お屋敷勤め・2
分厚い遮光のカーテンがきっちりと閉じられた寝室は真っ暗だった。
いきなりカーテンを開け放つのはあまりにも不躾な気がして、リリアは居間の扉を開けたままにして、そちらから取り入れる光を頼りに寝台へと向かう。
「あのう……ゼルラーデルさま……?」
入室する際の呼びかけにも応じなかったゼルラーデルに、天蓋から流れ落ちる薄布越しに、もう一度声をかけてみる。けれど、やはり返事はない。
光だけでなく音さえも遮断されたような静けさの中で、しかし耳を澄ませば微かな寝息が耳に届いた。
リリアは窓際の円卓に水桶を置き、薄布をそっと捲り上げた。恐る恐る中を窺うと、真っ白なシーツに白金の毛髪を散らすゼルラーデルの寝顔が眼に飛び込んできた。
まるで高尚な絵画から抜け出たかのような光景に、ひと時、息をするのを忘れてしまっていたリリアは、息苦しさを感じてようやく正気を取り戻し、薄布を紐で結わえて、規則正しい呼吸を繰り返すゼルラーデルの寝姿に向き直った。
「ゼルラーデルさまぁー? ……朝ですよぉー……あーさでぇすぅー」
間抜けな声を掛けながら起床を促すが、眼前ですやすや眠る主に起きる気配はない。
(頑張って。……ってこういう意味だったのね)
リリアはどうしたものかと寝台に身を乗り出して、ゼルラーデルの顔を覗き込んだ。
冷たい印象を与える青灰色の瞳が閉じられているからだろうか?
(なんだか可愛い……)
きゅっと閉じられた薄い唇は淡い桜色をしていて、毛髪と同じ白金のまつ毛が驚くほど長い。
(きっと幼い頃は、天使みたいな坊やだったんじゃないかしら?)
などと考えながらゼルラーデルを揺り起こそうと、その肩に手を掛けた――刹那。
手首を強く掴まれ、痛みに「あっ」と声をあげた次の瞬間には、身体を寝台へ引きずり込まれてしまっていた。
一瞬、自身の身に起こった事態が飲み込めず、リリアは数度まつ毛を瞬かせる。
(ええと。これは……)
眼前には夜着の合わせが肌蹴て露わになったゼルラーデルの素肌。
後頭部へ回された腕によって、その胸元へぎゅっと押し付けられている。
さらには反対側の手で腰を抱かれて身動きも出来ないというありさま。
これはどうしたと言うのだろうか?
「あの……ゼルラーデル様?」
名を呼びかけ身じろぎすると、身体へ回された腕の力が強まった。
(もしかして……寝台でのお相手を要求されているのかしら?)
なるほど、そうであれば高額の給金を貰えるというのにも頷ける。もとより娼妓になるつもりだったのだ、今さら嫌だなどと言うつもりはない。
リリアは覚悟を決めてゼルラーデルの滑らかな胸に頬を寄せた。
「ご満足して頂ける自信はありませんが。どうぞよろしくお願いします」
そっと囁くも、主からの返答はない。
「あ、あの。ゼルラーデル様?」
視線を上向けるが、ほっそりした顎のラインが見えるだけだ。
このまま添い寝だけで許してもらえるということは――
(無いわよね~。なにしろ八十万ギルトだもの。あっ。もしかして……)
ゼルラーデルはリリアからの奉仕を求めているのかもしれない。その考えに至りリリアはなるほどなるほどと納得した。
(なにしろ八十万ギルトだものね。それはそれは丁寧にご奉仕して差し上げないと)
そう思うリリアだけれど、いかんせんやり方が分からない。
リリアの知識と言えば、件の親友から借りた書物から知り得たものばかりだ。男女が絡み合うシーンはあっても、たいていが行為の途中で妖獣の邪魔が入り最後まで終えることがない。
その途中までの行為でさえ、触れるだけの口づけが深く濃厚なものへと変わっていった後からは、ほとんどが比喩的表現で綴られていて、具体的な方法が記されていたものは無かったと記憶している。
それに、娼館での行為は、愛し合う夫婦や恋人同士のそれとは手順が異なると聞く。ゼルラーデルが求めるのは当然、娼館で行われるものの方だろう。そうなればなおさらリリアには見当もつかない。
こんなのことならちゃんと勉強しておけば良かった。と後悔するが今さらというものだ。
(困ったわね。ゼルラーデル様から指示を出して下されば助かるのだけど……)
とは思うが、当の主にそんな気はまるきり無さそうだ。
けれど、身体の拘束を解くつもりがないという事は、主はこの体勢で出来ることを所望しているのかもしれない。
リリアは取りあえず届くところに口づけでもしてみようと考え、鎖骨の下辺りにそっと唇を当ててみた。
「ん……」
淡い呻きが耳に届いたが、制止や拒否の言葉が続くことはない。
(このまま続ければいいのかしら?)
今度はちゅっと音がするくらい口づけてみた。すると――
「くすぐったい……」
掠れた声が聞こえた後、拘束する腕が緩んで額に口づけを落とされる。
とうとう焦れて自分から動くことにしたのだろうか?
リリアはほっと胸を撫で下ろして、おとなしく身を任せることにした。
瞼に頬に繰り返される口づけに、胸の鼓動が早くなり、頬が火照っていく。
いつの間にか、ゼルラーデルに組み敷かれる体勢になり。頬を撫でる掌も、熱い息を吐きだす唇も、自分に触れる全てが甘くてどうにかなりそうだ。
(どうしよう。胸が苦しくなってきたわ。それになんだか熱も出てきた気がする)
初めて身の内に沸き起こった感覚に、リリアは見当違いな方向で不安を感じた。
拒絶するつもりは毛頭ないが、ここはいったん中断して貰った方が良さそうだ。
「あのゼル……んっ」
しかし言葉はゼルラーデルの口に飲み込まれ、吐きだす熱い吐息さえも奪い取るかのように激しい口づけが繰り返される。
頭が真っ白になり、身体がふわりとまるで雲の上にいるような浮遊感に包まれていく。
胸を打つリズムは最高潮に早まり、このままでは本当に身体がおかしくなってしまいそうだ。
そんな不安が深まる中、息苦しさに喘ぐ唇から、不意にぬるりとしたものが侵入してきた。驚くリリアをよそにそれは優しく歯列をなぞり、口腔内をねっとりと蹂躙し始めた。
(な・な・なに!!)
驚いたリリアは力の入らない両手で、圧し掛かるゼルラーデルの身体を押し退けようと試みる。
うまく力を込めることは出来なかった。
しかし――
「ティルダ……」
触れ合う唇のわずかな隙間で囁かれた甘く切ない響きに、リリアの鼓動は一際大きく跳ね上がった。




