ズルファウスの領主・1
ゼルラーデル視点です。
取り立てて広くもなく、かといって狭くもないゼルラーデルの私室は静寂に包まれていた。
書棚や机といった家具類はどれも古い時代の物のようだ。しかし、丁寧に使い込まれ手入れをされてきたそれらには、元来の素材の良さと相まって、急ごしらえでは決して作り出せない趣がある。
世襲という慣例に頼らず、実力のみでズルファウス一帯の領主となり、爵位まで手に入れた彼が、仕事以外のことで唯一こだわりを見せたのがこの部屋だった。
とはいえ華美な装飾が施されているわけではなく、絵画の一枚さえ飾られていない。それでいて殺風景な印象を与えないのは、重厚な意匠の施された上質な家具や照明が彩りを添えているからだろう。
油で磨き上げられ艶を放つ机に向かっていたゼルラーデルは、訪問者の気配を感じとって羊皮紙の上を滑らせていたペン止め、視線を扉へ向けた。
彼の部屋へと近づく二人分の気配は、おそらくアンナとあの娘だろう。
「ゼルラーデル様。リリアさんをお連れしましたよ」
ほどなく扉を叩く音と、続いてアンナの声が予想の的中を告げた。
「ご苦労だったアンナ。もう休んで良いぞ」
言いながら立ちあがり扉へと向ったゼルラーデルは、真っ白な天井の一角に意味有り気な視線を送る。
そして、開いた扉の先にちょこんと立っているリリアを見て一瞬言葉を失った。
「……。アンナの仕業か……」
額を押さえて独語を漏らした後、ゼルラーデルは廊下の先に眼を向け、のろのろと歩いていくアンナの背中に何事か言いかけたが、ため息をついて言葉を飲み込んだ。
「あの……?」
長い睫をぱちぱちと瞬かせていた表情が困惑を帯び、やがて不安げに揺れる。
「……ごめんなさい」
「どうした?」
謝罪の意味が分からずに、ゼルラーデルは瞳を細める。
「お待たせしてしまって。申し訳ありません」
「ああ。そんなことを気にしていたのか。これ位は想定の内だ。気にすることはない」
どうやら、アンナの見当違いな計らいに絶句していたのを、待たされて怒っているのだと勘違いしたらしい。
慰めの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす態度はいじらしくもあるが、うがった見方をすれば芝居掛かって見えなくもない。
「スープがとっても美味しくって……あぁもちろんパンも美味しかったです」
何を伝えたいのだろうか――
意味が分からずに、ゼルラーデルが眉間に皺を寄せると、リリアは慌てて言葉を継いだ。
「たくさんお代わりをしてしまって。それで。お伺いするのが遅くなってしまったんです」
「気にするなと言っている。それより早く中へ入れ。……着替えを用意させたいところだが、仕方がない」
今からアンナに指示を出し準備が整うのを待っていたら、夜が明けかねない。
(しかし、このような衣装をアンナはいったいどこから引っ張り出してきたんだ?)
リリアが着ている胸元と裾にレースをあしらった絹の夜着は、言うなれば女性が媚態を示す際に着用するものだ。とはいえ、リリアが着ると貧弱な体型ばかりが強調されて、まるで逆効果のような気がするが――
アンナが何を思ってこのような衣装を用意したのか、全くもって不明である。
「……寒くはないのか?」
そわそわと部屋を見回すリリアをソファーに座らせて、ゼルラーデルは先ず純粋に気になる質問をした。
「ええと……寒くはないのですけど……風通しが良すぎて落ち着かないです」
気まずげに告げる表情から他意は感じ取れない。おそらくアンナに勧められるままこのような衣装を着ているのだろう。
ゼルラーデルは隣の寝室のクローゼットからガウンを抜き取って戻ると、首を傾げているリリアへそれを差し出した。
「それならそうと、なぜアンナにそう言わない?」
そう訊くと。立ち上がり律儀に会釈をしてガウンを受け取ったリリアは、「ええっと……」と、長い睫に縁取られた大きな翡翠色の眼を彷徨わせた。
どうやら言葉を捜している様子だが、アンナの性格を考えるとゼルラーデルにも思い当たるふしがある。
「なるほど。私に言ったのと同じように、アンナにも言ったんだな?」
「……はい。それであの……」
「あぁ分かった」
何事か言いかけたリリアを手で制して、その掌で軽く頭痛を感じる額を押さえた。
「あれの性格は良く分かっている。それより早く着ろ。本題に入る前に夜が明けてしまう」
「あ、はい」
彼女が着るには大きすぎるガウンにリリアが袖を通すのを横目で見て、ゼルラーデルはソファーに腰を下ろした。足を組んで、側面に燻し銀の鋲装飾のついた肘掛に頬杖をつく。
視線の先では、リリアが困惑顔で床を這うガウンの裾と、指先まで覆う袖を見ている。
それから、おそらく腰紐を結びたいのだろう。袖をたくし上げて、腰より随分下の位置に垂れている腰紐に手を伸ばした――が、繻子で仕立てられたガウンの袖は、彼女が手を下ろした拍子にするりとすべり落ちて指先を隠してしまう。
妙に焦った様子で同じ動作を繰り返すリリアを、ゼルラーデルは感情の一切を遮断した表情で眺めていたが、突如聞こえた愉快気な声に、片方の眉を僅かばかり動かした。
『クスクス。何やってんだろうねぇ、このお譲ちゃん。コレ計算でやってンだったら、すご腕だね?』
「……そうだな」
ゼルラーデルの小さな呟きを聞きとめたリリアが、動きを止めて首を傾げた。
右腕を揚げて左手で袖を捲くる格好のまま、ゼルラーデルの顔をじっと見つめるが、それが自分に向けられた言葉ではないと知ると、大きな瞳をさらに見開いて、きょろきょろと部屋中を見回し始めた。
『本当にボクの声聞こえてないのかな?』
『どう思う? クロゲン』
クロゲンという妙に軽い口調の姿無き者に向って、ゼルラーデルは心中でそう問う。
『う~ん。どうかなぁ~? さっきから見当違いな所ばっかり探してるケド。案外お芝居かもしれないしねぇ?』
『お前を助けたのも含めて怪しいな』
結局、腰紐を結ぶことを諦めたらしいリリアは、左右の身ごろを重ね合わせただけの格好でソファーに腰を下ろした。
そのまましばらく無言で見つめ合い、互いの本心を探りあう。
少なくともゼルラーデルはそういった思惑でもってリリアを見ていた。




