているのは真っ黒な翼なのだけれど――
「悪趣味ですわよねぇクロゲンって。まさかその技を使ってわたくしの部屋を覗いたりしていないですわよねぇ?」
呆れた顔をして机に頬杖をつき、自意識過剰な問いかけをするシーナに、クロゲンは満面の笑みで応えた。
「やだなぁ~。シーナの部屋を覗き見するほどボクは悪趣味じゃないよ」
「んまぁ。それはどういう意味ですの!」
眼を剥いて尻尾の毛を逆立てるシーナを横目で見て、クロゲンは悪びれもせずにアンナの傍らの椅子に腰を下ろした。
「あらあら。クロちゃんが椅子に座るなんて珍しいこと」
シーナとのやり取りをほんの少しも意に介さずに、アンナはのんびりとそう口にする。
「べっつにぃ~」
クロゲンはつーんと顎を逸らせてそう言うと、ふわりと宙に浮いて、それから長卓のはしにわざわざ座りなおした。
どうやら思うところがあるらしい。
それを見たシーナは紅い唇の端を持ち上げて、意味ありげに妖艶な笑みを浮かべる。
「クロゲンは自宅謹慎を申し付かっただけですわよねー?」
「キンシンじゃなくってタイキだよ。ジタクタイキ」
「あーら? ご主人様の配慮がお分かりにならないんですの? 随分能天気な方ですこと」
「ヘンな喋りかた。バッカじゃなぁ~い」
「何ですって!」
立ち上がったシーナは、きらりと光る尖った爪を、眼にも留まらぬ早さでクロゲン目掛けて振り下ろした――が、一瞬早く翼がはためいて、黒い身体がふわりと宙に浮く。
この屋敷は、どの部屋も天井が高く、天井付近まで上がってしまえば、相当な大女でもない限り、つま先にさえ触れることは出来ない。
きぃーっと悔しがるシーナを、クロゲンは得意げな顔で俯瞰している。
「あらまぁ。自宅待機?」
数十秒遅れてアンナは事態を把握したらしい。
「それはちょうど良かったわ」
シーナとクロゲンのやり取りに気付いていないのか、気付いていてなお気に留めていないのか、アンナは嬉々として両手をぱんと叩きあわせた。
「だったらクロちゃんにお屋敷の案内をお願いしようかしら?」
悔しげに睨みあげるシーナとは裏腹に、彼女との角突き合いに飽きてしまったらしいクロゲンは、鉤爪で首の後ろをぽりぽりと掻きながら、真っ黒な瞳をアンナへと向けた。
「……ん~? 案内ってぇ~?」
「リリアさんの案内をね、私は膝の調子が良くないものだから、お屋敷を全て案内して回るのは、ちょっとアレじゃない?」
「そうだね。アンナが案内したら明日になっても終らないよね」
リリアには皮肉のように聞こえるクロゲンの言葉に、アンナは気分を害する様子も見せず「そうなのよう」と、にこにこしながら相槌を打っている。
次いでアンナは、苛立たしげに腕組みをして椅子に座り直したシーナに眼を向けた。
「それにシーナさんは……まぁ色々忙しいというか、アレじゃない?」
「そうだね。シーナが案内なんかしたら、リリアだけ三日くらいは戻って来ないよね」
リリアは、何だか物騒なことを言われたような気がして訝しげな顔をする。
しかし、シーナはふんと鼻を鳴らして「心外だわ」と、それを否定した。
「わたくしだったら、二度と戻って来られない処へご案内いたしますわよ」
「あらあらシーナさんったら」
「なるほど。ボクが案内するのが一番マシだね?」
「……って言うか。他に妥当な人はいないんですか?」
リリアは堪らず突っ込みを入れたが、人の話に耳を傾けるような三人ではなかった。




