ズルファウスの領主・4
驚くことにクロゲンは、声を追った際のリリアの行動をそっくり言い当ててしまった。しかし、だからと言って、もちろんクロゲンを助けたとは、にわかには信じられない。
(だって何にもしていないもの……)
「助けてって声聞こえたでしょ? あれボクのトモダチなの。トモダチと遊んでる時にうっかりあの小屋に閉じ込められちゃったんだ」
「確かに聞こえましたし。呼ばれてる気がする方へ向いました。でも、ただ歩いていただけで何にもしてないですし、それにあたし小屋の入口で引き返しましたよ?」
「だからね。最後の一個が小屋に仕掛けられてたんだよ」
「……そんなこと言われても。魔術師でもないあたしが結界を破るなんて出来るわけがないじゃないですか。そもそもやり方だって知らないのに……」
いくら詳しく状況説明をされても、当然自覚はない。けれど、この状況をうまく利用しない手はないかもしれない。
リリアは先ほどからクロゲンの傍らで、鋭い視線をこちらへ向けているゼルラーデルをちらりと見やった。
「不法侵入の件は申し訳ないですけれど、通行税をお支払いするお金は持っていませんし。あたしがクロゲンさんを――」
「《さん》は要らないよ」
「ええっと……助けたとおっしゃるのなら、それで勘弁して頂けるとすごくありがたいのですけれど……」
やった。やらない。の問答を続けていても仕方がない。この際その辺りはうやむやにしてしまおうとリリアは虫のいい話を切り出した。
(駄目だっていわれても本当に一ギルトさえ持っていないんだもの……最悪でも後払いにしてもらうより仕方がないわ)
リリアは媚びるような眼差しを向けてゼルラーデルの反応を窺った。
「それで? これからお前はどうするつもりだ?」
「明日になったら……あぁ、きっともう今日ですね。朝になったらキルビカへ向います。一人で辿り着けるか不安ですけれど……路銀も持ち合わせていないですしね……」
通行税の減免について回答を得られなかったリリアは、ゼルラーデルの問いに返答しつつ無一文を主張する。
「ほう。たった一人でキルビカへ行くと?」
「他に方法はありませんから。夜が明けたら契約証を探してみます。たぶんヴァンさんの荷物が小屋に残っているはずですし」
「キルビカへ行ってどうするつもりだ? お前の言うことが真実なら、その契約証はもうただの紙切れになっているはずだが?」
「え?」言葉の意味が分からない。
リリアは眼前で皮肉るように口の端を上げるゼルラーデルを見つめた。
二人の会話に興味がないのだろう。それまで大人しくソファーの上で膝を抱えていたクロゲンが、不意に翼を広げて宙に浮いた。
ゼルラーデルはその様子をちらりと見やったが、べつだん注意する気はなさそうだ。
クロゲンはそのまま天井まで飛び、おもむろに逆さまになったかと思うと、翼を折り曲げて天井にぶら下がってしまった。先の尖った尻尾が振り子のように揺れている。
「おそらく買受け先はまだ決まっていないだろう。通常、商売を行う際には現物を確認するものだ。娼妓であれば尚のこと。道中どのような事故が起こるとも分からない。若い娘を連れた行商人を狙っているのが何も妖属だけとは限らないのだからな」
「……そんな……」
このままソフィエルへ逃げ帰ったとしても、ヴァンが亡くなった今となっては、手付けを返金する必要もなければ、違約金を請求されることもないだろう。
けれど、手付金では一時を凌ぐことしかできない。春になっても父の病気が回復しなければ、仕事ができるのは母とリリアと、せいぜい直ぐ下の弟妹くらいだ。
生活費の他に薬代まで捻出しなければならない家計を考えると、やはり一日も早く働く方が得策だろうし、その分家族にも楽をさせてあげられるはずだ。
「自力で仕事を探します」
しばしの逡巡の後覚悟を決め、そう告げたリリアにゼルラーデルは冷たく言い放つ。
「止めておけ。身元引受人のいない者を雇うのなど、ろくな所ではない。劣悪な条件で奴隷のように働かされるのが落ちだ」
