森の中の館・4
案内された脱衣室で、泥だらけのドレスを脱ぎ捨てて、湯気でけむった浴室へ足を踏み入れたリリアは、素っ裸の恥ずかしい格好のまま金縛りにあったように動きを止めた。
口をぽっかりと開け放って眼を丸くする視線の先には、カエル泳ぎが出来るくらい大きな浴槽と、リリアの実家の居間ほどの広さはある洗い場があった。
美しく艶を放つ石で造られた浴槽脇の壁には、獅子を模した顔が据え付けてあり、獅子の口からは、ごうごうと音を立てながら湯が吐き出している。
「あら? リリアさん。どうなさいました?」
「あのう……このお屋敷には五十人くらいの方が暮していらっしゃるんですか?」
「いいえ。ゼルラーデル様お一人ですよ。あとは下働きの者が数名いるだけですけれど? それより、さぁさぁ、お風邪をひいてしまいますわよ。早く湯に浸かって下さいな」
驚きの表情を未だ引っ込めていないリリアの背を、アンナは肉付きの良い掌でぐいぐいと押していった。
「まあまあ。リリアさんったら、ふらふらじゃないですか。分かりました。このアンナがお背中をお流しして差し上げますわ」
「やっ……ええと……あの。ふらふらなのはアンナ様に押されているからで……あぁ……じ、自分で洗えま……あぁ……」
無駄に広い洗い場を浴槽の方へ弾かれるように進みながら、リリアは懸命に説明を試みるが、当のアンナは全く聞く耳を持たない。
「いいえ。なりません。リリアさんはお疲れなんですわ。このアンナにお任せ下さいませ」
妙な使命感に燃えるアンナに気圧されて、結局、リリアは頭の天辺から足の先まで、皮が擦りむけるのではないかと思うほど、徹底的に洗い尽されてしまったのだった。
「お召し物はこちらに置いておきますからね。どうぞごゆっくり温まっていらっしゃいませ」
ぐったりと疲れ果てたリリアを浴槽に放り込んだアンナは、ようやく満足気な様子で浴室を出て行ってくれた。
リリアは浴槽の縁にもたれかかって眼を閉じ、大きく息を吐き出した。
身体の疲れと気疲れとが、いっぺんに押し寄せてきた感じだ。
しかし、湯が流れ出る音は耳に心地良く、さすが自慢の温泉というだけあって、次第に心身の緊張が解れていく。傷には少々沁みるが、慣れてしまえば何てこともない。
(気持ちいい……あぁ、このまま、朝まで眠ってしまえたらどんなに幸せかしら)
高級な石鹸の甘い残り香に包まれて、今なら素敵な夢が見られそうな気がする。
恐怖に戦きながら真っ暗な森の中を彷徨っていたことや、現実として受け止めるにはあまりにも残酷な出来事の数々が、楽しい夢にすり替わってくれるならどんなに良いだろう。
望むだけ無駄だと分かっているのに、そう願わずにいられなかった。
明日になったら、またあの森を一人で彷徨しなければならないと分かっているのに――
「リリアさぁーん? あまり長い時間浸かっていては、湯中りをしてしまいますわよー」
脱衣室から届いた声に、リリアは瞼を開いて唇の端を上げた。
少々お節介なところがあるようだけれど、アンナはとても優しい人柄のようだ。
「ええっと、これは……」
リリアは指先で摘み上げた下着らしいものをまじまじと見つめて首を傾げた。
気を取り直して脱衣室の中を見回すが、他に下着と思しきものは見当たらない。
という事は――
(やっぱり。これがズロースなのよね?)
リリアが手にしているのは、ほんのちょっとの布で作られた下着だった。
(こんなに小さなズロースは見たことがないわ)
それに生地が驚くほど薄い。リリアは両手で摘んだ下着を左右に引っ張ってみた。
(簡単に破けたりはしなさそうだけれど……)
もちろん自分が贅沢を言える立場ではないことを充分理解しているし、何よりあまり物事を深く考えない性格のリリアは、与えられた下着を素直に身に付けて、続いてこちらもかなり布を節約して作られた夜着に腕を通すことにした。
とは言え、なにぶん節約して作られた服だ。もちろん袖などはついていない。妙にひらひらした裾から頭を入れて、細い肩ひもに両腕を通したら終わりだ。
しかも大きく開いた胸元と、太ももの半分までの丈しかない裾の部分の生地が、下着以上に薄く、所々に穴が空いているというありさま。
(もしかして……お金持ちではないのかしら?)
リリアは頬に手をあてながら、ふとそんなことを考えた。
けれど、こんなに立派な浴場を維持するには目が飛び出るほどの大金が必要だろうし、脱衣室の備品の数々も高価そうな物ばかりだ。
(きっと、あたしの身体に合う服がなかったんだわ。……まさかアンナ様の夜着をお借りするわけにもいかないし……)
そもそも、いきなり訪ねてきた自分に合うサイズの服や下着を用意するということ自体に無理がある。あるだけありがたいことなのだ。
贅沢は言えない身のリリアは、そう自分を納得させて脱衣室の扉を開けた。
「あらあら。まぁまぁ。お似合いだこと」
リリアの想いとは裏腹に、アンナは何故だかとてもご満悦のようだ。
「アンナ様。けれど……この夜着は少しだけ……ええと、露出が多くありませんか?」
生地が少ない。穴が空いている。などという失礼な言葉を使わないように注意してリリアが言うと、アンナは途端に表情を曇らせた。
「あらま。お寒いですか?」
「いいえ。寒くはないです。少しだけ風通しが良すぎて落ち着かないですけど……」
屋敷の中は隅々まで温められていて、どこにいても寒くはない。リリアとしては是非、後半部分に耳を傾けて欲しかったのだけれど、当のアンナは前半部分を聞くなりぱっと表情を明るくした。
「それは良かったですわ。さぁさ。傷の手当をいたしましょうね」
どうやら後半部分はアンナの耳には届かなかったらしい。




