森の中の館・5
傷に軟膏を塗ってもらった後、落ち着いた茶系の家具調度品で整えられた客間に案内されたリリアは、テーブルに湯気の立つスープと、見るからにふかふかで柔らかそうで、食欲をそそる焼き色のついたパンが用意されているのを見て瞳を輝かせた。
「うわぁ。美味しそう」
「うふふ。けれどその前に御髪を綺麗にしましょうね」
垂涎ものの料理を眼前に、しかし身体は鏡台の前に引きずられていく。
「あぁ……アンナ様……」
洗いっぱなしだった毛髪を丁寧に梳かして油を塗り、見違えるほど艶々になったそれを、アンナは鼻歌を歌いながら手馴れた手つきで結っていく。きゅるきゅると音を立てて空腹を訴える腹部を両手で押さえながら、リリアは恨めしげにその様子を鏡越しに見つめていた。
ところどころにリボンや石の髪飾りを編み込むといった凝りように、食事をして寝るだけなのにそこまでしなくてもと思ったが、ゼルラーデルとはまた違った意味で、他者に口を挟ませない貫禄を持つアンナに、おとなしく従うより成す術はなかった。
空腹に耐えようやく食卓につくことが叶ったリリアは、心からの謝意を述べて、まずは香ばしい匂いを漂わせているパンに手を伸ばした。
手で千切るときつね色をした焼き色の中から、真っ白なパンが姿を現す。
「こんなに白いパン初めて食べます」
斜め後方に立っているアンナを振り返って、リリアは満面の笑みを浮かべた。
村で食べるパンは、《ふすま》が多く入っていて、もっと濃い色をしている。
ヴァンから与えられていたのも、似たようなものだった。上質の小麦粉を使用して作られた白くてふかふかのパンなど、小麦を栽培していてさえ口に入るものではなかったのだ。
「うぅー」
「あらま。リリアさん。どうしました?」
千切ったパンを口に放り込んだ途端、リリアはテーブルの上で両手を握り締め、呻きながら苦悶しだした。
「おーいしーい!」
涙眼になって感奮する大げさなリリアを『驚かせるな』と怒るほど狭量な人間ではないらしいアンナは
「まぁまぁ。お口に合って良かったですわねぇ」とのん気に笑っている。
けれど、リリアが立て続けにパンを二個も食べ終えると、さすがにはあらあらと真ん丸い顔に苦笑を浮かべた。
「リリアさんったら、パンばかり食べていらっしゃらないで、こちらのスープも冷めないうちにどうぞ召し上がれ」
パンだけで充分ですけれど。と思いながら、リリアは自分の拳ほどもある肉の塊が入ったスープに眼を向ける。
「これは……何のスープですか?」
肉に馴染みのないリリアは、スプーンを握り締めたまま首を傾げて、鶏ではないようだけれど……豚かしら? それとも羊かしら? などと思案しながらアンナに訊ねた。
「牛の尻尾ですよ」
「ウシっ!?」事も無げに告げられた食材にリリアは眼を剥く。
スプーンを落とさなかったことを褒めてもらいたいくらいの衝撃だ。
「う、牛って…………食べられるんですか……?」
(……しかもシッポって)
「あらいやだ、もちろんですわ。料理長自慢のスープです。うふふ。美味しいですよ」
ここザイル王国では食用の牛は希少であるため、それを口に出来るのは一部の貴族だけだ。
ソフィエルには専ら農耕用として飼育されている牛がいるだけで、リリアは王国内に牛を食する風習があることを知らなかった。それ故に牛の、しかもシッポのスープを食べ物だとは、どうにも受け入れ難いのだった。
それでも、出された食べ物を残すという思考は無い。「よし」と妙な気合を入れ、覚悟を決めたリリアは、スプーンですくったスープの上澄みを恐る恐る口に運んだ。
「ん? あれ? おいしい」
野菜の甘みが溶け出していて、思いのほか美味なスープに自然と顔が綻ぶが、しかし、問題は尻尾の方だ。ほろりと解れた尻尾の肉をスープと一緒にすくって、ぎゅっと眼を瞑り、更なる覚悟で以って口に入れた。
「うわっ。なにコレ」
しっかりと煮込まれた肉は柔らかく、想像していたよりも数百倍は美味しい。
「うふふ。お気に召しましたか?」
無言で何度もスプーンを口に運ぶリリアに、アンナは嬉しそうににこにこと笑いながらそう訊ねた。
「はい。シッポが口の中でほろほろです」
頬張っていた肉を飲み込んでそう答えると、アンナは満足そうに頷いた。
「そうそう。ほろほろなんです」
美味しい美味しいと唸りながら、リリアは出された料理を全て綺麗に食べ終えた。
そして、満腹を認識した途端、急に睡魔が彼女を襲った。
大きな窓の向こう側には霧が立ち込めていて月の高さは窺えないが、この屋敷へ着いてから随分と経っている。おそらくもう深夜といっていい時刻だろう。
「あらあらいけない。ゼルラーデル様がお待ちでしたわね」
リリアがふぁっとあくびを漏らしたのに気付いたアンナは、べつだん慌てた様子もなくそう言って、のんびりと言葉を継いだ。
「随分お待たせしてしまいましたわねぇ?」
(あぁそういえば、食事が終ったら部屋に来るようにって言われたような気がするわ……)
座っていた椅子をアンナに引かれて、リリアは眼を擦りながら立ち上がった。
明日にして欲しいという嘆願は、あのゼルラーデル相手に通用しないだろう。
機嫌を損ねて追い出されてしまっては安眠どころではない。
リリアはあくびをかみ殺しながら、突き当りが見えないほど長い廊下を、急かすこともなくのんびりと先導するアンナの後に付いて行った。