「ですけど。働かないと……そうだ。契約証! 契約証が見つかれば身元を証明する位にはなりますよね? ヴァンさんとの契約は正式に行ったものですから、それを持って――」
「給金はいくらと言われていた?」
リリアが言い終わるのを待たずに、ゼルラーデルは唐突に切り出した。
「はい?」
首を傾げるリリアに、表情の窺えない美貌で見つめ返しながら言葉を継ぐ。
「熟達したブローカーであれば、相場で大よその給金を告げていたはずだが?」
その言葉にリリアはこくこくと何度も頷く。
そうなのだ。具体的な金額を告げられていたから、働き先は既に決まっているものだと思っていたのだった。
「……八万ギルトです」
「ほう。一日八万ギルトか。お前の親は、なかなか良い条件で娘を売りに出したのだな。それにしてもこのような小娘に八万とは……」
腕組みをして感心しているらしいゼルラーデルに、リリアは手を振って否定する。
「あのう……一日じゃなくってひと月です。ひと月で八万ギルトです」
「ひと月八万だと! …………妖獣に襲われて幸いだったな。つくづく運の強い娘だ。分かった。八十万ギルト払おう。明日からこの屋敷で働け」
「八十万!?」
「お前が貰うはずだった給金の十倍だ。どうする?」
「どうするって言われても……」
(怪しすぎます……)
「先ほど身元を証明出来ない人を雇うのは、ろくな所じゃないっておっしゃいましたよね?」
「ああ。なるほど。私が信用できないというわけだな?」
綺麗な瞳で真っ直ぐに見つめられながら問われて、『はい』とも言えず、リリアは声を詰まらせた。膝の上で握り締めた掌がじっとりと汗ばんでいく。
「だって……どうしてですか? 八十万なんて大金で、何の能力もないあたしを雇う理由が分からないです」
拳に力を込めて言うと、ゼルラーデルの表情が僅かに和らいだ気がした。
「もっともだ。隠しても仕方がない。正直に話そう」
ゼルラーデルは足を組み替えて、リリアに大金を支払う思惑を語り始める。
「私に分かっている確かな事実として、クロゲンの動きを封じることのできる強い力を持った魔術師が近くに潜んでいること。そして、それを破ることのできたお前も強力な魔力を持っていると言うことだ」
「ちょっと待って下さい。あたしに魔力があるなんて嘘ですよ……クロゲンさんを――」
「だから《さん》は要らないって」
「ええと……助けたのだって何かの偶然です。だってあたし今まで一度だって魔術を使ったことがないんですよ?」
今夜何度目か分からない主張を、しかしゼルラーデルはあっさりと否定する。
「偶然で助けられるほど安易な結界ではなかったはずだ。この屋敷へ辿り着いたことを加味しても、お前に魔力がないとは考えられない。そして、それを自覚できていないとなれば、今頃その力を利用しようと目論んでいる者がいるかもしれない。或いは、お前自身が気付かないところで、既に利用されているかもしれない。と言うことだ」
「そんな」
瞳を揺らすリリアに、ゼルラーデルはなおも言葉を連ねた。
「成り上がりの私のことを、快く思っておられない貴族様は多くいらっしゃるようだからな。小賢しい当て擦りなど痒くもないが、クロゲンにまで手を出されるとは由々しき事態だ。つまり、私はお前をこのまま解放するわけにはいかないということと。これは決定事項だということを理解してくれればいいだろう」
実に涼しげな顔をして、身柄を拘束するのだと告げたらしい。
呆然となったリリアに、ゼルラーデルは初めて整った面貌に微笑みを浮かべた。
「高額な給金がもらえて、上等な食事つきだ。良い条件だろう?」
近寄りがたい印象を与えてしまうのは、手を伸ばしても届かない月に似た瞳のせいかもしれない。リリアはぼんやりとそんなことを思った。
瞳を細めて笑うゼルラーデルの顔は、やはり息を飲むほど美しいけれど、警戒を解いたその笑顔に少しだけ歩み寄れた気がして、リリアは知らず微笑みを返していた。
「交渉成立だな?」
満足気な声に、リリアは心の中で反論する。
(交渉などされた記憶はないですが?)




